だれが中国をつくったか 岡田英弘 | 読書は心の栄養

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主に自分の最近読んだ本の忘備録

だれが中国をつくったか 負け惜しみの歴史観 (PHP新書)/PHP研究所
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この本は新書で薄いのですが、内容が濃く
色々な新しい考えを知りました。

最も衝撃的だったのが、元のあと、明王朝になるわけですが、
この段階で元は滅んでいなかった、ということ。
元はただ支那を捨ててモンゴルに引いただけでした。
その後も清国があらわれるまでは王朝が続いていたのです。


中国の歴史とは、「正統」の歴史だという。
夏→殷→周→秦→漢とつづく「正統」を伝えることが「伝統」であり、中国史である。

伝統の手続きとしては「世襲」が原則であるが、
これだけだと各王朝が存在することを説明できないため、
次のような解釈をしている。
王朝の「徳」(エネルギー)が衰えると、「天」がその「命」を革(あらた)める(取り去る、革命)。
そして新たな王朝が「天命」を受け(受命)、それに「正統」が移る、という。

これを正当化するために、様々な捏造が入る
現在の台湾を認めないのもわかるでしょう。
中華人民共和国の前の王朝は中華民国である。
自国が正統であるためには、中華民国という国は存在してはいけない。

だからこそ中華人民共和国は一国一政府の原則を譲らない。

<史記>
「皇帝」という文字がある。
「皇」は「王」の上に立つもの、という意味がことから秦の始皇帝が使い始めた、と聞きました。
では「帝」とは何なのか
「帝」に「口」を加えると「敵」「適」「摘」といういずれも「てき」と読む漢字の旁(つくり)になる。
かつては「帝」とこれらの漢字は同じ読みをしていた。
肩を並べることを匹敵
本妻を嫡妻
ぴったり合うことを適当
というように、「帝」という字は本来「配偶者」を意味する。
秦が統一する前の各都市国家にはそれぞれ守護神たる大地母神がある。
大地母神は天の神の妻となって、都市国家の王家の始祖を産む
この大地母神の「配偶者」である「天の神」が、すなわち「帝」である。

中国の古代には、
夏、殷、という古代国家が存在する。
この夏の物語、「夏本紀」ではよく水害の話が出ている。
中国の川に長江という川があり、長江以南の川は「江」と呼ばれているのだが、
この言葉はタイ語である。
浙江省、福建省、広東省の海岸地域に住む人々の言葉にはタイ語の痕跡が顕著に見られるという。
著者は東南アジア系の文化を夏人が北方に伝えたのだろう、と考えている。

「殷本紀」によると殷の始祖の母である簡狄(かんてき:狄は北方の狩猟民)といい、
有戎(ゆうじゅう:戎は西方の遊牧民)の娘だった。
このことから殷は北方の遊牧民の出身であることは間違いないという

「周本紀」によると周の始祖の母は姜原(きょうげん:姜は西方の遊牧民)といい、
有台(ゆうたい)の娘だった。
このことなどから周は西方の遊牧民の出身だという。

周を滅ぼした秦も西戎におり、西方の遊牧民出身だという。

つまり、秦の頃までは異国の民族が混雑した状況であり、
「中国人」などという民族もまだ存在しなかった
ことになります。


<科挙と軍事>
隋の時代に科挙が始まり、唐の時代に本格的に政治に組み込まれるようになった。
すると、儒教は信仰内容にはなく消滅し、政治にも影響しなかったが、
儒教の政治学の用語や観念だけは残り、
科挙出身の文人官僚が歴史をまとめる際の価値判断に影響をあたえるようになりました。

その一例が歴史の軍事面の軽視です。
中国のどんな王朝であっても、政権の本当の基盤は軍隊であり、
本当の最高権力は皇帝をとりまく軍人たちが握っていました。
現代の中華人民共和国でも、真の最高権力集団は
中央軍事委員会であって、
中国共産党中央委員会ではないのを見ても分かる。
しかし軍人は文字の知識がなく、記録には縁がない。
そのため、唐以降、正史には軍人の言い分は現れないようになりました。

このため、中国の政治は文人政治であったかのような誤解を与える結果となりました。