『ワンダーラスト』ヴィヴィアン佐藤評 | vivienne sato
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映画について。


「あの世紀のスーパースター:マドンナが一体どんな映画を???」と誰もが興味を持つはず。あれだけの成功を手に入れ、世界中の有形無形の欲しいものは全て手に入り、最近ではカバラ秘法に耽溺し、面倒な夫婦生活も止め、、、   そんな一見満たされた人間がどういう映画を作るのか?  意外や意外。小難しい哲学や芸術論、映画論、分かる人だけに分かってもらえれば良い、、、もしくは環境問題、民族問題など社会的なメッセージは一斉ナシ。 蓋を開けてみればロンドンで将来を夢見る若者たちの現在進行系の群像映画(と言ってもアルトマンやPTA、タランティーノばりではない!ごく普通。凡庸。)。


むかしvogueの頃マドンナの全米ツアーのドキュメンタリーがあった。それはマドンナ自身の映画というよりバックダンサーやバンドマン、マネージャーなどにむしろ焦点を絞られた「マドンナとその家族」もしくは「マドンナママから見た子供たち」と言った感じのモノ。  大御所マドンナのツアーに同行していると言っても明日をも知れない若者たち。ツアーが終われば解散して、その後の将来の保証は全くない。マドンナ(ライヴツアープロデューサー)の目に留まるまでの彼らの生い立ち、彼らの恋人、家族、両親からの思い・関係、、、。   マドンナ自身は音楽やアートだけではなく、それを作り上げて来た・関わって来た人々のこれまでとこれからの人生、そして彼らの成功、幸福について。に興味があるらしい。。。

言ってみれば「運命」、「邂逅(出会い)」、「幸福論」に彼女自身は興味があるのだ。
この映画の中で
「美徳と悪徳は同じコインの表と裏」
「ナイフのジャムを舐める者は舌をも斬る」
「何を見せるのかではなく何を隠すのか(ストリップのとき→ショウビズ論)」
「成功への道は屈辱への道」
「旅に出ないのに迷子」
とナレーションでもある主にAKにしゃべらせているが、これはマドンナ自身の言葉。

AKが一人ウィスキーを飲みながら水のないバスタブでフリン教授の詩集を読みふけり、自分のバンドの作詞をしているとき。

一人小舟(バスタブ)で酒(大海)を飲み、彷徨っている、、、それが共同生活のアパートというもう少し大きな船になり、音楽と詩によってもっと沢山の人が集まるライブハウスというさらに大きな船になる。人生は旅であり出会いも別れも運命であり、成功とは人それぞれの個人的な問題だという事がひしひしと伝わってくる。そんな映画です。