長野 諏訪めぐり 前編 | 心に光を呼びます Padme★yuki

心に光を呼びます Padme★yuki

誰の心にも、神様とのホットラインはあります。
いろんなもので隠れてしまってるだけです。
私でよければ、見つけるお手伝いをします。

 


7月22・23日で、長野の諏訪へ行きました。
行きたい場所はたくさんあれど
回りきれないので
今回、どうしてもハズせない!と感じる場所を
選びました。

まずは、7月22日。
御射山神社
たくさんの小さな社があります。
 
ナビで細い道を入って すぐ見つけた
浅間社
 
少し離れて撮ろうとしたら
 
たくさんのオーブの歓迎
虹色のオーブもいるでしょ?
少し角度を変えたら
 
天射と虹色オーブと、この赤い光・・・
今回、たくさんの巫女の魂の鎮魂の旅でもあります。
巫女たちの魂を受け入れて
兎の神獣に変換するための旅です。

 
セミがとまってる(笑)
殻から出たばかりなのか、近づいても動かなかった。

あとから知ったのだけど
(翌日行った、守矢史料館の人に教えてもらった)
ミシャク神を
降ろされる側の人が、大祝(おおほおり)
というらしい。
降ろす側の人は、守矢(漏矢)氏。だそうです。
その、大祝の初代の人のお墓。
 
この時は、詳しいことはわからなかったけど
すごくパワーを感じたので
お導きいただいたことへ、感謝をし
祈りを捧げる

 
そばに、神功皇后社と子安社がある。
けど、そのお二人ではないと感じます。
大祝有員(ありかず)さんの奥さんたちかな?

 
三輪社です。
三輪といえば、大神神社がある三輪山ですね。
大物主さま=龍蛇の女神だと感じています。
=縄文の女神
=日本の真の女神

 
ズームなしで、めっちゃ接写!
(もっと寄ったけど、ピンボケだった)

立派な建物などはないけど、とても神聖な場所でした。
翌日、守矢史料館の人からの話では
鎌倉時代、
夏祭りには、鎌倉からたくさんの武士が詣り
弓矢の競技をしたり、とても大事にされたとのこと。
また、子供の厄年として、2歳の子供たちの
厄払いのお祭もあるのだそうです。
それは、今でも続いてるそうです。
「原山」という看板があったのですが
それは、実は、「腹病まぬ」の意味で
子供たちがお腹の病気にならないように祈るのだそうです。
昔は、子供が無事に成長してくれるのは
親だけでなく、皆の願いだったのでしょうね


ここはハズせない!!と感じていた
葛井神社
 
  
もともとは、この池じたいを祭神としていたそうです。
 
水の女神ですね( ̄∀ ̄)
その夫神の名は
 


諏訪大社前宮
  
 

 十間廊
  
 境内の外に見つけた
  
そのまた近くに
  
奥宮へ・・・
 
道すがらにもご挨拶
  
前宮の前にもどって、もう一度パチリ
 

では、本宮へ・・・と向かおうとして見つけた
  
その向かいに子安社
  


諏訪大社本宮
その駐車場にあった、宮大工さんの供養塔
 
ありがとう原さん

 

 ←気になる・・・

  

どうも気になって、境内の外へ出たところにあった
  
この達筆な字は、なんて書いてあるのか?と皆で悩みました。
蚕玉(こだま)神社でした。
詳しい説明を見つけました( ̄∀ ̄)v
この中がまた・・・
  
龍と鳳凰って、神様には付きものの神獣だと思ってたけど
違うんだな・・・・って最近、つくづく感じる。
神の姿、そのものでもあったんだ 
鳳凰は、龍であり鳥である。それが、女神。
 

さらに、この奥の法華寺も気になるので行ってみた。
お寺に入ろうか・・・としていたところ
気を引っぱられるのでそっちを見ると
あれ?なんかあるぞ。
皆を呼んで、行ってみる。
 
地図を見てた時に気になっていた黒縄神社。
本当の名前は、墨縄神社だったんだね。
 

如法院跡が、法華寺の上の方にある。
弘法大師が毎年四月に・・・法華経を書写し・・・
国家安全四海泰平を祈願し・・・

って、サビサビながらざっくり把握。
 
弘法大師が手をついた跡がある・・・らしい・・・
 

諏訪大社本宮へ戻って・・・
大国主社
  
感謝m(_ _)m 

拝殿の奥は、工事中~~~
あれは、写真(笑)
写真の前に、神鏡だけ置いてある(笑)
 

諏訪大社は、奈良の大神神社のように山をご祭神とするそうで、
弘法大師が鉄(石製)塔を作って
ご神体としてこの拝殿の奥に置いたそうですが
明治の神仏分離により、撤去。
その後、別の場所で安置されていると知ったのが
温泉寺のコチラの説明(笑)
 
この中にありんす
 
温泉寺へ行ったのは、高島藩諏訪氏の菩提寺だからなのだけど
弘法大師さま、お導きありがとうございますm(_ _)m
  

温泉寺のお庭から・・・
  
 

先宮神社
祭神は、高光姫(たかてるひめ)・・・
別名 稲背脛(いなせはぎ)のミコト 
(稲イナ( ̄∀ ̄))
諏訪大社が創建される以前に、
すでにこの地域の産土神だったそうだ。
 

 
この裏にも、蚕玉神社がありました。
 
んで、カメラをかまえて
「あっ 虹オーブ
とシャッターを切ったら
バッテリー切れ(笑)残念
 
この日は、これにて巡礼終了。

夕陽を眺めながらお疲れちゃん
 

  
 
7月23日の巡礼へ続く・・・