さよならは突然に | のんべぃヨリコの「山形のお酒大好き」

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人は必ず、いつか人生の幕を閉じるのだ、ということを

改めて知った、のんべぃヨリコです。

 

4月29日、父が旅立ちました。

 

 

1月に食欲がない!と騒ぎ、入院しましたが

先生から「困ったことに、どこも悪くないんです・・・」と言われるほど元気を回復。

またいつも通りの、わがままし放題の生活をしていたのですが

入院する三日前頃から、再び食事がとれない状態となりました。

さすがにおかしい!と思い救急外来に連れて行ったところ

食道からお腹にかけて、水がたまり、そのせいで食事がとれない状態と言われ

すぐに入院治療をしました。

それから1週間。

あまりにもあっけなく、そして突然に父は逝ってしましました。

 

大酒飲みで、酒乱で、何度母が泣く姿をみてきたでしょう。

午前様だろうと、なんだろうと夜中にお客様を連れてきては

大騒ぎをし、挙句の果てに暴れる。

ワガママで、自己中心的、食べたいものを食べ、飲みたいものを飲む。

そんな父がキライでキライで仕方なかった。

軽蔑すらしてた。

 

父が死んでも絶対に泣かない! そんな自信すらあったのに

ワンワン泣いてる自分に正直驚いてます。

 

父は54歳の時に声帯癌を患い、声のほとんどを失いました。

大酒のみではあったけど、仕事においては

数々の金字塔を打ち立てるほどの仕事好きだったので

第一線から退くことを余儀なくされた苦しみは相当なものでした。

イライラしては当たりちらし、子供たちは「こわかったー」と当時を振り返るほどでした。

 

必然的に仕事の大部分を私たちがするようになりましたが

仕事のやり方を、一言も教えることはなかったですし

私も意地でも聞かない!と決めていました。

 

ただ、心のどこかで、もし、もしも本当に困ったことがあったら

父がいてくれる、絶対助けてくれる!と思う自分がいたので

(なんででしょうねー)

今、その父がいなくなって、ものすごく不安で、心細くて仕方ありません。

 

晩年、相変わらずわがままし放題とはいえ

穏やかになった父は、

「迷惑かけてわれなー」 「よろしく頼むな」 「ありがどさま」

そんな言葉を一日に何度も私にかけてくれました。

 

表現の方法は、普通のお父さんとかなり違ってる部分はありましたが

私たち姉妹を、それはそれは大事に、そして何ひとつ不自由なく育ててもらったことは、

やはり感謝の気持ちしかありません。

 

父のいなくなった家は、あまりにもガランとしてて寒くて

今更ながらに、父の存在感を感じます。

 

あんなにキライだったのに、もう一度会いたい。

もう一度ケンカをしたい。 もう一度一緒に出掛けたい。

 

入院する前まで、母がいることもあり、ずっと同じ部屋で寝ていました。

朝起きると「おはよう! 今日もよろしくな」

そんな会話から一日が始まっていました。

 

朝目が覚めると、そんな父の声が聞こえそうで

まだ父がそこにいるようで仕方ありません。

 

あーあ、大キライだったのに! なんで?なんで?なんでこうなるの?

もしかしたら、ファザコンだったのかしら?

イヤイヤ、決してそんなことはない!と思いつつも寂しくてたまらないです。

 

ブログやフェイスブックでは、ちょくちょく登場していた父に

あたたかいコメントをくださり、心から御礼申し上げます。

父のいない生活に慣れるには、もう少し時間がかかりそうですが

いつか父に「よく頑張ったな」とほめてもらえるよう

頑張りますので、どうぞよろしくお願いいたします。