ウッドロー・ウィルソン 心理学的研究 S.フロイト W.C.ブリット | 読書は心の栄養

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主に自分の最近読んだ本の忘備録

ウッドロー・ウィルソン―心理学的研究 (1969年)/紀伊国屋書店
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嘘だらけの日米近現代史」においてウッドロー・ウィルソンのことが書かれていたために、
そのソースたるこの本を借りてきました。
私たちが習う歴史ではアメリカ大統領のウィルソンは、
第一次世界大戦を集結させ、国際連盟を創設し、
14ヶ条の平和原則を提唱した、と習う。

著者のフロイトは世界的に有名な心理学者、あのフロイトです。

彼いわく、ウィルソンは自分をキリストだと思っている、いわゆる「痛い」人です。

p134
ウイルソンが、
「もしキリストが、われわれの立場にいて、
われわれがもっているような機会に恵まれたとしたら、
今日、何をしたであろうか。」
という質問に答えたものがある。

p136
また彼は、「もしキリストが、われわれの立場にいて、
われわれがもっているような機会に恵まれたとしたら、
今日、何をしたであろうか。」と聴衆に問いかけた演説のような宗教的演説もたくさん行った。
この演説では、彼はキリストを代行した。
無意識のなかでは彼はキリストだった。
受動性の流れは、キリストとの同一性を通じて、
邪魔されずにやすやすと聴衆の耳にはいっていったのである。

p143
ウイルソンは、無意識的に自分をキリストと同一視していたので、
ヒブンをユダに見立てるのは容易だったに違いない。
さきに考察したように、ジョゼフ・ラッグルス・ウィルソン師が死んで以来、
父への受動性の流れはますますキリストとの同一視という捌け口を通って
放出されるようになった。
ウィルソンの無意識においては、彼自身はキリストであり、
彼の年下の友人たちは、間違いなくその使徒たちであった。

p199
ハウスはウィルソンを説得した。
その際、ハウスは、たとえば1915年11月10日付の彼の手紙に見られるような議論を用いた。

わたしは思うのですが、われわれは、我が国の影響力を、
国際的義務の順守と世界平和の維持をめざすプランのために発揮しなければなりません。
われわれがそうするのは、単に文明のためばかりでなく、我々自身の幸福のためであります。
現在、ヨーロッパに荒れ狂っているような大虐殺に
我々自身は巻き込まれないと誰が言えるでしょうか。
我々は、より人間的な新しい世界秩序の建設に携わってはいけないのでしょうか。
我々は、陸と海の自由のために我々の力を貸し与えてはいけないのでしょうか。
これは、この世界悲劇のただなかで、
あなたが果たすべく定められている役割であると思います。
これは、かつて人の子に与えられたもっとも高貴な役割であります。
我が国は、どれほど大きな犠牲を払おうとも、あなたのあとについてこの道を進んでゆくでしょう。

無意識においては神であり、キリストであるウッドロー・ウィルソンは、
このような言葉には抵抗できなかった。
自分を神と同一視している彼は、
「かつて人の子に与えられたもっとも高貴な役割」を果たさなければならなかった。
彼は、ハウスに説得されて、自分が救世主キリストになれると信じた。
このようにして、キリストとの同一視は、平和から戦争へと宗旨を変えた。

p249
彼の理性は、男性的闘争への恐怖と、キリストになりたいという無意識的欲望との奴隷となり、
闘争せずともすべての望みがかなえられ、敵にすべての武器を引き渡せば、
敵はこの高貴な振る舞いに感動して聖人に変わるだろうという安易な理論を捏造した。

p289
4日あと、彼(クレマンソー:当時のフランス大統領)はウィルソンについて、
「彼は、人間を改革するために地上に降り立った第二のキリストのつもりでいる」といった。


