高崎駅に着き、皆を迎えると、まずは旅の始めに鬼城句碑と虚子句碑を訪れることにした。思えば、上州という土地は多くの文人を輩出している。詩人・萩原朔太郎、歌人・土屋文明、俳人・村上鬼城…。また館林の方へ行けば、小説家・田山花袋もいる。上州の、夏暑く冬は冷たい空っ風が吹く風土は、人の心を育む上でどう作用するのだろう?などと思いつつ句碑の探訪に向かった。
掲載の地図はぼやけているが、サヤモールという道筋に鬼城句碑はある。
けさ秋や見入る鏡に親の顔 鬼城
秋らしくなった清々しい朝に鏡を見入れば、そこに映った自分の顔も親にそっくりだった…という鬼城。「もののあはれ」をそこはかとなく詠むホトトギスの俳人の写真の顔を思い出した。明日は、村上鬼城展を観に行くのだが、その旅の始まりの一歩を刻んだ。
麦秋や旅の始めの鬼城句碑 悠人
次いで探したのが虚子の句碑。それは光徳寺という寺にあるらしい。成田山の幟が何本も立っている寺を見つけた。その境内を歩いていると、端の方にひっそりと句碑が立っている。
インターネットで調べてみると、「金屏に描かん心山聳え」とあったのだが、これでは季語のない無季の句になってしまう。
…「雪原」じゃないの?
…「描かん心」…心描かん…じゃなくて…?
…うーん…。
虚子は何を見て何を言おうとしたのか?そんな疑問符が頭に残った。
(読者の方でこの辺のエピソードをご存知の方は教えていただきたい。)
紫陽花や判読難き虚子の句碑 英子
十薬咲く句碑の字読めぬわびしさよ 翠
さて、ここでそんなに時間を取るわけにもいかない。途中のほんの寄り道のはずが少々遅れてしまった。車に乗り込むと、次の目的地水沢うどんの郷へと向かった。