旧約聖書 イザヤ書 58章9節
「あなたが呼べば主は答え、あなたが叫べば『わたしはここにいる』と言われる」

「断食」
人間が生きるために必要な「食べること」をやめて心を神様に向ける・・・
とてもスゴイことで、それをする人はスゴイ人というように思われるかもしれません。
確かに断食して神様とのつながりを求める思いは貴いものです。
動機が問題です。

「自分の願いを神様に聞いてもらおうとしているのか」
「神様の思いを聞いて(確認して)従おうとしているのか」

自分の思いが優先しているなら…、まわりの人とは関係なく自分の願いだけを優先しているのなら、祝福をあまり期待できません。
しかし、「神様の思いを聞くこと(確かめること)」を求めているのなら、そして、「それに従うこと」を求めているのなら、神様の祝福は満ちあふれます。

預言者イザヤを通して神様が言っておられます。

「わたしの選ぶ断食とはこれではないか。悪による束縛を断ち、軛(くびき:しばりつけているもの)の結び目をほどいて、しいたげられた人を解放し、軛をことごとく折ること。
更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え、さまよう貧しい人を家に招き入れ、裸の人に会えば衣を着せかけ、同胞に助けを惜しまないこと。
そうすれば、あなたの光は曙のように射し出で、あなたの傷は速やかにいやされる。
あなたの正義があなたを先導し、主の栄光があなたのしんがりを守る。
あなたが呼べば主は答え、あなたが叫べば「わたしはここにいる」と言われる。
軛を負わすこと、指をさすこと、呪いの言葉をはくことをあなたの中から取り去るなら、
飢えている人に心を配り、苦しめられている人の願いを満たすなら、
あなたの光は、闇の中に輝き出で、あなたを包む闇は、真昼のようになる。
主は常にあなたを導き、焼けつく地であなたの渇きをいやし、骨に力を与えてくださる。
あなたは潤された園、水の涸れない泉となる。
人々はあなたの古い廃虚を築き直し、あなたは代々の礎を据え直す。
人はあなたを「城壁の破れを直す者」と呼び、「道を直して、人を再び住まわせる者」と呼ぶ。

安息日に歩き回ることをやめ、わたしの聖なる日にしたい事をするのをやめ、安息日を喜びの日と呼び、主の聖日を尊ぶべき日と呼び、これを尊び、旅をするのをやめ、したいことをし続けず、取り引きを慎むなら、
そのとき、あなたは主を喜びとする。
わたしはあなたに地の聖なる高台を支配させ、父祖ヤコブの嗣業を享受させる。主の口がこう宣言される」(6~14節)

神様とつながることは、一緒に生かされている命を大切にすることと一体なのです。

みんな神様の宝物ですから。