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過去記事リンク集

こちらでは、評判よかった記事、自分で気に入った記事など並べています。




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  • 24 Feb
    • 怒っても意味ないから

      怒りはコミュニケーションの道具である。 これはアドラー心理学の考え方です。 コミュニケーションの道具として言葉があります。 怒りではなく、言葉を使って相手に伝えるようにしていった方が、自分も周りも幸せです。 怒ってしまったとき、「相手に何を伝えたかったのだろうか?」と考えてみる。 それを「言葉でどう伝えればよかったのか?」を考える。 怒りという道具を使わなくても、言葉を使って相手に伝えられると、自分で反省して学習していく。 怒りという道具を使わなくてもいいんだと、本当に腑に落ちれば、怒りという感情は作り出す必要がなくなります。 「怒っても意味ないから」といって、ほとんど怒らない人の話がありました。 そういう人は、怒っても意味ないと腑に落ちてて、怒りの感情を作り出す必要がないから、怒りが出てこないわけです。   逆に言えば、怒る人は、その人にとって「怒る意味があって怒っている」と言えます。 人間の最初に出てきた感情は「恐怖」だと言われています。 恐怖を感じて、身の危険から回避するという、生物として生き残るために、必要な感情だったんです。 感情は必要だから作り出されているんですね。

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  • 23 Feb
    • その人のありのままを個性として受け入れる

      「尊敬とは、人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことである。」 社会心理学者 エーリッヒ・フロム なんでそれくらい出来ないの? 自分が簡単に出来ることであっても、どうがんばっても出来ない個性の人もいるんです。 自分と他人は違うんです。みんな違う個性があるんです。 常識とか普通出来るとかどうでもいい。出来ない人もいるんです。障害だろうがなかろうが関係ない。 「われわれに必要なのは、他者の目で見て、他者の耳で聞き、他者の心で感じることだ」 アルフレッド・アドラー この人はこういう個性なんだと受け入れて、その上で自分がどうするか?それが自分の課題です。 男性脳の人だったら、「女はわからない、難しい、なんでこう考えないの?」とかイライラするのではなくて、この人はこういう個性なんだと。 それでは自分はどう対応すればいい?自分に出来ることはなんだろう? 変えられるのは自分だけ。コントロールできる自分に意識を向ける。 この人はこういう個性だからといって、自分が我慢すればいいと考えるのは不健全な考え方です。 我慢は苦しいです。心身ともに不健康になるので、我慢しない方法を考える。 コメントで書きましたが、自分の心を軽くするために、まずは言葉を変える方法があります。 「時間にルーズな人」この言葉だと悪いイメージで嫌な気分が出やすいですよね。 僕自身は、そういう人のことを「時間におおらかな人」という言葉を使います。 今回書いた、「時間にしばられない大物」とかね。 遅刻しても謝らなくいいっていう価値観も、「遅刻が悪い」という固定観念がないということでもある。 「時間にルーズな人」「時間を守れない人」 という言葉で受け入れるのはなかなか難しい。この言葉の前提は「悪い、ダメ」とか受け入れ難いものがあるから。 「時間におおらかな人」「時間にしばられない大物」「自由な人」 という言葉の方が受け入れやすいと思います。

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    • 自己受容、他者受容

      自分が何か出来ない、苦手でも、それが自分の個性なんだと受け入れる。許してあげることが大切かと思います。 みんなが出来ないことが出来ないとダメだとは考えない。 そんなことじゃ社会に通用しないとか、お前はダメ人間だと否定されても、そんな話は受け入れなくていい。 誰が否定してこようが、自分は自分のことを否定しない。自分を許してあげる。 ありのままの自分を受け入れる。 自己受容と言います。 心理学では、自己受容と他者受容は比例するといわれています。 自分を許して受け入れられる人は、他人も許せる、受け入れられやすくなるということです。 こういうところがあっても、それが私の個性なんだと。 (開き直りと自己受容は違います) そういう見方、受け入れ方が出来れば、他人に対しても、こういうところもこの人の個性なんだなと同じように考えられるようになるんですね。

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  • 22 Feb
    • 遅刻する個性の人

      いつも遅刻する人もそうです。そういう個性なんです。 なんでいつも遅刻するの?なんでなんど言っても直らないの? そういう個性なんです。 真面目な人ほど、遅刻に対してすごく腹立てたりすると思うんです。 「遅刻は悪い」という固定観念もたぶんあるでしょう。 良い悪いは見方や解釈の問題があります。 <@import url(//stat100.ameba.jp/blog/ucs/css/editor/htmlarea.css);br /> どうして遅刻は悪いのか? 遅刻が悪いと考えている人には、その人の考える「正しさ」があるでしょう。 周りに迷惑かけるとか、社会人としての常識とか、色々正論はあるでしょう。 しかし、それはひとつの見方解釈に過ぎない。それが間違っているという意味ではないですよ。 一般的にも「遅刻は悪い」と言う方が多いと思います。 でもそれが絶対的に正しいということではないという話です。 「成功者」と呼ばれるようになった人の話。 その人はサラリーマン時代に遅刻ばかりしていた。 それでよく怒られていた。 「時間も守れない奴は社会で通用しないぞ!」 これは正しいでしょうか? しかし、その人は会社を辞めて、自分で事業をはじめて成功者と呼ばれるようになったんです。 相変わらず、遅刻はよくする人です。 その人が言ってました。 「昔は、遅刻してよく怒られてた、否定されてきた。いまでも会議とか、仕事の関係でも遅刻してしまうけど、肯定されるようになった。」 「○○さんさすがですねー、時間にしばられない大物ですね、と(笑)」 他の人でも、遅刻ばかりしてクビになった人がいた。 会社員に向いてないんだと思って、自分で事業はじめて大富豪になった人もいます。 メンタリストDaiGoさんも遅刻をよくする人です。そういう個性の人です。 1日10冊20冊の心理学の本を読んだり、論文まで読み漁ったりするくらいの人です。 自己コントロールや習慣の身につけ方、心理とかすごく詳しいです。 それでも自分の遅刻だけは直せないと言ってました。 時々人に言われることがあるそうです。「遅刻しない方がいいよ。信用失うよ。仕事なくなるよ。」 それでも、DaiGoさんの中では、遅刻する個性を受け入れているんですよね。 その上で、自分に出来ることをやるしかないわけです。 実際に仕事も順調で困ってないわけです。(いまは大丈夫でもいつか困るんだと思う人もいるかもしれませんが;)

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    • 自分と他人が同じだといつから錯覚していた?

