日本を  今一度せんたくいたし申候』と言えば坂本龍馬です。

前回の坂本龍馬の続きで「なるほどっと思った話」です。

坂本龍馬はこの言葉を象徴するように旧体制の江戸幕府を壊し、新しい明治政府を作り上げる原動力だった人で、前回も書いたように、幕末に活躍した土佐藩(現在の高知県)出身の人物です。

土佐藩脱藩後、貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中・海援隊の結成をし、いがみ合っていた薩摩と長州の同盟を斡旋し、大政奉還の成立に尽力しました。

脱藩してから亡くなるまでの5年間に、馬と徒歩と蒸気船だけで日本国内を地球半周にも匹敵する距離(約2万km)を駆け回ったと言われており、当時の交通状況を考えるといかに世の中を駆け回っていたのかがわかります。

如何に「世の中を変えなくてはいけない!!」と使命感を持ち、全力で取り組んでいたことか。

三国志戦国時代幕末時代が人気が有るのは、そんな熱い人間ドラマが多く世の中に広がっているからではないかと思います。

自分は龍馬のことを「理想的現実主義」と呼んでいます。(wikiにはそんな言葉はありませんでしたが)

夢やロマンを語りみんなのやる気を出させるが、きちんと現実を見つめ分析し、その為に今、何をしなくてはいけないのかをきちんと考える人だと思います。

カリスマ的なリーダーには多いタイプです。

その龍馬の「なるほどっと思った話」は沢山あるので、その中でも特に気に入っているものだけを紹介します。(小説の言葉もありますけど)


俺は、落胆するよりも、次の策を考える人間だ。
困ったことが起きて「どうしよう、どうしよう」と悩んでいても解決策は見つからないですからね
それなら現実を受け止め「どうしたら良いのか?」を考えるほうが得策です。


俺は、昨日の俺ならず。
昨日よりは今日、今日よりは明日。毎日自分を成長させていきたいという事でしょうか。


義理などは夢にも思うことなかれ。身を縛られるものなり。
義理に捉われていると、真にやらなくてはいけない事が出来なくなるという事ですかね。


俺は議論はしない、議論に勝っても、人の生き方は変えられぬ。
全くその通りですね。相手を論破してもその場は気分が良いかもしれないですが、
無用に恨みを相手に残してしまいますものね。
必要な時以外は意味を成さないということですかね


事は、十中八九まで、自らこれを行い、残りの一二を、他に譲りて功をなさむべし。
なかなか出来ることではないです。
誰がやったかという事より、きちんと物事をやる事が大切ということですね。
みんな自分の功績にしたいと思うので難しいことですね。


川に入ればぬれるのだ。水を浴びるのに晴雨は関係ない。
常識が通じず、納得しないものはやらないという頑固さと
常に「中身」を重視したエピソードですね。


奇策とは百に一つも用うべきではない。
九十九まで正攻法で押し、あとの一つで奇策を用いれば、みごとに効く。
奇策はそういう種類のものである。真の奇策縦横の士とはそういう男をいうのだ



下手な祈祷師はやみくもに祈る。
じょうずの祈祷師は、まず雨が降るか降らぬか、そこを調べ抜いたあげく、降りそうな日に出てきて護摩を焚く。
されば必ず降る。天下の事も雨乞と同じで、時運というものがあり、その時運を見ぬかねばならぬ



「薩摩がどうした、長州がなんじゃ。要は日本ではないか」
「われわれ土佐人は血風惨雨の中をぐって東西に奔走し、身命をかえりみなかった。それは土佐藩のためであったか、ちがうぞ」
「薩長の連合に身を挺しておるのは、たがが薩摩藩や長州藩のためではないぞ。君にせよ、西郷にせよ、しょせんは日本人にあらず、長州人、薩州人なのか」



人の世に道は一つということはない。道は百も千も万もある。
物事は多角的に見なければいけないということでしょうか。


何でも思い切ってやってみることだ。石ころ同様、骨となって一生を終える。
どうせ死んでしまったら同じなのだから、それなら中途半端にやるよりも思いっきりやってしまったほうが良いと言う事でしょうか。


恥ということを打ち捨てて、世のことは成るべし


世に生を得るは、事を為すにあり


世の人は 我を何と言われても 我が為す事は 我のみぞ知る



こんな事を龍馬に言われたら、「何かしなくてはいけない」と思ってしまうことでしょう

どれも目的のために誠実で私欲を垣間見ない、公正明大な名言たちです。

来年の大河ドラマが楽しみですね。


最近買った龍馬本です。これも面白そうです。
龍馬の如く―自分らしく幸せに生きる82の法則