「 軌 跡 」 YVN副代表 兼 学生プロジェクトリーダー辻卓朗
今までの自分について振り返ろうと思います。
私は中学校に入ってから、半年くらいで中学校へ行かなくなりました。
なぜ学校へ行かなければならないのか解らなくなったからです。
それから毎日、何をしても楽しいと思うことが出来なくなりました。
何のために生きるのか、何のために頑張るのかが徐々に解らなくなっていきました。
こうなった理由は、過去を、引きずっていたからだと、感じています。
私が小学生の高学年まで、父親が母や、兄弟に、暴力を振るっていました。
時には、私にも暴力を振ってきました。
小学校の高学年になるくらいに、突然両親が離婚しました。
離婚した途端家族がバラバラになってしまいました。
私自身どこかそのことを引きずり、悲劇の主人公になっていました。
そして悲劇的みたいに周りに話をすれば、周りが慰めてくれることに味をしめていました。
ですがあることをきっかけに、そんな日々から抜け出すことが出来ました。
中学校を卒業後、母の紹介である身障害者施設で、ボランティアをすることになりました。
最初は、色々なことに戸惑い、休みたい、やる理由が分からない、と理由をつけて辞めようとしました。
それでも続けている中で私自身の何かが変わっていきました。
最初の頃は、利用者さんや、職員さんと話すことが殆ど無かったのにいつからか笑顔で話をしていました。
そのへんですが何よりそんな自分の変化が嬉しかったのです。
ですがその施設で、皆さんに優しくされると心が痛かったのです。
少し前までは、自ら優しさを求めていたのに。なぜか、ものすごく辛かったのです。
ボランティアを始めて半年たつくらいにある知的障害者の施設でバイトを始めました。
そしてその施設である人に、出会いました。その人は、「ボランティアコーディネーター」という、専門職を、その施設でやっている人でした。
私はその人から多くのことを学び、その人から、夢を貰いました。
ある日この人と二人きりで食事をする機会がありました。
その時、その人の過去を聞きました。
うつ病になったこと、大切な、親友の自殺など、私には想像のつかない、辛い過去でした。
それでもこの人は、毎日笑顔を絶やさず、過去を大切な経験としていました。
また私の今までの人生に対して「頑張ったね」の一言をかけてくれました。
ただそれだけなのに、心の雲が晴れた気がしました。
そして周りからの優しさが痛かったわけも分かりました。
それは、皆からの優しさが無償の物だったからです。
だから素直に受け入れられなかったんだと思います。
それから優しさへの痛みがなくなりました。そしてあることに気づきました。
本当に強い人は、喧嘩が強いとか、力があるとかじゃなくて、人の心の痛みが解る、てことなんだ、と思いました。
そしてその人が強い人だったのです。
この時、私はいつか、こんな人になりたい、と思うようになり、憧れであり、目標とする人になりました。
それからもバイトと、ボランティアを続けていくなかで、自分の夢ができました。
それは、憧れの人がやっているボランティアコーディネーターです。
そのことを憧れの人に話したら自分のことのように大喜びをしてくれました。
そして高校へ行くことを薦めてもらいました。
私自身、どうせ目指すんだからボランティアマネージャーを目指したいと思いました。そのためにも、高校へ行くことを決めました。
今学校へ行く中にも多くの出会いや気づきがあります。どれも大事なもので、どれもかけがえの無いものです。
その人が言ってました。「諦めるのは最後の最後今じゃない」この言葉を信じ生きていきます。今も、この先も。
いつか夢を叶えた時、その人に最高の笑顔で会えるように、今は全力で、学校へ行き、卒業して、ボランティアマネージャーになって見せます!!
以上、辻君の描いた生活作文より。
この生活作文は県大会に出場した作品です。
坂口は辻くんに夢を持ってほしかった、そんなとき冊子版のオリジナルブレンドを彼に渡した、彼はオリジナルブレンドを熟読してくれ、私が描いてきたオリジナルブレンドが新しい夢への一歩につながった瞬間でした。
私はこの作文を読み、そして彼が語る言葉を聴き、涙がでました。
彼の想いを受け止めることのできる背中を自身がもっているのか?
まだまだそれには私も努力が必要だと思います。
辻くんも私もお互いに夢は大きく描いていきたいと思います
ありがとう卓朗!!
オリジナルブレンド最終夜は、新しい夜明けの始まりです!!
坂口平(Taira Sskaguchi)