一体之仁 | 暮らしの中の陽明学

一体之仁




一体の仁感じて惻隠の情発するは己に能(あた)わず。然れども、しゐて思ふは非なり。

熊沢蕃山の『集義和書』の言葉ですが、この言葉は、『孟子(公孫丑)』の惻隠の情という言葉を踏まえて書かれています。惻隠の情というのは、人を憐れむ心でどんな人にも具わっているものととらえられています。
『孟子』には、子供が井戸に落ちたのを見ると、誰もが同情し、憐れむ心を持っていると説明しています。それが万人が持っている仁だと説明しています。
熊沢蕃山は、憐れむ心が起こらないからといって、無理に憐れみの思いを持とうとするのも違うのではないかという問題を提起しています。

◆ 徒然日記
 「被害者コスプレ」という言葉を今日始めて知りました。簡単に説明すると、被害者のフリをして振る舞うということになります。

最近、人に被害者コスプレをさせて、それを話題にし、誰もが持っている人を憐れむ心に訴えかけて、民衆を味方につけて社会問題を解決しょうとする手法が横行しているような気がします。情けが深いというのは、良いことなのですが、そこに智慧が伴わないと、却って社会を乱す片棒をかつぐことにもなりかねないということをわきまえなければならないのかもしれません。そんなことまで考えなければならないなんて、本当におかしな世の中です!