“そこそこがんばろう、ニッポン”で良くね? | プロレスバカなオレの母が認知症になったからってキミには知ったこっちゃないかな?

プロレスバカなオレの母が認知症になったからってキミには知ったこっちゃないかな?

リングパレス育ち、北海道に住む50歳、ファン歴35年のプロレスバカです。
プロレスについてのアレコレやテレビネタ、日常の想いを綴ってます。
そして2016年からは母の認知症についても書き残すことにしました。


今回はかなり感情的というか思いつくままに書いてみます。ですからお読みになる方も感情的になられるかもしれません。


ウチの母は結構ウザい人です。
息子のオレが思うんだから他人様からは相当にウザがられてるんじゃね?
仲良くしてくれてる人って、すんごい忍耐強い人じゃね? って思う(なので、母に対してもっとも忍耐強いのは父ということになるのだが…)。




さて、本題。


昨日から春のセンバツ高校野球が始まって、選手宣誓が感動的だったと評判だったりするんだが。
スローガンが「がんばろう!日本」で、甲子園球場の外側にも「がんばろう!日本」の垂れ幕みたいのがいっぱいぶら下がってんのを見たのな。


いろんな人が、いろんな場面で
「がんばろう!」
「がんばれニッポン」
とか訴えてるんだけど、既に頑張ってる人にとっては
「いや、オレもう頑張ってますけど?」
「これ以上まだ頑張んなくちゃいけないの?」
なんて気にならんだろうか?


「“がんばれ”ばかりでいい加減ウザい」と言うと失礼かもしれないけど、ちょっと「がんばれ」のインフレ状態というか、そんなに「がんばれ」ばかり言われてると逆にプレッシャー与えちゃうんじゃない? とか思うんだよなあ。


前にも書いたんだけどオレ自身「頑張れ」って言葉が好きじゃない。押し付けてるというか、強制してるみたいに感じるから。


でもたとえばね、避難所で不自由な生活を余儀なくされているご本人がインタビューなんかに答えている中で
「頑張ってます」
「頑張ります」
って言ってたり、レポーターの人が
「頑張ってらっしゃいますね」
って客観的に言うのはオレの中では“あり”なんだけどね。


だから元々がひねくれた捉え方をしてるのかもしれないけれどさあ。


でもさ、そんなに頑張ってばかりいたら、いつか“プツンと切れちゃう”ような“ポキンて折れちゃう”ような気がするんだよね。
「頑張ってないヤツは罪」みたいな空気すら感じるし。
実際に被災していない人まで余計な頑張りが過ぎて負担になっちゃうんじゃない? とか思ったりさ。



まあ、そんなわけで
“そこそこがんばろう、ニッポン”
で、いいんじゃない? と思う次第であります。




 真・ヨソジプロレスバカ日記  もしくは「虎の穴」-400f6c69396.gif



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