アフリカ大陸の極西、セネガル国にて。
『極西のパラダイム』
もう、振り返ることが出来る位に時がたって、
この町にも、あの村にも、ここの暮らしにも慣れてきました。
今の僕の気持ちを尋ねてください。
この言葉はこういう時に使うんだなって思うほど、
心の底から素直に真っ直ぐに言えることがあって、
それは、「この国がとても好きです」とシンプルです。
良かった初めの印象が、
いつかどこかで綻びるんじゃないかって、
無駄な心配をしてた自分がいました。
そんな余計な杞憂を捨て去って、
体ごと預けるように、全てを受け入れたい。
母なる人間の大地に包み込まれて。
言葉の通じないはずの虫たちは、
容赦なく寝床を侵して騒がしいです。
でも、本当に不思議なことに、
そんな彼らの意思がなんとなく透けて見えてきます。
害虫とか名付けられた生命の抵抗。
僕は人間側に立って、しぶとく好敵手と戦います。
まるで雨粒の中に種が仕込んであったかのように、
砂の大地に柔らかな緑の絨毯が広がります。
それを子山羊から角牛までがひねもす食んでは整えます。
でもその多くは雑草という不名誉で厄介な存在です。
僕はこれも農民の味方になって強力な兵器を撒布します。
極西のパラダイムは言葉になりそうでならなくて、
正確に伝えようと思う程に、語彙は想像の上を超えてしまいます。
例えば、「北半球から低く見上げる南十字星は、
とっても“カンパネルティック”で、
どことなく“シャルルランテ”なんだよね。」って具合に。
割と有名な“テランガ”って言葉は「もてなしの心」という意味だそうですが、
そんな和訳を特大の三尺玉花火で打ち上げたように、
鮮やかで華やかで暖かで、思い出すだけで老後まで笑えるような心です。
極東のパラダイムを抱えて、
僕はぼこぼこに踏み固められた道を往きます。
目を開けたまま昼寝してるロバに挨拶したりして。
肌の色が違うのを物珍しそうに駆け寄る子ども達と一緒に。
厳しい現実を巧みに隠した笑顔の婦人達と共に働きます。
裏も表もありのままに生きる複雑で賢い紳士達に学びながら。
悲しみも勘違いもカルチャーショックも、
極西のパラダイムに融けて僕の血に混じって来い。
始まったばかりのパラダイムシフト。
見逃さないように眼鏡を外して心を開いて。