      自分と他人は違う、それぞれ個性が違う。そんなことはわかっているよ。 なんて思う人も多いでしょう。 しかし、本当にそういう前提で考えているでしょうか? 今回ウィキペディアで「個性」という言葉を調べたらこんなことも書かれていました。 「近年では、身体障害者の身体的特徴や精神障害者の症状をも、その人の個性であるという考え方も生まれている。」 障害だったら仕方ない、と受け入れられる人もいるでしょうが、障害だからとか関係ない。 例えば、アスペルガー症候群は、約4000人に1人の割合で発症すると言われています。 でもこれは「診断された数」だけなんですよね。実際はもっと多いと考えられているんです。 障害といっても、診断してもらって、「あなたは○○障害です」と先生に診断されたら、「障害」と言えるだけのこと。 コミュニケーション能力が低いといっても、どこまで低ければ障害といえるのか?国が決めた線引きであったりして、それは時代によって変わったりするんですね。 こういう症状は、A障害です。と昔は言われてたけど、いまは、A障害には、実はB障害とC障害があってとか、研究が進んで細分化されたりするものもあります。 説明がわかりにくいかもしれませんが、「障害だったら仕方ないと受け入れられる」という判断基準はおかしいよねって話です。 「障害」というものが、線引きがはっきりしないし、時代によっても変わるし、診断された人だけ「障害」と認定されるだけのことだから。 障害や病気なら仕方ないけど、障害じゃないなら、みんな(自分)と同じように出来ないとおかしいとか、できなきゃいけないなんてことはない。 障害だろうがなかろうが、多くの人が出来ることを出来ない人だっているし、苦手得意とか個々に個性があります。 このブログで何度か書いたことがある、自分で悪いストーリーを作るという話。 これも、パーソナリティ障害でよくある症状のひとつです。 自分で悪いストーリーを作る人は、よくいるわけです。 そういう障害と認定されていなくても、対人関係苦しいなとか、アスペルガーと認定されていなくても対人関係が苦手で生きずらないなーという人は多くいるわけです。 自分が当たり前に出来ること(みんなが出来ること)でも、出来ない人(個性の人)はいるんですよ。 実際にあった話で、大勢と一緒に食事するのが苦手だという人。 4人で食事行こうって話しになったときに、「私は大勢が苦手で」という。 その人がいなくなってから、「4人って全然多くないよね?なんでいけないの?」て言う人がいた。 最近ブログで書いた定義の話もありますね。 「4人は全然多くない」ってのは自分の定義だよね。 4人で食事に行く話しで、「私は大勢が苦手で」と言う人の定義では、4人は多いということなんだよね。 4人は多いといえるのか?どっちが正しいのか? それぞれの定義で正しい。 相手を理解するときに、自分の定義はどーでもいい。 わかることは、その人は「4人は多くて行くのは難しい」ということ。 その人の見えている感じている世界は厳密にはわからないとしても、その人がいう大勢が苦手というのはわかってあげられるよね。 そういう個性の人なんだよね。 例えば、潔癖症の人で、バスや電車のつり革はつかめない。 僕自身はつり革はまったく気にせずつかめるので、どういう世界が見えているのか厳密にはわからない。 でも、潔癖症でそれができない人がいて、そういう個性だというのはわかる。 前回書いた話のように、女性はわからないなー難しいーとか、潔癖症の人がわからないとか、別に思わないわけです。そういう個性だという捉え方をしているから。

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  • 21 Feb
    • 身体障害者の身体的特徴や精神障害者の症状も個性

      2ch掲示板の創設者のひろゆきさんがこんな話をしていました。 ひろゆきさんの会社にはアスペルガーの人がいる。 アスペルガーとは、アスペルガー症候群といって、発達障害のひとつです。 対人コミュニケーション能力が低くて、対人関係がうまくいきづらい障害と言われています。 ひろゆきさんの会社では、アスペルガーの人がたまに変な発言があったりすることもあるけど、「こいつはそういうやつだからとわかっているから」ほっとくんだと。その人が出来る仕事をやってもらっていて、会社として受け入れられているそうです。 「他の会社だと、こいつなに言ってるかわからねーから、クビにして他のやつ入れよーぜってなっちゃうような社会のような気がします」 というひろゆきさんの話。 僕のいまの会社でも、アスペルガーの人がいます。 周りの人たちは「みんなわかっている」んです。アスペルガーといっても、症状が個々に違うでしょうが、その人個人のことをわかっているなーと思うことが多々あります。 こういうのが苦手でも、こっちは得意で出来るとか、そういう個性として受け入れられています。 自分と同じだと考えていると、なんでこんなのが出来ないの?とか、この人わからないなーとか、男女の違いでも、嘆いたり愚痴ったり、イライラしたりしやすいでしょう。

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    • その人のありのままを個性として受け入れる

      「ボクらの時代」というTV番組で、「外国人だから許されていると思うこと」という話がありました。 外国人タレント3人でトークしていて、楽屋にあいさつ行かなくても、外国人だからと許されているという話。 日本人なら怒るところでも、外国人だからと許せる、受け入れられる、ことがある。 外国人の中にも、人によってそれぞれ個性があります。 男性脳女性脳といっても、人によってそれぞれ個性がありますよね。 個性(こせい)とは、個人や個体の持つ、それ特有の性質・特徴。特に個人のそれに関しては、パーソナリティと呼ばれる。 -ウィキペディア 「みんな自分とは違う個性なんだ」ってことをしっかり認識していれば、受け入れられることは多くなるはずです。怒ることも減ってきます。

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  • 20 Feb
    • ”笑う美容室”

      面白い記事がありました。 テレビを見ながらお仕事する。 『「すいません~注文いいですか?」 テレビに集中していて、聞いてないこともしばしば。   別に誰も怒らない。 店員も何もわるいと思っていない。   おおらかで、細かいことは気にしない、お気楽ミャンマー。』 日本で同じような場面があったら怒る人はいそうですよね。 しかし、ミャンマーだったら、「この国はこういうものなんだな」と受け入れられる人が多いでしょう。 それがわるいと思っていないから誰も怒らない。 絶対にこれはわるい、わるいに決まっているとかはない。 色んな価値観や文化があったりします。 最近書いている、「受け入れる」話ですね。 僕の周りでは、約束の時間に遅れてくる、時間におおらかな人は結構います。 遅れてくるのはいつも想定の範囲内で、一回も怒ったことはありません。 そういう個性だと受け入れています。 実家が沖縄で沖縄の時間感覚が身についている友達がいます。 ウチナータイム(沖縄タイム)という言葉を聞いた事ありますか? 沖縄の人たちはのんびりしていて、集合時間も遅れてくる。 それをかっこよくいってるのが、ウチナータイムというらしいです。 沖縄では集合時間に遅れてきた人を責めたりしません。 ちょっと遅れて怒る人の方が、心に余裕がない人とさえ思われるくらい。 5分~10分くらいの遅刻は、「時間通りに来た」という感覚だそうです。 30分~60分くらいの遅刻が、ウチナータイムの標準と言っている人もいます。 面白いですよね~。 この人はウチナータイムの人なんだなーって思えば、受け入れやすいこともあるかもしれません。

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  • 19 Feb
    • その人のありのままを個性として受け入れる

