舐犢之愛 | 暮らしの中の陽明学

舐犢之愛

それ諸疳(しょかん)は肥甘、飲食の致す所をいふなり。

けだし、小児の脾胃儒弱、多くは母たるものの舐犢の愛にして、

調養の法を知らず、遂に恣(ほし)いままに甘肥・瓜果・

生冷えの物・一切烹飪(ほうじん)調和の味を食せしめ、

その朝飱(ちょうそん)・暮食をもって

しばらく積滞、膠固(こうこ)を成して、

しかして疳とならざるもの鮮(すくな)し。

 

 

疳というのは、甘いものを食べすぎて食欲が増すのに体がやせることである。

そもそも、子供の胃腸の虚弱は、多くは母親の溺愛によるもので、

食育ということを知らず、子供が欲しがるままに甘いもの、果物やスナック菓子

アイスクリームのような冷たいもの、カロリーの高い煮物を食べさせて、

その上、朝食や夕食ををとるので

しばらくするとそれが滞って、消化管で膠着することで

最終的には疳にならないということが殆どない。

 

  中江藤樹の『捷径医筌』にある言葉です。中江藤樹の弟子に物覚えの悪い大野了佐という人がいました。了佐は医者を目指していましたが、医学書が全く頭に入らず、朝学んだことを夕方にはすべて忘れているという有様でした。中江藤樹の大野了佐に対する指導に時間が割かれる為、一緒に学んでいる弟子たちからは、クレームが続出しました。中江藤樹は、そんな了佐の為に夜を徹して、了佐一人の為に医学書を簡易な表現にした『捷径医筌』を書き上げました。この行為は、中江藤樹の弟子に対する溺愛のようにも感じられますが、中江藤樹の期待に応えて立派な医師になった大野了佐が溺愛に終わらせなかったということも言えるのではないでしょうか?

 

◆ 徒然日記

  今日、日本陽明学研究会の勉強会の帰りに、電車の中で子供がぎゃんぎゃんと泣き喚き、駄々をこねていました。甘いお菓子のおかわりを母親に請求しているようでした。それに対して母親は、「さっき食べたばかりだから」とか「電車の中だからダメだ」とか様々な理由を説明して、請求棄却に徹していました。でも、子供の泣き叫び方が尋常ではなかったので、恐らく、子供は泣き叫べば請求が通るということをこれまでに学習してきたのではないかと思います。そして、母親が請求棄却に徹したのは、子供が泣き叫んだからといって妥協してはいけないということを学習したからなのではないかと思います。まさに教学相長です。


  舐犢(しとく)の愛の「舐」というのは、なめるということで、「犢」とは牛のことです。舐犢の愛とは、母牛が子牛を舐めて育てることで溺愛しすぎることを示しています。