ドイツとオーストリアの差 | 郵便学者・内藤陽介のブログ

 ドイツとオーストリアの差

 昨日の記事 では第二次大戦後のドイツの分割の話を書きましたが、今日は、その隣のオーストリアの話を一くさり。


 終戦までドイツと一体だったオーストリアは、敗戦後、ドイツと分断された上、米英仏ソの4国によって全土が分割占領されました。首都のウィーンが分割占領された点も、ドイツと同様です。ただし、ドイツがナチス政権の崩壊によって中央政府を喪失したのに対して、オーストリアの場合は、1938年の独墺併合(ナチス・ドイツによる併合)によって消滅していたオーストリア政府が終戦とともに復活。第2共和制が発足したことで、ドイツのような国家分断の悲劇を免れることになりました。

 

 そういった予備知識を頭に入れた上で、↓のカバーを見ていただきましょう。


 オーストリア検閲カバー


 このカバーは、1946年7月、イギリス占領下のグラーツからイタリア宛に差し出されたもので、占領当局によって開封・検閲されています。当局が開封・検閲したことを示す印に“IN DER BRITISCHEN ZONE”の文字がしっかりと入っているので、この地域がイギリス占領下に置かれていたことが一目で分かります。


 4国に分割占領されていたオーストリアは、1955年に独立を果たし、永世中立国として国際社会に復帰します。今年はその50周年でもあるのですが、日本でも、どこかで何かイベントでもやってるんでしょうか。ちょっと、気になっています。


 さて、10月28~30日に東京・池袋のサンシャイン文化会館で開催の<JAPEX >では、今年が戦後60年ということにちなみ、“1945年”にスポットをあてた特別展示を行います。僕も“戦後世界の形成”と題する作品を出品する予定です。作品は日本を含むアジア地域が中心ですが、スペースの許す限り(おかげさまで、“1945年”の企画コーナーでは、予想を大幅に上回る作品があつまり、僕の展示も当初の予定を大幅に圧縮することになりました)、ヨーロッパの事情についても若干触れたいと思っています。是非、月末は池袋にお運びいただき、“1945年”の企画展示をご覧いただけると幸いです。


 *右側のカレンダーの下のブログテーマ一覧に1945年 ( 30 ) のコーナーを作って、特別展示“1945年”の予告編になりそうな過去の記事を展示の予告編としてご覧いただけるようにしています。よろしかったら、クリックしてみてください。