      前回の寓話でもあるように、「自分とは違うという認識」があれば許せるんですよね。 ちょうど今日放送されてた「ボクらの時代」というTV番組で、「外国人だから許されていると思うこと」という話がありました。 外国人タレント3人でトークしていて、楽屋にあいさつ行かなくても、外国人だからと許されているという話。 日本人なら怒るところでも、外国人だからと許せる、受け入れられる、ことがある。 外国人の中にも、人によってそれぞれ個性があります。 男性脳女性脳といっても、人によってそれぞれ個性がありますよね。 個性(こせい)とは、個人や個体の持つ、それ特有の性質・特徴。特に個人のそれに関しては、パーソナリティと呼ばれる。 -ウィキペディア 「みんな自分とは違う個性なんだ」ってことをしっかり認識していれば、受け入れられることは多くなるはずです。怒ることも減ってきます。 ▼身体障害者の身体的特徴や精神障害者の症状も個性 2ch掲示板の創設者のひろゆきさんがこんな話をしていました。 ひろゆきさんの会社にはアスペルガーの人がいる。 アスペルガーとは、アスペルガー症候群といって、発達障害のひとつです。 対人コミュニケーション能力が低くて、対人関係がうまくいきづらい障害と言われています。 ひろゆきさんの会社では、アスペルガーの人がたまに変な発言があったりすることもあるけど、「こいつはそういうやつだからとわかっているから」ほっとくんだと。その人が出来る仕事をやってもらっていて、会社として受け入れられているそうです。 「他の会社だと、こいつなに言ってるかわからねーから、クビにして他のやつ入れよーぜってなっちゃうような社会のような気がします」 というひろゆきさんの話。 僕のいまの会社でも、アスペルガーの人がいます。 周りの人たちは「みんなわかっている」んです。アスペルガーといっても、症状が個々に違うでしょうが、その人個人のことをわかっているなーと思うことが多々あります。 こういうのが苦手でも、こっちは得意で出来るとか、そういう個性として受け入れられています。 自分と同じだと考えていると、なんでこんなのが出来ないの?とか、この人わからないなーとか、前回書いた、男女の違いでも、嘆いたり愚痴ったり、イライラしたりしやすいでしょう。 ▼自分と他人が同じだといつから錯覚していた? 自分と他人は違う、それぞれ個性が違う。そんなことはわかっているよ。 なんて思う人も多いでしょう。 しかし、本当にそういう前提で考えているでしょうか? 今回ウィキペディアで「個性」という言葉を調べたらこんなことも書かれていました。 「近年では、身体障害者の身体的特徴や精神障害者の症状をも、その人の個性であるという考え方も生まれている。」 障害だったら仕方ない、と受け入れられる人もいるでしょうが、障害だからとか関係ない。 例えば、アスペルガー症候群は、約4000人に1人の割合で発症すると言われています。 でもこれは「診断された数」だけなんですよね。実際はもっと多いと考えられているんです。 障害といっても、診断してもらって、「あなたは○○障害です」と先生に診断されたら、「障害」と言えるだけのこと。 コミュニケーション能力が低いといっても、どこまで低ければ障害といえるのか?国が決めた線引きであったりして、それは時代によって変わったりするんですね。 こういう症状は、A障害です。と昔は言われてたけど、いまは、A障害には、実はB障害とC障害があってとか、研究が進んで細分化されたりするものもあります。 説明がわかりにくいかもしれませんが、「障害だったら仕方ないと受け入れられる」という判断基準はおかしいよねって話です。 「障害」というものが、線引きがはっきりしないし、時代によっても変わるし、診断された人だけ「障害」と認定されるだけのことだから。 障害や病気なら仕方ないけど、障害じゃないなら、みんな(自分)と同じように出来ないとおかしいとか、できなきゃいけないなんてことはない。 障害だろうがなかろうが、多くの人が出来ることを出来ない人だっているし、苦手得意とか個々に個性があります。 このブログで何度か書いたことがある、自分で悪いストーリーを作るという話。 これも、パーソナリティ障害でよくある症状のひとつです。 自分で悪いストーリーを作る人は、よくいるわけです。 そういう障害と認定されていなくても、対人関係苦しいなとか、アスペルガーと認定されていなくても対人関係が苦手で生きずらないなーという人は多くいるわけです。 自分が当たり前に出来ること(みんなが出来ること)でも、出来ない人(個性の人)はいるんですよ。 実際にあった話で、大勢と一緒に食事するのが苦手だという人。 4人で食事行こうって話しになったときに、「私は大勢が苦手で」という。 その人がいなくなってから、「4人って全然多くないよね?なんでいけないの?」て言う人がいた。 最近ブログで書いた定義の話もありますね。 「4人は全然多くない」ってのは自分の定義だよね。 4人で食事に行く話しで、「私は大勢が苦手で」と言う人の定義では、4人は多いということなんだよね。 4人は多いといえるのか?どっちが正しいのか? それぞれの定義で正しい。 相手を理解するときに、自分の定義はどーでもいい。 わかることは、その人は「4人は多くて行くのは難しい」ということ。 その人の見えている感じている世界は厳密にはわからないとしても、その人がいう大勢が苦手というのはわかってあげられるよね。 そういう個性の人なんだよね。 例えば、潔癖症の人で、バスや電車のつり革はつかめない。 僕自身はつり革はまったく気にせずつかめるので、どういう世界が見えているのか厳密にはわからない。 でも、潔癖症でそれができない人がいて、そういう個性だというのはわかる。 前回書いた話のように、女性はわからないなー難しいーとか、潔癖症の人がわからないとか、別に思わないわけです。そういう個性だという捉え方をしているから。 いつも遅刻する人もそうです。そういう個性なんです。 なんでいつも遅刻するの?なんでなんど言っても直らないの? そういう個性なんです。 真面目な人ほど、遅刻に対してすごく腹立てたりすると思うんです。 「遅刻は悪い」という固定観念もたぶんあるでしょう。 良い悪いは見方や解釈の問題があります。 どうして遅刻は悪いのか? 遅刻が悪いと考えている人には、その人の考える「正しさ」があるでしょう。 周りに迷惑かけるとか、社会人としての常識とか、色々正論はあるでしょう。 しかし、それはひとつの見方解釈に過ぎない。それが間違っているという意味ではないですよ。 一般的にも「遅刻は悪い」と言う方が多いと思います。 でもそれが絶対的に正しいということではないという話です。 「成功者」と呼ばれるようになった人の話。 その人はサラリーマン時代に遅刻ばかりしていた。 それでよく怒られていた。 「時間も守れない奴は社会で通用しないぞ!」 これは正しいでしょうか? しかし、その人は会社を辞めて、自分で事業をはじめて成功者と呼ばれるようになったんです。 相変わらず、遅刻はよくする人です。 その人が言ってました。 「昔は、遅刻してよく怒られてた、否定されてきた。いまでも会議とか、仕事の関係でも遅刻してしまうけど、肯定されるようになった。」 「○○さんさすがですねー、時間にしばられない大物ですね、と(笑)」 他の人でも、遅刻ばかりしてクビになった人がいた。 会社員に向いてないんだと思って、自分で事業はじめて大富豪になった人もいます。 メンタリストDaiGoさんも遅刻をよくする人です。そういう個性の人です。 1日10冊20冊の心理学の本を読んだり、論文まで読み漁ったりするくらいの人です。 自己コントロールや習慣の身につけ方、心理とかすごく詳しいです。 それでも自分の遅刻だけは直せないと言ってました。 時々人に言われることがあるそうです。「遅刻しない方がいいよ。信用失うよ。仕事なくなるよ。」 それでも、DaiGoさんの中では、遅刻する個性を受け入れているんですよね。 その上で、自分に出来ることをやるしかないわけです。 実際に仕事も順調で困ってないわけです。(いまは大丈夫でもいつか困るんだと思う人もいるかもしれませんが;) ▼自己受容、他者受容 自分が何か出来ない、苦手でも、それが自分の個性なんだと受け入れる。許してあげることが大切かと思います。 みんなが出来ないことが出来ないとダメだとは考えない。 そんなことじゃ社会に通用しないとか、お前はダメ人間だと否定されても、そんな話は受け入れなくていい。 誰が否定してこようが、自分は自分のことを否定しない。自分を許してあげる。 ありのままの自分を受け入れる。 自己受容と言います。 心理学では、自己受容と他者受容は比例するといわれています。 自分を許して受け入れられる人は、他人も許せる、受け入れられやすくなるということです。 こういうところがあっても、それが私の個性なんだと。 (開き直りと自己受容は違います) そういう見方、受け入れ方が出来れば、他人に対しても、こういうところもこの人の個性なんだなと同じように考えられるようになるんですね。 ▼その人のありのままを個性として受け入れる 「尊敬とは、人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことである。」 社会心理学者 エーリッヒ・フロム なんでそれくらい出来ないの? 自分が簡単に出来ることであっても、どうがんばっても出来ない個性の人もいるんです。 自分と他人は違うんです。みんな違う個性があるんです。 常識とか普通出来るとかどうでもいい。出来ない人もいるんです。障害だろうがなかろうが関係ない。 「われわれに必要なのは、他者の目で見て、他者の耳で聞き、他者の心で感じることだ」 アルフレッド・アドラー この人はこういう個性なんだと受け入れて、その上で自分がどうするか?それが自分の課題です。 男性脳の人だったら、「女はわからない、難しい、なんでこう考えないの?」とかイライラするのではなくて、この人はこういう個性なんだと。 それでは自分はどう対応すればいい?自分に出来ることはなんだろう? 変えられるのは自分だけ。コントロールできる自分に意識を向ける。 この人はこういう個性だからといって、自分が我慢すればいいと考えるのは不健全な考え方です。 我慢は苦しいです。心身ともに不健康になるので、我慢しない方法を考える。 コメントで書きましたが、自分の心を軽くするために、まずは言葉を変える方法があります。 「時間にルーズな人」この言葉だと悪いイメージで嫌な気分が出やすいですよね。 僕自身は、そういう人のことを「時間におおらかな人」という言葉を使います。 今回書いた、「時間にしばられない大物」とかね。 遅刻しても謝らなくいいっていう価値観も、「遅刻が悪い」という固定観念がないということでもある。 「時間にルーズな人」「時間を守れない人」 という言葉で受け入れるのはなかなか難しい。この言葉の前提は「悪い、ダメ」とか受け入れ難いものがあるから。 「時間におおらかな人」「時間にしばられない大物」「自由な人」 という言葉の方が受け入れやすいと思います。 「自分とは違うという認識」があれば許せる 男性は火星人、女性は金星人の寓話 それはすぐには受け入れることのできないものですが、それでも二人は相手は異星人なのだから、こんなことがあって当然、と許し合うことができました。 身体障害者の身体的特徴や精神障害者の症状もその人の個性である 「なんでこれくらい出来ないの?なんでこう考えられないの?わからない」 ↓ 「みんな違う個性だから、厳密にはわからないのは当然」 しかし、 「こういう個性だという捉え方は出来る、こういう個性だとわかってあげることは出来る」 この人はこういう個性だからといって、自分が我慢すればいいとは考えないように気をつける。

