京橋駅の忘れてはいけない日 8月14日 | よしまるのブログ

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皆さんは知っていますか?大阪の京橋駅で多く人達が亡くなった事を。
私は通勤で毎日、片町線の京橋駅を通過しています。京橋に寄り道をした夏のある日、駅の改札に「京橋駅空襲慰霊祭」の案内が掲げられているのが目とまりました。
 




大阪城の周辺は砲兵工廠があったと両親かから聞いていたので、戦争末期の空襲は酷かったのだろうなと思いましたがそれ以上の思いはありませんでした。


大阪砲兵工廠は大阪城の北側、西側付近を中心に今の大阪ビジネスパーク、大阪城ホール、JR森之宮車庫のあたりになります。


そして最近になり再度、慰霊祭の案内が目にとまり京橋駅空襲の事を調べてみました。

それは終戦前日の昭和20年8月14日空襲で京橋駅停車した列車の大勢の乗客は環状線と上下で交差するガード下の片町線ホームに逃げ込んだ。

そこに1トン爆弾が直撃し、犠牲者は700人以上と言われている。

当時は身元がわかるように胸元に氏名と連絡先を縫い付けていたが、爆弾の威力がものすごく身元が判明した人は200人ほどだったそうです。


片町線の京橋駅下りホーム(木津方面)の環状線のガード下には開業当時のものと思われるレンガ造りの橋脚の壁面が残っており、毎日通るこの壁の前で悲惨な出来事があり多くの人が亡くなっているのです。

犠牲者には砲兵工廠に勤労奉仕で駆り出された女子挺身隊や女学生が多くいたそうです。


私の母も14歳で女子挺身隊として否応なく鹿児島の離島から駆り出され大阪に出てきたそうです。





JR京橋駅 南口横の慰霊碑


戦争を知らない私も夏は静かに戦没者を追悼したいと思います。