さぁ今週もやってきました、ゆう坊の歴史シリーズ~社会人編のお時間です。


この歴史シリーズとは僕の歴史を紐解いていこうというもので、現在毎週水曜日に更新しています。


今は社会人編として、僕がどのようにして今の仕事に就いたのか、その経緯を書いております。バックナンバーはコチラ。


歴史シリーズ#1


歴史シリーズ#2


歴史シリーズ#3


歴史シリーズ#4


歴史シリーズ#5


歴史シリーズ#6


地域密着のパチンコ情報誌を発行するM社に入社した僕。


入社した時には、紹介してくれた元上司の方は他県版を立ち上げるために福岡にはおられず。


しかし、入社してからの不安はまったくといって良いほどありませんでした。


なぜなら、そこにくめっちという優しい先輩がいたからです。


まず、僕に待ち受けていた仕事は、掲載取引がある各店舗にFAXを送る作業から。


そしてFAXの返信がきたら、その情報を元にパソコンで編集していくというもの。


慣れないMACのパソコンと格闘しながら勉強の毎日だったけど、すべてが新鮮で新生活を楽しんでいました。


業務は編集だけではなく、取材、営業とありましたが、入社してすぐに行ったのは佐賀県にある某ホールの取材でした。


最初は先輩社員との同行取材から。


その取材の途中、というか30分ほどホール内でお客さんの写真を撮ったり、店内の写真を撮ったりして終わり。


数時間後に戻って取材する旨を聞き、その間の数時間、何をすれば良いのかと先輩に訪ねたところ…。


先輩「近くに◯◯ってホールがあるけん、そこで打って時間を潰すよ」


僕「え?仕事中だけど打って良いんですか?」


先輩「よかよか!だって他にすることないやん」


その時、なんと良い仕事なんだ!と感動しながら、近くの◯◯ホールに到着。


4号機の鬼浜爆走愚連隊が導入されたばかりの時期で、新台の鬼浜に着席。


その当時、パチスロは好きだったけどさほど詳しくなかった僕。


今のように、携帯サイトを見て打つというようなこともなかったので、あまりよく分からないまま13本負け。


その後、得意だった吉宗に移動し、すぐに565のゾーンでヒットするもバケ。


ゾーンを回してスルーし、12本のマイナス。


そうこうしているうちに夕方の取材になり、いきなりの25本負けを喰らってしまったのです。


仕事中にサボって打てるのは良いけど、こりゃなかなか難儀だぞと。


そう思って取材ホールに戻ったのでした。


ちなみにその先輩社員は鬼浜で勝ち、帰りに牛丼を奢ってもらいました。


その先輩社員とは…。


続。