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  • 16 Feb
    • 女はわからない?

      こないだある女性がこんな話をしてました。 「男と女は違うからね。なんでこんなこと言うの?なんでこんなこと考えるの?とか、女はわからないなーって思うことあるでしょ?」 って話を振られて考えたら、 「女はわからないなーって思うことはない」 という答えだけども、厳密にはわからないでしょう。 それですぐ言葉が返せなかった。 よく男性が言う、「女は難しい、わからん、理解できん」というような嘆きや愚痴はないですね。 愚痴はよくないから我慢してるということではない。 大好きな猫で例えると、 猫はよく寝ます。よくねるから、ねるこ、で「ねこ」と呼ばれ始めたなんて話があるくらい、猫はよく寝ますよね。 そういう生物ということはわかっている。 ですが、なんでそんなに寝ているのかはわからないです。 生物学的にそれだけ寝る理由は解明されているのかもしれませんが、僕はわかりません。 でも、「猫はわからん、理解できん」というような嘆きや愚痴は言わないですよね。 (猫好きだからそうなのかもしれませんが(笑) 猫がよく寝るのはわかっていることです。 女性に対してもそんな感じです。 なんでここでそんな言動するのか?厳密にはわからないんだけど、ここで女性脳の人が、そういう言動するのはわかるわかる。 ある有名なコピペ 女『車のエンジンがかからないの…』 男『あらら?バッテリーかな?ライトは点く?』 女『昨日まではちゃんと動いてたのに。なんでいきなり動かなくなっちゃうんだろう。』 男『トラブルって怖いよね。で、バッテリーかどうか知りたいんだけどライトは点く?』 女『今日は○○まで行かなきゃならないから車使えないと困るのに』 男『それは困ったね。どう?ライトは点く?』 女『前に乗ってた車はこんな事無かったのに。こんなのに買い替えなきゃよかった。』 男『…ライトは点く?点かない?』 女『○時に約束だからまだ時間あるけどこのままじゃ困る。』 男『そうだね。で、ライトはどうかな?点くかな?』 女『え?ごめんよく聞こえなかった』 男『あ、えーと、、ライトは点くかな?』 女『何で?』 これは男性脳と女性脳の違いをうまく表しているものですね。 男性脳は解決脳とも言われて、解決に向けて考える。 男性脳からしたら、このままじゃ困るよね?じゃあ解決しようよってなるんですけど、女性脳はなかなか解決に向かわない。女性脳は解決より共感が重要。 女性脳の人はそういう生き物なんです。それを受け入れる。 男性脳の人は、 「前の車はどうだったかとか、買い替えなきゃよかったとか、いまはそんなのどーでもいいから」なんて言って怒って解決に急かさない。 猫を無理に起こすようなもの。 いっぱい寝る猫を無理に起こすなんて、猫は辛いんだよ。 なんでこんなに寝てるんだよ!猫はわからんなーとか怒らない。 無理に変えようとしない。そういう生き物です。受け入れる。 同じ女性脳でもそれぞれに色んな個性もありますよね。 厳密にはわからない個性はいっぱいありますけど、そういう個性なんだと、受け入れることは出来るんです。 みんな違うんです。それぞれ色んな個性があるんです。 自分と同じだと考えないことです。 同じだと思っていると、なんでこう考えないんだろう?なんでこうしないんだろう?ってイライラしたり不満が出てしまうんですね。 遅刻ばかりする人も個性なんです。 次回は、そういう個性の話を書く予定です。 その人のありのままを個性として受け入れる。  男性は火星人で女性は金星人であったという寓話。 ある日、男性が望遠鏡を覗いていたら美しい女性の姿が目にとまります。 彼は思いきって声をかけました。 思いがけずデートに応じた彼女とその後もデートを繰り返すようになります。 この頃、二人は互いの考え方、感じ方に自分とは異なるものがあるのに気づきます。 それはすぐには受け入れることのできないものですが、それでも二人は相手は異星人なのだから、こんなことがあって当然、と許し合うことができました。 やがて惑星空間内のデートにも飽き、そろそろ落ち着きたいと考えた男性は女性にプロポーズし、めでたく結婚して地球に新居を構えます。 子供が生まれます。実はこの頃から二人のコミュニケーションはギクシャクし始めます。 生まれた子供は何人でしょうか。そう、地球人ですね。そして自分たちも地球人だと思うようになります。 するとそれまで相手の考え方、感じ方に違和感があっても、相手は自分とは違う異星人だからと許せていたのに、同じ地球人なのになぜ同じように考えないのだろう、感じないのだろう、許せない、ということになるのです。 初めはわからなくて当然と思っていてわからないことを前提にわかろうとする努力をしていたはずなのに……

