日本的な美 | vivienne sato
二三日前の午前中、朋友のお墓参りに行ってきました。。。
彼女のお墓のすぐ近くに彼女のご実家はありました。
5年前の8/14辺りに亡くなりました。5年前も関東では毎日40℃近くもあり、暑い暑い夏でした。

唯一無二の存在で、日本的な美を世界に打ち出した方でした。
そして、亡くなる直前まで固有の表現で、自分自身や日本を現わそうと、実験的なことを繰り返しておりました。。。
ある意味完成や成熟を拒み、まだまだ進行系であり進化を続けようとしていたようにも思えます。




彼女の朗読パフォーマンスで有名だったのが谷崎潤一郎の『陰翳礼賛』。

最近は評判が良いので赤い口紅を塗っているわたしですが、わたしのトレードマークである青い口紅とラメはこの谷崎の文章から来ているのです。。。



●日本女性の「美しさ」と「闇」の関係を論じている箇所。日本人女性なら必読!!!!!!!!!!!

昔の女というものは、襟から上と袖口から先だけの存在であり、他は悉く闇に隠れていたものだと思う。当時にあっては、中流階級以上の女はめったに外出する こともなく、しても乗物の奥深く潜んで街頭に姿を曝さないようにしていたとすれば、大概はあの暗い家屋敷の一と間に垂れ籠めて、昼も夜も、たゞ闇の中に五 体を埋めつゝその顔だけで存在を示していたと云える。……鉄漿などと云う化粧法が行われたのも、その目的を考えると、顔以外の空隙へ悉く闇を詰めてしまお うとして、口腔へまで暗黒を啣ませたのではないであろうか。
 
夜光の珠も暗中に置けば光彩を放つが、白日の下に曝せば宝石の魅力を失う如く、陰翳の作用を離れて美はないと思う。つまりわれわれの祖先は、女と云うもの を蒔絵(まきえ)や螺鈿(らでん)の器と同じく、闇とは切っても切れないものとして、出来るだけ全体を蔭へ沈めてしまうようにし、長い袂や長い裳裾で手足 を隈の中に包み、或る一箇所、首だけを際立たせるようにしたのである。  
 
私はさっき鉄漿のことを書いたが、昔の女が眉毛を剃り落としたのも、やはり顔を際立たせる手段ではなかったのか。そして私が何よりも感心するのは、あの玉 虫色に光る青い口紅である。もう今日では祗園の藝妓などでさえ殆どあれを使わなくなったが、あの紅こそはほのぐらい蝋燭のはためきを想像しなければ、その 魅力を解し得ない。
 
古人は女の紅い唇をわざと青黒く塗りつぶして、それに螺鈿を鏤(ちりば)めたのだ。豊艶な顔から一切の血の気を奪ったのだ。私は、蘭燈のゆらめく蔭で若い 女があの鬼火のような青い唇の間からときどき黒漆色の歯を光らせてほゝえんでいるさまを思うと、それ以上の白い顔を考えることが出来ない。少くとも私が脳 裡に描く幻影の世界では、どんな白人の女の白さよりも白い。  
 
ちょうど私がその部屋へ這入って行った時、眉を落して鉄漿を附けている年増の仲居が、大きな衝立の前に蝋燭を据えて畏まっていたが、畳二畳ばかりの明るい 世界を限っているその衝立の後方には、天井から落ちかゝりそうな、高い、濃い、たゞ一と色の闇が垂れていて、覚束ない蝋燭の灯がその厚みを穿つことが出来 ずに、黒い壁に行き当たったように撥ね返されているのであった。
 
魑魅(ちみ)とか妖怪変化とかの跳躍するのはけだしこう云う闇であろうが、その中に深い帳(とばり)を垂れ、屏風や襖を幾重にも囲って住んでいた女と云う のも、やはりその魑魅の眷属ではなかったか。闇は定めしその女達を十重二十重に取り巻いて、襟や、袖口や、裾の合わせ目や、至るところの空隙を填めていた であろう。いや、事に依ると、逆に彼女達の体から、その歯を染めた口の中や黒髪の中から、土蜘蛛の吐く蜘蛛のいの如く吐き出されていたのかも知れない。

(谷崎潤一郎著『陰翳礼賛』)



※写真は内藤新宿太宗寺の脱衣婆(三途の川を渡るときに着物をすべて剥ぎ取ってしまう婆さま)のお歯黒。迫力あります。笑  もうひとつ近所の正受院にも脱絵婆が居ります。