伊藤博文暗殺の様々な疑問 | 読書は心の栄養

読書は心の栄養

主に自分の最近読んだ本の忘備録

日本史を習っていれば、伊藤博文が当時大韓帝国の安重根に暗殺された、と習うだろう。

だが、本当か・・・・

この件に関してはまだ調べきれてないので、「事実」と「読んだ・聞いた事実(確信が持てない)」、そこから出る「私の考え」に分けようと思う。
以前、武田鉄矢氏の動画を紹介したのだが、伊藤博文について紹介されており、いくつか誤解されると困るので考え途中ですが、記事にします。

<事実>
・伊藤博文はハルピンで銃で暗殺された
・ハルピンは北満州に属するので、ロシア領である
・取り締まり・逮捕・調査はロシアが行う
・暗殺の場に安重根はいて、5から6発銃を撃った
・銃声は10発ほどあった
・伊藤博文は暗殺時、韓国統監ではなかった(既に辞任している)
・伊藤博文は元老、つまり憲法外の当時の最高権力者集団の中で唯一韓国併合に反対していた
・安重根の息子は親日家

<確信が持てない>
・検死結果、伊藤を死に至らしめた銃の弾道が上から下に向かっている。つまり、暗殺者は伊藤よりも上方から射撃している。(伊藤博文と同行した室田義文貴族院議員の証言)
・安重根は伊藤博文と同程度の身長であり、先述の室田義文の証言によれば、安重根は少ししゃがんで撃った。つまり、下方から上方に向けて撃っている。
・安重根は伊藤博文の顔を知らず、証言では伊藤博文のことを背が高いと言っていたことから、室田義文を伊藤博文だと思った形跡がある。
・怪しい集団を追いかけて行くと、ウラジオストックまで着いた
・安重根の銃はアメリカ製で、伊藤を殺した銃はフランス製
・安重根は獄中で改心し、罪を悔いた

<外務省公文書館の資料>
下は当時の桂総理宛に外務省の人間が出したものと思われる。

この外務省文書では、銃が上から下に撃たれたとは見えない。





<私の考え>
少なくとも、伊藤博文は韓国併合に反対していたのだから、
伊藤博文を暗殺したことは、韓国併合への障害をなくしたことになる。
伊藤博文を殺した人は結果として、韓国併合を早めたことになります。

韓国併合派の日本人が殺した、というのはないだろう。
というのは、伊藤博文は日露戦争も反対で、
日英同盟でなく、日露同盟を結ぼうとしていたが、
日英同盟が実現しそうになると、スッと自分の意見を引いたからだ。
そして、今回の併合では英米が急かしていたし、ロシアも文句を言わなかった以上、
伊藤は自己の意見よりも国家に重きをおく人であり、
自分の意見に意固地にはならない、といえる。
だから、韓国併合派が政策を進め、いよいよ、ということになれば
伊藤も韓国併合の中での最善策を考慮するようになった、と思われるからです。

伊藤博文暗殺」という本を見る限りでは、
ロシアのサポートを受けていた韓民会という団体が関連しているように思われる。
ロシアは日露戦争前には、李氏朝鮮に積極的に接近し、一時は
王がロシア大使館で執政を行なっていたぐらいの仲です。
日本に対する反感を持つグループを支持するのは別に不思議はない。
伊藤博文の暗殺にまでロシアが関わっていたかは不明ですが・・・
おそらく、今後の日本対策のために韓国人グループを囲っていたのは確実でしょうが、
暗殺をするまでのメリットがロシアにあったかどうか、というと私にはそこまでは思えません。

いずれにせよ、日本の歴史の上では、
誰が伊藤博文を殺したか、ということは今となってはあまり価値はないと思う。
むしろ、こうしたことに興味を持ち、当時の日本の状況に
思いを馳せることの方が大切ではないだろうか。