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    • 良いも悪いもない、正しいも間違いもない

      物事には2つ以上の見方がある。 これは心理療法での大前提でもあります。 ですから、何か良くない事が起こったとき、別の見方はできないだろうか?別の解釈はできないだろうか?と考え直してみる。 良い出来事も、悪い出来事も自分で決めているんです。 我々は主観の世界に生きている。 主観:その人ひとりのものの見方 客観的な世界ではないとういこと。 つまり、みんな違う世界に生きていると言えます。 心理学では、認知のバイアスや、解釈のバイアスとも言います。 バイアスというのは、偏り、偏見という意味です。 偏見を持って世界を見ている。 解釈のバイアスから逃れることはできないとも言われます。 ありのままの世界を解釈なしで認知することは出来ないということですね。 例えば、 人と待ち合わせをしましたが、相手が約束の時間になってもなかなか来ません。 こういう場合、「私は相手にとって重要な人間ではない」「私は相手に軽く見られている」など、ネガティブに解釈する人もいます。 「電車が遅れてるのかな?」「二度寝したのかな」という解釈する人もいます。 同じ出来事でも、人ぞれぞれ解釈が生まれて、それによって生まれてくる感情も変わってきます。 不安や抑うつなどの症状の人は、ネガティブに解釈する傾向があるのがわかっています。 不安な世界に生きている。 解釈のバイアスはクセです。 思考のクセです。 クセですから、修正することも可能です。 いま良くない事が多い、嫌な事が多い世界に住んでいる人であれば、ちょっと考え直してみる。 必ず2つ以上の見方があるんだと。 100%良い見方しようと考えなくてもいいんです。 こういう話をすると、真面目な人は、全部いい解釈できないとダメだと思ってしまって、それでずーっと悩んでしまったり、なんでもかんでも聞いてくる人もいます。 悩みを減らしたいのに増えちゃったということにはならないように。 テストで例えれば、絶対に答えなきゃいけないテストではない。 これはまだわからないなーで、空欄でもいい。 いまの自分で出来るところだけ回答するだけでいいと軽く考える。 まずは解こうとするところから。 これは別の見方はできるかな?いい解釈はあるだろうか? たまにそれが見つかればいい。 これは意識してやっていれば、どんどん出来るようになっていくんですね。 幸せな人は、幸せな世界に生きている。 不幸せな人は、不幸せな世界に生きている。 言い方を変えると、 幸せな人は、幸せな解釈をして世界を見ている。 不幸せな人は、不幸せな解釈をして世界を見ている。 『こころと体の対話 精神免疫学の世界』文春新書 1990年、イングルハートによる分析 1980年代から幸福感に関する心理学的・精神医学的な研究が盛んになってきた。 ある程度以上裕福な先進諸国においては、個人の経済的裕福さと幸福感との間には関連性が見られなくなる 様々な統計的データによって明らかになったことは、幸福感の基線を決めるのは、環境の客観的な条件ではなく、個々人の内的特徴(「信仰心」や「ものの考え方」など)である、ということである。 心晴日和 幻冬舎 喜多川泰著 「いいことなんて、何一つ起こらないのに幸せだなんて思えるはずないよ。そんなこと思える人なんているの」 「おるよ。それもたくさんな。幸せな人生を送っている人はみんなそうさ。お前さんもそうなれる」 「辛いことばかり起こる毎日を幸せだって感じるなんて、私には・・・・・」 「そんなことはない。誰だってなれるんじゃから。そもそも起こっている出来事によって、幸せとか不幸せが決まるわけではないんじゃよ。まったく同じ出来事が起こっても幸せだと感じることもあれば、不幸だと感じることもある。ようは、受け取る側がその出来事をどうとらえるかの問題なんじゃ」 「あくまでひとつの解釈である」 と考える。 起きた出来事は中立です。 良いも悪いもない、正しいも間違いもない。 それを知ったからといって、本当の意味で、起きた出来事を中立で認知することはできません。 解釈のバイアスから逃れることはできない 自分の解釈があって認知していると自覚することです。 自分が嫌な気分になる出来事、不幸だと思える出来事が起きたとしたら、それはあくまで自分がそういう解釈をしているだけなんだと考えます。 では、他の解釈は出来ないだろうか?考え直してみる、解釈し直してみる。 「ものごとには良いも悪いもない。それを決めるのは当人の考えひとつだ」 ハムレット 第二幕第二場より

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  • 15 Feb
    • 今日も人に喜ばれることを意識してみる

      人に喜ばれることを意識してみる。 人に喜ばれること何かないかな? 少しでいい。 自分の出来る範囲で少しでいい。 がんばらなくていい、無理しなくていい、自分犠牲はしない。 ちょっとだけ意識してみる。 あの人を手伝えることないかな? あの人に喜ばれる言葉をかけることは出来ないかな? 意識していれば見えてくる。 人に喜ばれることをして、貢献感を意識する。 自分は人に貢献出来ているのだと。 幸福とは貢献感である。 アルフレッド・アドラー 誰かの役に立っていると思えたとき、自分の価値を感じることが出来る。 アドラー心理学で言えば、他者貢献。 他者に貢献する。 貢献というと、自己を犠牲にした立派な行為だと思う人もいます。 しかし、自己犠牲しないというのが大事なことです。 いい人ほど陥りやすい。 自己を犠牲にしてまで他者に貢献する、尽くす人のことを 「社会に過度に適応した人」 と、アドラーは言います。 過度にやり過ぎてしまっている人です。 自己を犠牲にする必要はない。 自己を犠牲にしなくても出来ることはあります。 他者も自分も幸せにする。

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  • 12 Feb
    • 自分の定義はどうでもいい

