続 三陸で生まれた月~このままでは終われない~-TS3W0266.jpg

1945年8月9日。長崎市内に原子爆弾投下された。一方、宮城県内では女川空襲があった日でもある。7月10日の仙台空襲。夜空を焦がす勢いで燃え上がるそれは遠く石巻でも確認できたと言う。全国津々浦々、大なり小なり空襲を受けた中で、宮城県内では仙台空襲(死者約3000人)の次に酷い被害を受けたのは女川空襲(死者200名以上)だった。

横須賀鎮守府女川防備隊と言う海軍の部隊が編成され、女川町が標的にされた。女川駅倉庫、造船所、海軍宿舎などがそれに当たる。そして女川町が焦土化した。その女川の地をあの日の真夏の太陽の陽がじっと睨みつけていたに違いない。女川防備隊の応戦もあり連合国軍側にも被害がでた。3機撃墜。イギリス人一人を捕虜。カナダ人第二次世界大戦最後の犠牲者グレー大尉は女川湾に眠る。67年前の今日8月9日の早朝から10日の出来事である。

仙台空襲の際は事前に偵察された戦前の仙台市内の航空写真が残されている。連合国軍側の機密情報で女川空襲のことが残されていないのかなと疑問に思う。重要な機密文書が各国で公開されている現在である。淡い期待だが、切に願う。

平成元年8月9日、グレー大尉の姉、E・H・ゴーチ夫人らカナダ、女川の偉い方が集まり、カナダ産カコウ岩にプレートをはめた石碑を崎山展望公園にグレー大尉を偲ぶと共に日加の友好と平和を願いグレー大尉の石碑が建立された。宮城県内には東京駅御用達の雄勝石、お隣の稲井石などがある中で、カナダ産の石を使用したことに強い願いが表れている気がしてならない。今、この石碑は震災の影響により女川地域医療センター(旧町立病院)の脇、輝望の丘に鎮座している。また震災時、グレー大尉の地元カナダ・ネルソン市民からの支援があったことも忘れてはならない。ありがとう。

画像は1995年に女川を訪れたグレー大尉の親類。

前エントリーで紹介した石巻高等女学校(現石巻好文館高)の卒業生が記した本には「海岸線を歩けば海軍の方々とすれ違い、胸がときめいた。(思春期の女性の思いが表れてます)」旨が「照源寺に海軍の方が寄宿されていた」などと記載されていた。

http://ameblo.jp/yoshiki-somei/entry-11072923614.html

http://ameblo.jp/yoshiki-somei/entry-11296036147.html

照源寺は浦宿浜にあるので、戦災を受けたのは女川浜、鷲神浜などの町の中心部。小乗浜の防空壕や一小裏の防空壕跡も見てきたが、戦後生まれの私にとっては合点がいかない。と言うより信じたくない気持ちが強いかもしれない。この古里が昔、戦場だったこと言う事実はやはり受け入れがたい。

戦後、傷つけあう事を忘れた日本で。歴代の広島市、長崎市、沖縄県の各々の首長・市民が平和であることのありがたさや戦争の愚かさ、命の尊さを呼びかけている。自分自身でもそれなりに理解しているつもりだ。例え経験した方々との認識に温度差があったとしても。個人として「命の尊さ」には深く共感できる。どうしても根強く染みついているからだ。普通に仕事していたり、生活している中で、ふと思い出すことが希にある。

「もう忘れてしまいたい」

「どこかで区切りをつけたい」

ここ最近は無いけど、昨年の秋くらいまでにはそうやって一人で泣いたこともあった。

戦争。戦後。私と同じ苦しみを当時の方々は抱いたと思う。流動的に時間が流れていく中で、命の重さを伝えなければと言う思いで、悲しみや刻まれた傷を押し殺して、立ち上がった方がいらっしゃる。故に今の日本がある。

震災のことも、いずれ忘れ去られていく。半世紀くらい過ぎれば、復興した街と共に。流動的にあの苦しみも流されるだろう(その前に生きているだろうか)。よく他の方のブログで「女川を訪れました」と書かれ、あの江島共済会館のビルの画像が掲載されている。やはり他の県民の方々にはインパクトが強いようだ。この震災遺構を残す、残さないは町民・町議会でも議論されている。震災の凄まじさ、命の尊さを後世に伝えるのであれば残すべきだ。感情を優先すれば撤去すべき。8月の議会だよりの某議員の答弁にこうあった。

「遺構のあり方には我々大人だけでなく未来の子供達の視点(意見)も必要。時間をかけて議論を重ねる必要がある」

私も賛同したい。戦争があったこと、時間の流れの中で人々の記憶から薄れている現状。女川が戦場だった事実を受け入れられない自分が該当する。

戦国時代のいくさや江戸時代の数回あった大飢饉。戦争。災害。我々の先祖は時代に翻弄されながらも幾多の困難をくぐり抜け命のバトンを繋いできた。大変だったはず。苦しんだはず。命を繋ぐことの意味に思いを馳せる時。志半ばで亡くなっていった若者の存在を知る。私が生き抜いていること。

「偶然」であり「運命」なのだと思う。度々思う、一歩間違えていたら。

昨今、滋賀県大津市のイジメ問題が報道されている。関係者の対応の甘さが目立っている。事故や災害ではなく「救えた命」だっただけに大いに悔やまれる。ただただご冥福をお祈りするばかりだ。