悠人・しのぶの俳句日記

つれづれなるまま四季の言葉の散歩道…俳句と詩と音楽と…

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 栃木グループの人達にさそわれて、渡良瀬川の遊水池へ芦刈を見に行ったことがある。足尾山地の水系が関東平野へ出て集合する地点で、足尾銅山の汚染地帯として有名な、旧谷中村あたりである。その日の予定では、時間があれば、谷中の屋敷跡まで歩いてみようということであった。地図で見ると、東西四キロ、南北一〇キロほどの平地面に荒地の記号が、入っている。藤岡町の堤防の上に立つと、対岸の古河市まで一望の枯芦の河原で、ところどころもやもやと藪らしきものが見えるだけである。遊水池といっても、乾いた地面と、沼と、湿地が入りまじっていて、その中を、砂利採りのダンプがしきりに往来している。常識的には食欲の出る吟行地とはいえない。私は、旧谷中村にまつわる問題について、特別の関心を持っているわけでもなく、日頃、低い山地をよく歩いて、廃家や廃村はもはや珍しくはないので、冬にしては暖かすぎるほどの日ざしの中を、気楽に人々についていった。

 堤防を下りてから一キロ余り芦原を歩いたところで、低い立木一叢が前方にはっきりしていた。その立木のありさまが、気をつけて見ると自然の藪とはどことなく違う気分で、横に藁屋根の人家を置けば、典型的な日本の農家のたたずまいであり、さがしていた幻がカチッと現われるいう感じであった。この感じは、私にとって実に印象的であった。栃木グループの人達も、何年か前に一度来たっきりとかで、はっきり道をおぼえている人はいないようであったが、 隣を歩いていた「風」の木村三男氏も、「どうやらあの辺らしいですね」ということであった。その見当へ、芦の間の細い道をはいって行くと、大分崩れてはいるが、土を盛った屋敷跡らしい高みに、増山美島さんが立っていた。渡良瀬川はたえず氾濫するので、土を高く盛った上に家は建てられていたという。遠くから見た立木は、やはり野生の樹木ではなく、かろうじて生き残っている風情で屋敷跡の一方を囲っていた。小さい池があり、その向うにもう一つの盛土の跡があり、そこの裏手の一段低くなったところに、首まで泥に埋った石仏一体を見つけた。見まわしたところ、これが、人間の棲んでいた唯一の形ある手がかりであった。肩に元禄の年号が彫られていた。ふと後を向くと驚いたことには、線香の灰が残り、黄色い菊が地面にじかにまだしおれもしないで突きさされていた。菊の黄色は妙になまなましく、突然何かに襟首を摑まれたような、ぎょっとした瞬間であった。この下には、ここに住んでいた人達が埋っていて、正月の墓参に来た子供か孫がいたのであろう。墓石は泥の下になったのか、よそへ移されたのか見当らなかった。人間が退いたあとは芦がはびこり、ほとんど自然がおおってしまったように見えるなかに、なお、うっすらと残っている人間の気配、そのうっすらさ加減には意外なほどのリアリティーがあった。

 

(昭和四八・一「鷹」)

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