      前回からの話の流れが続いています。 今回は、僕自身の経験談から。 インターンシップ のときの話。 インターンの期間が終わって、評価表を頂いて説明を受けました。 色んな評価の項目があります。 規則の厳守、時間厳守、清潔な身なり、集中力、質問・報告、指示理解、正確さ、丁寧さ、作業速度、挨拶・返事、協調性等 もっと多くの項目があり、それぞれABCの評価、コメントがありました。 ほどんと一番良いA評価を頂けたんですが、ある項目群のところだけBがありました。 Aは一番良い評価、Bでも普通に出来ているという評価で、Cだと出来ていないという評価です。 Bでも十分ですが、自分自身ではAではないのかーと思った。 つまり、自己評価はAですが、B評価をもらったという感じです。 そこで「この評価は間違っている!不当だ!」と言ったか? 僕は言いません(笑) 自分はAに見えている、相手はBに見えている。 自分と相手は違って見えている。そういうときは相手を理解しようとする。 「何か質問ありますか?」と聞かれたときに、僕は質問しました。 「この項目はどうしたらA評価を頂けるのでしょうか?」 相手の評価基準や重視して見ていることであったり、それらを教えてもらう、理解しようとする。 それによって、たしかに自分はそこは出来てなかったなとか、それを意識してやれば、より自分が成長できるなとか、今後に活かせたりするわけです。 前回も書いたように、相手の正しさがわかることもあれば、間違いや勘違いがわかることもあります。 自分の定義はどうでもいい 例えば、C評価で「出来てません」と評価されたとして、自分は「出来ている」のにと思っても、自分の評価や定義で「「出来ている」というのはどうでもいいことです。 上司に「これ出来てないぞ」と言われたら、自分の「出来ている」はどうでもいいんです。 その自分の「出来ている」は、自分の定義での「出来ている」に過ぎないから。 自分の定義では正しいとしても、上司の定義では正しくないわけです。   前回の話の皿洗いでもそうですが、「私は出来てます」と言ってて(思っていて)何も変わらなければ、何度も上司から言われる(怒られる)ことになるでしょう。 自分がいくら出来ていると思っていようが、それが正しいとしても、それは自分の定義で言えば正しいだけです。 上司の出来ているという定義で見れば正しくないですから、それが出来るまで言われるかもしれません。 「わかってくれない上司、私のことわかってよ。」 たしかに、自分のことをわかってくれればうまくいくようになるかもしれない。 しかし、上司を変えるのは難しいことでしょう。 自分が上司のことをわかる部下になる方が簡単です。 わかってくれない上司をわかってくれる上司に変えようとせず、 自分がわかる部下に変わるんです。 人は変えられない、変えられるのは自分だけ

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  • 11 Feb
    • 他人のことに関心を持たない人は苦難の人生を歩まねばならず他人に対しても大きな迷惑をかける

      前回の続きになります。 店長に聞いたら、皿を持ってきてくれて「ほらここ、汚れ?のあとがあるだろ?」と説明してくれた。 「たしかに!なにかあとがある・・・・。店長が綺麗じゃないと言っているのは正しかった。でもなぜ?」 「私が洗ったときは本当に綺麗だったんです!そんな汚れあと付いていませんでした。ツイッターでみんなに見せたいほど綺麗だったんです!私のこのツイート見てください!」 「最近のスマホが画質がすごいな。うん、たしかに綺麗だな。君の言っていることも正しかった・・・・。ん?ちょっと待てよ。ここ、見てみろ」 「え?どこですか?別に汚れてませんけど?」 「ここの水滴だよ」 「水滴が何か?」 「水滴をちゃんとふき取ってなかったんじゃないか?水滴が残ったまま自然乾燥すると、水道水のカルキが白い汚れにみたいに残っちゃうんだよね。透明のグラスなどは特に目立つから綺麗にふき取ることが大切なんだ」 「水滴はそんなに気にしてませんでした。そのまま乾くと白い汚れみたいに出てきちゃうんですね。すみません・・・・。」 「今後気をつけてくれたら大丈夫だよ。もし白い汚れが固まってて落ちなかったら、クエン酸やレモン果汁、お酢など酸性のものを水に入れて浸け置きしておけば落ちるぞ。 白い汚れはアルカリ性なので酸性で中和されて落ちる仕組みだ。ちなみに化学式で書くと・・・・」 はい、終了!店長のうんちくはどうでもいいです(笑) 相手を理解しようと努めることが大事ですという話です。 上司がわかってくれない、パートナーがわかってくれない。 そう愚痴る前に、自分がまず相手をわかろうとすること、理解しようと努めることです。 そうすることで改善できることがあるでしょう。 問題は外にあると思うことこそが問題である。 うまくいかない原因は、店長のせいじゃない、上司のせいじゃない、パートナーのせいじゃない、自分の中に原因があります。 そういう考え方、捉え方をすることで、原因である自分を変えよう、自分がどうすればいいのか?と考えることが出来やすくなります。その結果、環境を変えていくことも出来ます。 このブログでよく出している「7つの習慣」という本の中ではこんなことが書かれています。 人間の本来の姿は主体的なものである。周りの状況に作用を及ぼすことである。自分自身を取り巻く状況そのものを自分でつくり出すことができるという意味である。 主体的とは逆、反応的な人は自分以外のせいにする考え方。そういう人は自分自身で取り巻く状況を作り出す能力を失ってしまう。とも書かれています。 皿洗いの話で言えば、私はちゃんとやってるのにわかってくれない店長がいる。こういう状況。 ここから、店長のことを理解しよう、わかろうとすれば、理解できたり解決することがある。 そうすると、わかってくれない店長は消えてしまいますよね。 それで職場は働きやすくなるはずです。 自分で状況を作り出す、変えることが可能なわけです。 そもそも最初から店長のことをわかろうとする、理解に努めようとする、そういう姿勢がある人であれば、最初からわかってくれない店長は目の前に現れてないんですよね。 実際にはもちろん同じ人(店長)は存在するんですよ。 わかってくれない店長に変わって、うんちくの好きな店長が現れるかもしれない(笑) 皿洗いの話は、僕が思いついた物語ですが、別の結末になる可能性もあります。 例えば、店長が勘違いしてたとか。 別の人が適当に洗った綺麗になってない皿を見て、勘違いして自分が怒られてしまったとか。 そういう場合でも、店長はどうしてそう言ってるのか?理解しようとして初めてわかることです。 自分は綺麗に洗ったから、という理由で、店長が間違っているはずだ、店長が勘違いしている、というのはまだ早いんです。 自分が100%正しいと思っても、相手が間違っているとは限らない。 同じ言葉でも人によって意味合いや定義が違うことはよくある。 自分の正しさはあくまで自分の定義であったり自分の基準だったり、あくまでのそういう中でのひとつの正しさに過ぎない。 だからそれは、相手を理解するときは、とりあえず置いておこう。 相手の正しさを理解しよう、理解しようと努めよう。 私をわかってくれない、じゃなくて、相手をわかろうとしよう。 相手に関心を寄せよう。 【人を動かす 創元社 D・カーネギー著】 ウィーンの有名な心理学者アルフレッド・アドラーは、その著書の中でこういっている- 「他人のことに関心を持たない人は、苦難の人生を歩まねばならず、他人に対しても大きな迷惑をかける。人間のあらゆる失敗はそういう人たちのあいだから生まれる」。 心理学の書はたくさんあるが、どれを読んでもこれほどわたしたちにとって意味深いことばには、めったに出くわさないだろう。 このアドラーのことばは、何度もくりかえして味わう値打ちがある。

