先進国の立場から「援助」を考えてみたい。
私達が「援助」をする理由には、大きく3つの理由があると思う。

①グローバルコミュニティの義務
②自分のため (戦争を起こさせない、移民を来させない)
③共感・同情

例えば私がアフリカの極貧の人達の力になりたいと思う理由の1つは「③共感・同情」。国連ならば①、政府ならば①だったり②だったり、ステークホルダーによってそこは変わってくるだろう。

今回私が感じたこと。

「援助をすること」は、彼らに資本主義・経済成長が重要だという思想を輸出することと同じ。





「援助のやり方」は非常に重要だが、私は人道的援助(最低限の食料・衛生)に関しては、どんどんやるべきだと思っている。

しかし、問題は人道援助だけでは成長を促さないということだ。すると次に出るツッコミは「アフリカはいつまでも成長しないではないか。いつまで援助すればいいのか?」という議論になる。

そこで成長やsustainable developmentの必要性という議論になる。これは結局経済成長が重要だという、資本主義的な考えを押しこむことだ。永久に人道援助をし続けようという全体的な合意がとれない限り、先進国はこの思想をアフリカに持ち込まざるを得ないという現実。

そこにある飢餓とかマラリアなどに、できるだけ早く多く対応しようとするとすればするほど、資本主義の世界を持ち込まなくてはならない。


そうして持続的成長を目指す過程で最も難しいのは、彼ら自身にこの思想が大切だと理解してもらうことだ。理解してもらわずには、本人の意思が必要な持続的成長は見込めない。


そこで皮肉と言うかなんというか、これを難しくする一つの原因が、これまた「援助」なのだ。何もしなくても食料などがもらえ続ける状況にしてしまうと、「なんだ、このままもらい続けていればいいではないか」「ビジネスデベロップする必要はあるのか」と、こうしたマインドになってしまう。

経済成長は外からの力や援助だけでは達成できない。やはり当事者が当事者意識を持って頑張るしかないのだ。援助に関わりながらも、そうしたことを改めて痛感したアフリカだった。