明治37年のインテリジェンス外交 前坂俊之 | 読書は心の栄養

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主に自分の最近読んだ本の忘備録

明治三十七年のインテリジェンス外交――戦争をいかに終わらせるか (祥伝社新書198) (祥伝社.../祥伝社
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この本は日露戦争における外交の争いを題材としている。
なぜなら日本は戦争に勝って、条約で負けたから、非常に題材として良いのだと思います。
この本の悪いところは、
ほとんどを金子堅太郎という当時の政治家の自伝、「日露戦役秘録」の現代口語訳で占められているのだ。
それ自体はいいのだが、どこからどこまでが引用で、どこからどこまで著者の考えなのか、分からない構成になっているのが問題といえば問題です。

この本を読んで思ったのが、当時のアメリカ大統領、セオドア・ルーズベルトは
日露戦争に際して日本とロシアをよく研究し、
かつ日本に非常に好意を持っていた、ということ
ただ、そこにはやはり
ユダヤ人がロシアに虐殺されていたこと
アメリカの金融・銀行、メディアをユダヤ人が支配しており、
ハーバード、ボストン、エールといった各知識層にも多くいたこと

その影響力もあったのだと思います。


この本で印象に残ったのが、以下

クラウゼヴィッツの「戦争論」を引用した
「戦争とは外交の手段である」という有名な言葉
軍事力による戦が「戦争」であり、言葉による戦が「外交」である。
あくまで外交と軍事力の有機的、戦略的な展開が勝利には不可欠で、
外交インテリジェンスこそ、軍事にも劣らぬ破壊力を秘めている。
戦争は軍事力だけでやれるものではない。
戦争を始めるのも終わらせるのも「外交力」なのだ。

<中略>
日本は初体験だった国際外交の大舞台において、
対外交渉力、異文化コミュニケーション能力の低さ、外交力の弱さ
を露呈してしまった。
金子のように、個人でそうした能力を持ち合わせている人が出てきたときは良いが、
そうでないときは、集団として経験の少ないところが弱点となってしまう。

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金子堅太郎とセオドア・ルーズベルトの外務大臣ヘイの会話
ヘイ
「いったい今度の戦争は、日本が米国のために戦っているといっても良いでしょう」
金子
「それはどういうわけですか」
ヘイ
「私は外務大臣として、支那に向かっては門戸開放、機会均等ということを宣言しました。
それをロシアが門戸開放をせずして満州に外国人を入れません。
満州においては機会均等ではないのです。
満州をロシアの勢力範囲として、米国の商人も入れません。
しかして日本は、満州もやはり支那の一部であるから、
門戸開放をしろ、機会均等をしろと言います。
この結果が、今日の戦争になったのです。
<略>」


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先祖に2人大統領がいるヘンリーアダムスと金子の会話
ヘンリー
「ここに一つ、日本政府に忠告したいことがある。
ロシアは先年ユダヤ人をキシネフ(モルドバ)その他で虐殺している。
ところが、ヨーロッパのユダヤ人は吝嗇(けち)で金持ちで、金権を握っている。
ロシアは軍費を今はフランスから借りているけれども、これは長くは続かない。
そうすると結局、フランス、英国、ドイツに居るユダヤ人から借りなければならないから、
日本政府は早くユダヤ人を懐柔して、
金権を握っているユダヤ人に対してロシアに金を貸すなということを言え」

これはシフというユダヤ人が高橋是清と談判して多くの国債を引き受けてくれたことと合致する

ヘンリー
「なお、日本に忠告したいことがある。
それはフィンランドおよびスウェーデンの地方に日本から密使を送って、
フィンランド人をおだて、スウェーデン人を扇動して、かの地方に内乱を起こさせ、
そうしてロシアの背後をつけ。
<中略>
その扇動の費用は2,3百万円もあったら良かろうと思う。
軍艦一隻沈めたと思えば安いものじゃないか。
<略>」

金子はこのことを桂総理大臣と、小村外務大臣に伝え、
明石元二郎はスウェーデン、ノルウェーに手を回して、かき回した

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満州鉄道は単線だったのだが、どのようにして日露戦争中大量の軍隊を送ることができたのか

単線ということは、車両を通常はモスクワに送り返して再度前線に兵を送る必用があるのだが、
ロシアは一回に車両を20から30台つないで送った後、
その車両は満州の倉庫に置いていたので、非常に時間を節約することができた。

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講和条約に際して金子に対して
ルーズベルト
「さていよいよ講和条約になるものとみて、君に忠告することがあります。
ロシアに対してこれまで何べん講和談判のことを言っても、
ロシアの領地は日本軍が占領しておらぬからといって拒絶しました。
そこで、只今から二個旅団の軍隊と砲艦二隻を持って樺太を取りなさい。
早くかの領土を占領しなさい。
講和談判に入る前に、今のうちならばよいから、
早く樺太をとれということを日本政府に言ってくれたまえ」

これを通知すると、日本政府で1ヶ月ほどスッタモンダがあって
樺太全土を占領しました。

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講和条約交渉中のこと
ルーズベルト
「さて今度の戦争は、日本の大勝利、また講和談判も近々に決まろうかとしています。
よって私は、将来を達観して意見を述べたい。
つらつら東洋の有様を見ますと、東洋に国をなして独立の勢力のあるのは日本のみです。
支那・朝鮮・ペルシャ・シャム(タイ)その他あるけれども、
これはまだなかなか独立国というわけにはいきません。
また独立しうる勢力もありません。

そこで日本が、アジアのモンロー主義をとって、アジアの盟主となって、
アジアの諸国を統率して、おのおの独立するように尽力することが急要です。

それには、日本がアジア・モンロー主義を世界に声明して、
欧米からこれ以上アジアの土地を取ったり、
かれこれすることは断然止めさせる方針を日本にとらせたい。
そうして、西はスエズ運河から東はカムチャッカまで、
日本のアジア・モンロー主義の範囲内として、ヨーロッパの人、米国人には手を染めさせない。

既得の権利は別として、かの香港・フィリピン・アモイのごとく
これまで欧米が租借しているところは認めても、
それ以外の土地は一切取らせぬようにしてもらいたい」

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ポーツマス条約で日本は南樺太の割譲を得たが、
経過を見るとどうも
全樺太、あるいは南樺太+買い戻し金(北樺太の)を得られたように見える。
ロシア側の代表者ウィッテが絶対退かないように見せかけ、
それに小村寿太郎が騙されたようにこの本からは見えます。

ウィッテは、小村が「そんな条件呑めるか」と出て行こうとしたら、
待たれよと袖にすがって引きとめようと思っていた、と自身の回想録に書いている。