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    • 反論しない、相手を理解しようと努める2

      前回の続きになります。 過去記事から引用 相手をわかろうとすること 私は出来ているのに何を言ってるんだと イライラしたり、怒るAさん。 上司は何をみてどう判断して出来ていないと言ってるのだろうか?自分の「出来ている」と上司の「出来ている」の違いがあるのかもしれない。 などと上司のことをわかろうとするBさん。 AさんとBさんではとても大きな違いがある。 言葉の定義は人それぞれ 言葉の意味は辞書を調べれば、誰でもわかります。 しかし、言葉の定義は人によって違うことがあるので、聞かないとわからないことがあります。 会話がかみ合わない人がいたら、もしかしたら言葉の定義が違うかもしれない。 相手をわかろうとすること、相手を理解しようと努めるとは? 具体的には相手に「聞く」のが早いことが多いでしょう。 前回書いたように、反論ではなく質問に出来るということ。 反論を疑問文に変換するテクニック的なことではなくて、相手を理解しようとすれば、反論ではなく質問になっちゃうはずです。 逆に、反論が出る(思い浮かぶ)ということは、相手を理解しようとしてないとも言える。 むしろ、私を理解してよ、私のことをわかってよ、ということですよね。 前回リンクにも出てきた少女と老婆の絵で説明します。 自分は少女にしか見えないとします。 しかし、老婆だという人がいる。 老婆だと?そんなわけあるかー!(相手が間違っている) ってのは、相手を理解しようとしていない。 自分の正しさはとりあえず置いておく。 相手も正しいとしたら?相手の正しさを理解しようとする。 相手がどのように見て老婆に見えているのか?それを聞けばいいですよね。 「われわれに必要なのは、他者の目で見て、他者の耳で聞き、他者の心で感じることだ」 アルフレッド・アドラー そういう本音で、相手をわかろうとする、理解しようとして聞けば、教えてくれる人が多いはずです。 自分と相手の正しさがぶつかってしまったら、自分が折れてしまってもいい。 「あなたがそこまで言うのなら、私の方が何か勘違いしているかもしれませんね。もっと詳しく教えてもらえますか?」 少女と老婆の絵なら、「老婆の鼻がここで、目がここですよ」って教えてもらえたら納得できるかもしれません。 なるほどーそういう見方してたのかー。自分も正しいけど、相手も正しかったんだなとわかる。 少女と老婆の絵の話はブログで何度か出してますが、こういうコメント頂いた記憶があります。 「どちらも正しいなんてことはめったにありません」 どちらも正しいということはよくありますよ。 どうしてかというと、最初にリンクした記事にあるように、同じ言葉でも意味合いや定義が人によって違うことはよくあります。 ですから、同じものを見ても、私の定義では正しい、相手の定義では正しいということはよくあるわけです。 上司「この仕事ちゃんとやっとけと言っただろ」 部下「ちゃんとやりましたよ」 さて、どちらの言い分が正しいでしょうか? 上司の「ちゃんとやる」と部下の「ちゃんとやる」の定義が違っていれば、それぞれの定義において、それぞれが正しいということは成り立ちます。 定義とは? 定義は、一般にコミュニケーションを円滑に行うために、ある言葉の正確な意味や用法について、人々の間で共通認識を抱くために行われる作業。一般的にそれは「○○とは・・・・・である」という言い換えの形で行われる。基本的に定義が決められる場合は1つである。これは、複数の場合、矛盾が生じるからである。 -ウィキペディアより 例えば、それぞれの定義がこうだとします。「○○とは・・・・・である」 上司の「ちゃんとやる」とは、「この作業をやり終え机上も綺麗に片付けるまでのことである」 部下の「ちゃんとやる」とは、「この作業をやり終えることである」 それぞれの定義においては、言っていることはそれぞれどちらも正しいわけです。 前回からの皿洗いの話 店長「皿が綺麗じゃなかったぞ!次からはもっと綺麗に洗っとけ!」 皿洗いのアルバイト「綺麗に洗いました」 これね。 自分がアルバイトで、綺麗に洗ったことは間違いない、正しい。 しかし、それはあくまで自分の定義であったり、主観であったり、自分の基準で正しいに過ぎない。 店長の言ってることも正しいと仮定して考えてみる。 店長はどこ見て、何を見て、どういう基準で、綺麗じゃなかったと言っているのか? それを理解しようと努める、聞いてみる。 そしたらこんな展開になるかもしれません。 店長に聞いたら、皿を持ってきてくれて「ほらここ、汚れ?のあとがあるだろ?」と説明してくれた。 「たしかに!なにかあとがある・・・・。店長が綺麗じゃないと言っているのは正しかった。でもなぜ?」 「私が洗ったときは本当に綺麗だったんです!そんな汚れあと付いていませんでした。ツイッターでみんなに見せたいほど綺麗だったんです!私のこのツイート見てください!」 「最近のスマホが画質がすごいな。うん、たしかに綺麗だな。君の言っていることも正しかった・・・・。ん?ちょっと待てよ。ここ、見てみろ」 「え?どこですか?別に汚れてませんけど?」 「ここの水滴だよ」 「水滴が何か?」

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  • 09 Feb
    • 反論しない、相手を理解しようと努める

      「この経験から、わたしは、相手のまちがいを頭から決めつけるやり方は、効果がないどころか、結局は、相手の自尊心を傷つけ、みんなからも敬遠されて、話し合いもできなくなるのがオチだと悟った」 【人を動かす 創元社 D・カーネギー著】 相手が間違っているな、と思ったとき、相手を理解しようと努めることができるか? 今回は、学ぶ姿勢の話です。 例えば、上司や師匠から何かを教わっているときに、それはちょっと違うんじゃないか?納得できないときは反論や言い訳してしまう人がいる。そのとき「反論するな!」と怒られることがあります。 僕も反論はしない方がいいと思っています。 学ぶ姿勢がいい人は反論はしません それは、黙っていい子になってなんでも「はい」と聞きましょう、ということではない。 以前も書いたことがありますが、反論は疑問文に出来ます。 ですから、反論はしない方がいいというのは、反論を我慢するのではなく、疑問文で返した方がいいということです。 単純に反論を疑問文に変換するテクニック的な話ではなくて、反論が出ない考え方をする。 そのために大事なのは、 相手を理解しようと努めること 具体的な例を書いていきます。 自分が皿洗いのアルバイトをしているとします。 皿を綺麗に洗った。 あまりにも真っ白で綺麗になったから、写メで撮ってツイッターにアップしました。 「丁寧に洗ってこんなに真っ白にぴかぴかになったよ」真っ白の皿の画像を載せる。 そんなやつおらんやろ(笑)って思うんですが、それだけ綺麗に洗ったという話です(笑) それからしばらくして、店長が「皿を綺麗に洗っておいてくださいね」と言ってきた。 いや、「皿が綺麗じゃなかったぞ!次からはもっと綺麗に洗っとけ!」と怒られたとします。 店長の言い方を変えたのは、より反論したくなる状況にするためです(笑) 怒られたらより反論したくなる人が多いでしょう。 直接店長に反論を言わなくても、心の中では思ってしまう。 店長がいなくなってから、ツイッターでつぶやいてしまうかもしれません。 「店長からもっと綺麗に洗っとけと怒られたんですけどwあんなに白く綺麗に洗ったお皿をこれ以上どう綺麗に洗えと?w」 気持ちはわかります。 しかし、こういう場面で大事なのは、相手を理解しようと努めること。 この場合は店長を理解しようと考えてみること。 綺麗に洗ったはずなのに、なぜ店長は綺麗に洗っておけと言ったのか? 店長の言っていることが正しいとしたら? 相手が正しいとしたら?と考えてみる。 反論したくなるときは、自分が正しい、相手が間違っているという前提が自分の中にあると思います。 自分は「綺麗に皿を洗った」←これが正しい。 店長「綺麗に洗ってなかった」←これが間違い それで反論したくなる。 「綺麗に洗いましたよ!」(ツイッターにあげるほど綺麗に洗ったもん) 相手が間違っていると思ったとき、自分の正しさを主張する。 これは相手を理解しようとすることとは、逆のことです。 自分のことを理解してよってことです。 あなたは間違ってます、私が正しいから、理解してください こうならないように、相手が正しいとしたら?という前提で考えてみることです。 とりあえず自分の正しさは横に置いておく。 さて、店長の正しさを理解できるでしょうか? →続きます。 過去記事ピックアップ↓お時間ある方はこちらもぜひ。 自分も正しいが、相手も正しいとしたら? http://ameblo.jp/yoshi0mizuno/entry-11971146281.html あくまで自分の見地であると認識する http://ameblo.jp/yoshi0mizuno/entry-12010033068.html

