足りないのは英語だけですよ | 知財業界で仕事スル

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知財業界の片隅で特許事務所経営を担当する弁理士のブログ。

最近は、仕事に直結することをあまり書かなくなってしまいました。

本人は、関連していると思って書いている場合がほとんどなんですが…

最近、「足りないのは英語だけですよ」という機会がとみに増えたように思う。特許事務所業界で働く人や弁理士と話をする際のみならず、いろんな場面で「足りないのは英語だけですよ」と言ってしまうことが多い。一所懸命やっているのに儲からないとか、仕事が減っているとか、というような話を聞くのだが、いろいろさらに聞いてみると、「英語ができるようになれば解決するんじゃないの」というような結論になるのだ。

多くの日本人は一所懸命に仕事をやっているのだけれど、英語だけは外して、その他の領域で一所懸命やっている。今まで一所懸命やってきて、それをさらにもっと一所懸命やる。でも、英語は一所懸命の範疇から外してある。そして、不調のトンネルの出口は見えない。…みたいな感じで仕事をしている人が多いと思う。


私が働く特許事務所業界では昔から、弁理士として必要な3能力と言われるものとして「技術」「法律」「語学」がある。この3つの能力をバランスよく持つことが弁理士としての成功につながるという。

この3要素の説明は、何十年も前からなされて来ているし、私が弁理士になりたての頃にも先輩からそのように教わった。

しかし、そのバランスが言われて久しいにも関わらず、あいかわらずその3要素のうち「語学」の力が足りない。私自身もその点は反省するところであり、語学力うんぬんは私自身へのいましめの意味もある。

弁理士一般に語学力が不十分である。数値化することは不可能だけれども、プロの弁理士として働く上で最低限必要なレベルを仮に100とすると、技術100以上、法律100以上の弁理士はたくさんいる。しかし、語学100の弁理士にはなかなかお目にかかれないのだ。もちろん、語学100でも技術か法律が不十分であれば、これもダメなのであるが、このパターンになっている弁理士は現実にはほとんどいない。問題は、ほぼ間違いなく語学力にある。

基本的に理系の好きな人間は語学は嫌いなのだ。ほとんどが理系で占められている弁理士業界では、語学力不足になるのは必然であり、これは仕方ない… ということで収めてよい話ではない。なぜなら、プロとして弁理士業務を十分にこなすのに語学力がますます重要になってきているからだ。遊びでやっているなら「私は英語は嫌いです」で済むかもしれないが、特許業務のプロとしてクライアントからお金をもらって業務をやっているからには、法律面、技術面のみならず、語学面でも、お金をもらっておかしくないレベルは最低限維持しなければいけない。


さらに面倒なことに、弁理士が「プロとしてやれる」レベルと認められるのに必要な英語レベルは年々上昇しているように見受けられる。私が弁理士になった30年ほど前にも英語力は弁理士として必要な3能力の1つだったが、そのときに世間から求められていた英語力は今にして思えば相当に低かった。もちろん、インターネットの無い時代だし、その当時の「必要レベル」は相対値としては高かったと思うが、絶対値は相当低かった。

その時代から、徐々に徐々に日本の特許業界では海外との取引の重要度が上がり、要求される英語によるコミュニケーションのレベルも上がってきて今に至る。おそらく、まだまだこれからも上がっていくものと思われる。


新人に「英語力としてどれくらいが必要ですか?」と問われることがある。彼らは、TOEIC何点、みたいな答を期待しているようなのだが、残念ながらTOEICは少なくとも私にとっては何の基準にもならない。弁理士を募集して応募してきた人の履歴書にはTOEIC何点、と書かれていることがよくある。高学歴偏重の業界なので、900点以上も珍しくない。しかし、実際の業務ではほとんど役立たずなのである。ちょっとした英文を書くことができないのに、TOEIC900点、というようなことでは、TOEICを基準にしようがない。

「英語力としてどれくらいが必要ですか?」という問いに対し、私は「英語で電話をかけられるレベル」と答えることにしている。特許文書の作成にそれは関係ないだろう、と思われるかもしれないが、私は決してそんなことはないと思っている。



そんなことを考えていて、少し古いが次のような新聞記事を見つけた。

バイリンガル舞妓、海外観光客を魅了
日本経済新聞 2013/12/25 [有料会員限定]

http://www.nikkei.com/article/DGXNASFB1305A_T11C13A2SHA000/

>「マイコ イズ トラディショナル カルチャー」――。京都市内の町家で16日、舞妓(まいこ)の滑らかな英語が響いた。お相手はオーストラリア人女性約20人。日本を知る研修目的で同市を訪れた団体客だ。おもてなしの主役は海外留学経験がある舞妓、名前は富津愈(とみつゆ)。
(以下略)

対応する無料の記事を探したら、これがでてきた。

NZ帰りの“国際派”舞妓デビュー 京都・祇園東
MSNサンケイニュース 2013.7.31

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130731/wlf13073121100037-n1.htm

>京都五花街のひとつ、祇園東で31日、ニュージーランドで留学経験のある舞妓の富津愈(とみつゆ)さんが、デビューに当たる「店出し」をした。花街にも外国人観光客が増える中、英語に堪能な国際派の舞妓として、活躍が期待されている。
(以下略)

この記事によると、この新人舞妓さんは、約4年間、ホームステイをしながらニュージーランドの学校に通ったのだそうだ。日本に帰ってきて、日本の伝統文化を深く知ろうと、2013年2月から仕込(しこみ)としてお茶屋兼置屋(おきや)の「富菊」(京都市東山区)に住み込み、芸事などの修行を積んできたそうだ。

舞妓の業界に入ったのが2013年2月で、その5ヵ月後、10ヵ月後にはそれぞれ別の新聞社が彼女を記事にとりあげたことになる。

この新人よりずっと芸達者ですばらしい能力を身につけた舞妓さんは他にたくさんおられるはずだ。それら先輩を押しのけて、この新人は一挙に世間の注目を浴びたことになる。

そのような離れ業がこの新人にできた理由は何か。いうまでもない。それは、英語である。



ことは、弁理士業界や舞妓業界に限ったことではない。英語が少しできれば一挙に世界がひろがるのに、それをせず、その他の要素の深堀をし続け、その深堀が“重箱の隅つつき”状態になってしまっていて、努力の割りに報われない職業人はたくさんいる。


とは言っても、私もそうだからよくわかるが、英語の勉強は面白くない。できればやりたくない(笑)。

しかし、多くの日本人がそうだからこそ、英語が少しできれば日本人として頭角を現すことが可能になるのだ。英語力を高める努力は、日本人にはコストパフォーマンスの高い努力になる。