旧約聖書 ホセア書 4章1節
「主の言葉を聞け、イスラエルの人々よ。主はこの国の住民を告発される。この国には、誠実さも、いつくしみも、神を知ることもないからだ」

イスラエルの人々は神様を信じながら生きていましたが、自分たちの思いが優先されていました。
形として礼拝の時間が守られ、ささげものがささげられていました。
しかし、それは心からのものではありませんでした。

もし心からのものであるなら、神様と心がつながり、神様が喜ばれる生き方を選んでいくはずです。
しかし、人々の信仰は形だけのものになっていました。

その結果、「誠実さも、いつくしみも、神を知ることもない」状態になっていました。
預言者ホセアの言葉は続きます。

「のろい、あざむき、人殺し、盗み、姦淫がはびこり、流血に流血が続いている。それゆえ、この地は渇き、そこに住む者は皆、衰え果て・・・」(2~3節)

今から2500年前のイスラエルのことが言われているのですが、現代の私たちの世界のことを言われているようです。

「彼らは羊と牛をたずさえて主を尋ね求めるが、見いだすことはできない」(5章6節)

お金や物をささげて神様に願いどおりに動いてもらうことはできません。

神様は言われます。
「私が喜ぶのは、愛であっていけにえではなく、神を知ることであって、焼き尽くすささげものではない」(6章6節)

「わたしは立ち去り、自分の場所に戻っていよう。彼らが罪を認めて、わたしを尋ね求め、苦しみの中で私を探し求めるまで」(5章15節)

自分の思いを神様に知ってもらおうと一生懸命になる必要はありません。
もう知っておられます。

神様が望んでおられるのは、あなたが神様の思いを知ることです。

ホセアを通して祈りの言葉が教えられています。

「さあ、我々は主のもとに帰ろう。
 主は我々を引き裂かれたが、いやし、我々を打たれたが、傷を包んでくださる。
 二日の後、立ちあがらせてくださる。
 我々は御前に生きる。
 我々は主を知ろう。
 主を知ることを追い求めよう。
 主は曙(あけぼの)の光のように必ず現われ、
 降り注ぐ雨のように、大地をうるおす春雨のように、
 我々を訪れてくださる」(6章1~3節)

神様が宝物のあなたを訪れてくださいます。
必要なことは、愛し導いて下さる神様を知りたいと願うことだけです。