百田尚樹著「錨を上げよ」 | アジアの季節風

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 百田尚樹氏の自叙伝的小説「錨を上げよ」をやっと読み終えた。

 

 

 この小説は文庫本では4冊にも渡る大長編小説だ。それを最近は殆ど本を読むことが少なくなった私が、一念発起して約1カ月もかけて読み終えた。

 

 最近の私は目も悪くなり、根気もなくなり、記憶力も悪くなりで(元々そんなに良くはなかったが(笑))、小説なんぞ読んでも読んだ端から忘れてしまう(笑)。

 

 だから段々読まなくなってしまったのだが、そんな私がこんな長編を読んだと言うのは画期的な事だった(やったらできるやん!)。

 

 この作品を読もうと思ったきっかけは、百田氏と夫婦漫才を組む有本香氏がユーチューブ動画の中で、この作品は百田氏唯一の純文学だと言っていた事だった。

 

 学生の頃までは純文学しか読まなかった私も、社会人になってからは、司馬遼太郎から始まってすっかりそんな事には拘らなくなった。

 

 それに最近の純文学(端的に言うと芥川賞作家)と呼ばれるものはやたら狭い所に入り込み、暗くて自己満足的で面白くないので読む気にもならない。

 

 その点百田氏の作品はそんなことには拘らず、ただひたすら読者を物語の中に引き込んでいく面白さがある為多くの読者を獲得したのだろう。

 

 だから私も百田氏の作品は殆ど全部読んだつもりだったが、この作品だけはまだ読んでなかった。

 

 しかし読んでみるやはり他の作品同様物語の中にドンドン引き込まれて行った。それでも根気が続かないので読破するには1カ月近くもかかったが・・・。

 

 それにしても百田氏はやはり天才だ。少なくても小説の天才だ。

 

 この小説は百田氏が作家デビューする20年も前の、まだ放送作家だった30歳前後に1年半もかけて書かれた作品らしい。

 

 そして書き終わった後屋根裏の物置に放り投げこまれたままだったらしい。それが日の目を見たのは「永遠の0」で作家デビューした後だったという。

 

 兎に角凄まじい小説だった。よくこんな小説を30歳そこそこの年齢で書けたものだと感心するばかりである。

 

 この小説は百田氏には珍しく一人称小説で、主人公「ぼく」の目で書かれているので、私小説風でもあり、心理描写などには有本香氏が言うように純文学風な処もある。

 

 しかし百田氏自身も言っているように、ここに書かれたことは事実もあるが虚構も微妙に入り交ざっていると私には感じられた。

 

 主人公の「ぼく」は生まれながら枠に嵌められるのが大嫌いな破天荒な人間で、しかも熱くてエネルギッシュで、叩かれても殴られてもめげない強い性格の人間だ。

 

 その為普通の常識を持った人達、特にエリート達から見たら単なる悪漢で、社会の枠からはみ出しただけのバカにしか見えないかもしれない。

 

 なのでこの小説を読んだ読者も、そんな主人公に付いていけない人や、嫌悪する人もいて、途中で読むのを止める人もいたかもしれない。。

 

 しかし私には大変面白かった。特に後半は面白かった。第4巻等はたった1日で読んでしまった。

 

 読みながらこんな人間がやはり世の中にはいるのかも知れないと改めて思った。そしてそんな人間を描き切った百田氏に対しても舌を巻いた。

 

 物語のあらすじはあまりにも長すぎて書く気にもならないから、もし興味のある方は自分で読んでみてください(笑)。