去年はずいぶん忙しくて、営業日の6,7割くらいは終電を逃してタクシーで帰っていた。
土日は一応休みだけど、月曜に向けての山積みの宿題を消化する日々。
一瞬でも気を抜くと事故るんじゃないかという感覚をずっと抱えながら毎日を過ごしていた。
(実際には何度か事故っていた)

仕事がもらえるのは幸せなことだ。
評価してもらえているなと、うれしい気持ちになっていた。
ただ、それも量が許容できる場合の話。
だんだんと「なんでこんなにがんばる必要があるのか?」と思う部分も広がっていった。

年末年始にけっこうまとまった「ヒマ」ができて、じっくりと考えることができた。
結果、なんとなくではあるけれど答えは出た。

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きっかけは実家に帰ったこと。
うちの家は父は公務員、母は主婦、名古屋を少し外れたところに一軒屋があるという
とっても「普通の家」だ。
3泊する中で久々にいろいろな話をした。

貯金はしているのか。
そんなに働いて大丈夫か。
周りもみんなそんなんなのか。

なんだか自分とは価値観が全く違う人と話している感覚で、
楽しくもあり、理解できないという想いもあり。

なぜこの違和感を感じるに至ったかということが途中でわかってきた。
仕事に対して、根底にある感覚が全く違うのだ。

公務員である父(と主婦である母)は、「時間を金に変えている」という感覚。
プランナーである僕は、「能力を金に変えている」という感覚。

この差が巨大な違和感を感じる原因だという結論に至った。

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話はもう少し遠回りして。

プランナーとして過ごす上で、いまだに初めてのことが多い。
初めてのことは不安で、刺激的だ。
先が全く見えない中で進めなければならず、つねに擦り傷が絶えない。

大体最初に仕上げた時は、たいしたものにはならない。
世に出すモノとしても、業界的にも、自分的にも甘い部分が多い。
「次はああしよう。ここはもっとこうしよう」
そんな部分が大量に残ったまま世に出てしまう。

ただし、能力の伸びは相当なものと感じる。
100点満点で0だったものが60くらいになる感覚がある。
100は程遠いが、伸び率にすると圧倒的。
既存の能力との組み合わせもいろいろ思い浮かぶようになり、戦術が一気に増える感覚がする。

プランナー3年目が終わろうとしているいまですら、その感覚に取り憑かれている感じがする。

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主題に戻って。
なぜこんなにがんばるか。
単純に、能力が伸びる感覚に取り憑かれているのだ。
かつて身長が100cmにも満たなかった頃、なにかするごとに
「おかあさん見てー!」
と言っていたその時の感覚と同じように、
できるようになったことが嬉しい。

能力を金に変えて生きていきたい
という価値観のもとで、
能力が伸びているという感覚を楽しんでいること

これががんばる・がんばれる理由なんじゃないかな。
睡眠が削られて、体力がなくなって頭が朦朧としてきたときこそ、
立ち戻れる場所として言語化しておきたかったのです。