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大統領はアメリカ以外の世界を知らない井の中の蛙だったので、
彼の無意識的欲望は、国内政策よりも外交政策において自由に表現されることになった。
ーー中略ーー
演説するのに必要な事実は勉強したのだが、
自分のしゃべっている言葉の意味がわからないことも間々あった。
講和会議へと向かう途中、ジョージ・ワシントン号上で、ウィルソンは、
ボヘミアをチェコスロヴァキアに与えるつもりであるといった。
それではボヘミアにいる300万のドイツ人をどうするつもりかと尋ねられて、
彼は「ボヘミアにドイツ人が300万もいるんだって!変だな!
マサリックはそんなこと言ってなかったよ!」と答えた。

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ウィルソンは、アメリカを戦争に巻き込ませたくないと心から願った。
彼は平和主義者ではなかった。
彼はハウスに次のように言ったことがある。
「現代の我が国の政治家には、戦争は大いに非難されるべきものだという
意見を抱いているものが多いが、そのような意見には賛成しかねる。
戦争は、経済的観点からすれば破滅的と思うが、
戦死以上に光栄ある死に方はないと信ずる。」

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ウィルソンは、14か条の平和原則に基づき、戦後賠償などを避ける意思を取り続けていたが、
1919年の4月8日に屈服した。
つまり、フランスの意向通りドイツから多額の戦後賠償を取ることを決定した。

p310
先に述べたように、ウィルソンは、自分が救世主キリストであるという信念を失うことなく、
屈服することができればいいわけだった。
そのための何らかの合理化を発見しさえすれば、苦しい内的葛藤を解消できるわけだった。
彼は、そのような合理化を一つどころか、三つも発見した!
ーー中略ーー
もちろん最大の口実は国際連盟だった。
彼は、14か条を基礎として講和を結ぶという制約に違反する妥協をするたびごとに、
その晩、周囲の人たちに
国際連盟がこの決定を訂正するに違いないという自信がなかったなら、
そんなことを断じてしなかっただろう」と言ったものだった。
彼は、国際連盟が、講和条約の不正な条項をすべて変更してくれるだろうと確信していた。
国際連盟は議会ではなく、連盟総会の各員が絶対的な拒否権を持っているのだから、
どうして国際連盟が条約を変更できるのかとたずねられると、彼は、
現在の国際連盟では条約を変更できないのは本当だが、
国際連盟そのものが変更されて、だんだんと強力なものになり、
ついには、条約を変更できるほど強力になれば、そのときには条約を変更するだろう、と答えた。
このようにして彼は、戦わなければならない道徳的義務から逃れたのであった。
ーー中略ーー
彼は素晴らしい詭弁を思いついた。
自分がヨーロッパにやってきたのは、国際協力の原則を打ち立てるためだったから、
この原則を支持し、ロイド・ジョージ(当時のイギリス首相)およびクレマンソーと協力する義務があった。
そのためには、一四か条と一致しがたいような妥協をするのも
彼は、「国際協力」ということばの字面だけに目を注いでいたので、
国際協力という名のもとになされた妥協が実際には国際協力を不可能にするものだったことを
無視していられた
のである。
ーー中略ーー
彼が考え出した第三の口実はボルシェヴィズム(いわゆる共産主義)だった。
(中略)フランス軍がドイツに侵入し、化学兵器ですべての都市を破壊し、
女子供を虐殺し、全ヨーロッパを征服するだろう、
そうなれば、次には共産革命が荒れ狂うだろう、というのが彼の描いた図だった。
「ヨーロッパは火事だ。私はその火事に油を注ぐようなことはできぬ」
と彼は繰り返し繰り返し言った。
彼は、自分が戦おうとする個人的な男性的欲望を抑えたのは、
その男性的欲望のままに動いていたとすれば生じたはずの恐ろしい結末から
ヨーロッパを守るためだったとついには確信できたのだった。
戦わなかったのは、自己犠牲の行為というわけだった。
このいささかまわりくどい道を通って彼は、
人類の幸福のためにおれは自己を犠牲にしたのだ、だからキリストに似ているのだ
という確信をますます強めることができた。