(その1から つづき)

父親の思いは言葉になってつい出てしまいました。
「できれば・・・」

イエスは言われます。「『できれば』というのか?」

父親は必死になって言いました。
「信じます。信仰のないわたしをお助け下さい」(24節)

「イエスは、群衆が走り寄って来るのを見ると、汚れた霊をお叱りになった。
『ものも言わせず、耳も聞こえさせない霊、わたしの命令だ。この子から出て行け。二度とこの子の中に入るな』 すると、霊は叫び声をあげ、ひどく引きつけさせて出て行った。その子は死んだようになったので、多くの者が、『死んでしまった』と言った。しかし、イエスが手を取って起こされると、立ち上がった」(25~27節)

その後、弟子たちはイエス・キリストに尋ねたのです。
「なぜ、わたしたちはあの霊を追い出せなかったのでしょうか?」

弟子たちはイエス・キリストの名を用いて追い出そうとしていたはずです。
しかし追い出せませんでした。
するとイエスが答えられました。

「この種のものは、祈りによらなけらば決して追い出すことはできないのだ」(29節)

「祈り」って何でしょう?

祈りは神様との会話です。
すべてのものに命を与え、愛して導いておられる方との交わりです。
命は神様との信頼関係を築いてくれます。

たとえ病気がいやされ、悪霊が追い出されても、神様との信頼関係がなければ、おなじことを永遠に続けていかなくてはなりません。

あなたを宝物として愛しておられる神様との関係作りが一番大切なことです。
ここがしっかりしてくれば、どんな困難にも立ち向かっていくことができます。
神様の宝物として。