映画『パッセンジャーズ』ヴィヴィアン佐藤評 | vivienne sato
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『プラダを着た悪魔』や『ブロークバックマウンテン』で、いまや若い層から通まで不動の人気なアン・ハサウェイ。彼女が飛行機事故で生き残った5人の生存者のカウンセリングセラピストを。しかし飛行機会社の陰謀か?次々と不可解なことが彼女の周りで起き始める。。。なんと監督はノーベル平和賞『百年の孤独』の大御所、ガルシア・マルケスの息子ロドリゴ・ガルシア!こうなれば見ないわけには行かない。

クレア(アン)は深夜の突然の電話で恩師から、飛行機墜落事故で生存した5人か抱えるトラウマを治療して欲しいと頼まれる。しかしただ一人エリックだけには気をつけろ、と付け加えて。
案の定、エリックは予想外の行動でクレアを困惑させる。他の生存者は事故当時の記憶が妙にバラバラであったり、謎の人間に追跡されていると言って、次々と姿を消していったり、、と不可解な現象が起き出す。
最終的には思いもよらぬ結末が、、。


こういった「物語の結末は絶対に言わないでください」的な映画。いかがなものか。恐らく一般に感情移入、物語スジ主義にはグッと来る類かもしれない。敢えて、物語として閉じずに、「手法・方法」として読んでみる。この世か、あの世かではなく、この世に居ようとも死んでいることに気がつかない、もしくはこの世に居ようとも生きていることに?気がつかない、ことも多いのかも知れない。逆説的には死んでいる人間、失われた物もいつだって蘇ることもあり得る。生物学的に生き返るのではなく、その存在の仕方は様々で、生きていてもなかなか会えない人と、死んで会えない人と、こちらの「想い」という意味では違いはないと言うこと。こちらの「想い」で亡くなったヒトやモノにも尊厳や息吹きは与えられるものなのだ。


この映画はスジ主義で捉えればどこかで見た展開だが、飛行機というビークル(乗り物)は肉体だけでなく高速で精神までも運んでしまい、旅客はそのことを忘れてしまう。肉体よりも何よりも精神を運ぶことが一番難しいことを教えさせられる。