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  • 22 Jan
    • ジョン・F・ケネディ氏の演説から

      John F. Kennedy ジョン・F・ケネディ(1917年~1963年) 米国の第35代大統領。著書『勇気ある人々』にてピュリッツァー賞受賞。 最近ニュースで流れてたケネディ元大統領の演説を観ました。 そこでこんなメッセージがありました。 Ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country. 国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何を成すことができるのかを問うて欲しい。 これはアドラー心理学にも通じる考え方ですね。 心理療法的にも心を健全に保つための考え方として素晴らしいと思います。 自分が何ができるだろうか?と考える習慣。 上記は国のことですが、友人、恋人、夫婦、会社なども全部同じように考えてみる。 自分があの人のために何ができるだろうか? 私は夫に何ができるだろうか? 彼女に何をしてあげられるだろうか? これはギバー(与える人)の考え方にもなってますよね。 逆に、「わたしのためにこの人が何をしてくれるのか?」と考える習慣を持っている人は、うつになりやすかったり心は不健全な考え方といえます。 彼が私のために何をしてくれるのか?こうして欲しいああして欲しい。 でも他人は自分のためにあれやこれや全部思い通りやってくれないですよね。 こういう考え方していると不満ばかりが出てくる。 彼がこうしてくれればいいのに、、、、 上司がこうしてくれればいいのに、、、 彼女がこうしてくれないからうまくいかない、、、 会社がこうしてくれないからうまくいかない、、、 心理療法士のある先生もうつになるような人をたくさん診てきて共通する考え方はこういう考え方だとおっしゃっていました。 変えられるのは自分だけ。 自分以外は思い通りに変えられません。 できないことを考えていると心に負担がかかっていって苦しくなります。 アドラー心理学ではこんな言葉があります。 「他者はあなたの期待を満たすために生きているのではない」 誰かに対して不満が出てきたら、上記の言葉を思い出すといいかもしれない。 「あーそっか。あの人は私の期待を満たすために生きているわけではなかったな」と。 あの人が、彼が、上司が、こうしてくれればうまくいのに ではなく、 自分がどうしたらうまくいくだろうか? と考える。 これがうつにならない人、主体的に生きる人の考え方です。 自分を変える。変えられるのは自分だけ。 過去と他人は変えられない。しかし、いまここから始まる未来と自分は変えられる。 エリック・バーン。カナダの心理学者。 ◆【嫌われる勇気 岸見一郎、古賀史健著】 哲人 自分にしか関心を持たない人は、自分が世界の中心にいると考えてしまいます。こうした人たちにとっての他者とは、「わたしのためになにかをしてくれる人」でしかありません。みんなわたしのために動くべき存在であり、わたしの気持ちを最優先に考えるべきだと、半ば本気で思っています。 青年 まるで王子様やお姫様のように。 哲人 ええ、まさしく。「この人はわたしになにを与えてくれるか?」ばかりを考えています。 ところが―おそらくここが王子様やお姫様と異なることでしょう―その期待が毎回満たされるわけではありません。なぜなら、「他者はあなたの期待を満たすために生きているのではない」のですから。 青年 たしかに 哲人 それで期待が満たされなかったとき、彼らは大きく失望し、ひどい侮辱を受けたと感じます。そして憤慨するのです。「あの人はわたしになにもしてくれなかった」「あの人はわたしの期待を裏切った」「あの人はもう仲間ではない、敵だったのだ」と。 ◆ジェームス・スキナー(経営コンサルタント、セミナー講師、作家) 人間関係を指導する時に、これの原則は非常に簡単なんです。 その人間関係からあなたは何がもらえるんだろうか? 相手は自分のどのニーズを満たしてくれるだろうか? そういうことを考えるのをやめればいい その関係において、あなたは何を与えることができるんだろうか? どうすれば相手を幸せにできるんだろうか? それを考えればいいんです。 Ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country. 国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何を成すことができるのかを問うて欲しい。  John F. Kennedy ジョン・F・ケネディ(1917年~1963年)

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  • 22 Dec
    • 感謝に気づけば行動が変わる

      新しい会社で初給料を頂いたので、前職の職場のみんなに菓子折りを持っていきました。 すごく喜ばれました。泣いちゃうよって言う人もいて僕もすごく嬉しかったです。 みなさんのおかげでいまの自分がある。本当にありがたいなーって気持ち、感謝の気持ちです。 初給料といえば、社会人一年目の初給料のときは何もしなかったです。 いま思えば、親にプレゼントするとか、ごちそうするとか、すればよかったなと思います。 親の気持ちを考えてみると、一生懸命育てた子どもが育って、社会に出て働けるようになって、その初めてのお金でごちそうしてくれるとか、ものすごく嬉しいと思うんですよね。 僕はどうして何も出来なかったのか?と反省すると、親の気持ちを考えられなかったとか色々あるかもしれませんが、一言でいえば、感謝がなかった。 感謝のレベルが低かったとも言えます。 感謝のレベルが高い人だと、色んな感謝できることに気づけるんですよね。 例えば、初給料は親に何かしてあげたほうがいいよって聞いたことがあってやる人もいるかもしれない。 それは「知識」によって生まれる行動ですよね。 「ありがとう」という言葉もそう。こういうときは「ありがとう」と言ったほうがいいという知識があって言うのと、心からありがたい気持ちで、「ありがとう」が自然と出るのは違いますよね。 「知識」から生まれる行動よりも「感謝」から生まれる行動の方が、自分も気持ちがいいと思うんですよね。 自分がそんなにありがたいとは思ってないけど、「ここではありがとう言った方がいいから言う」ってのは、あまり気持ちいいとは言えないですよね。 仕事でも、この会社で働かせてもらってありがたいなーって感謝の気持ちがある人は、仕事の姿勢や態度が全然違ってくるでしょう。 そういう感謝がある人は、周りもよくしてくれることが多いでしょうね。 周りがよくしてくれるから、ますますありがたく感じる、感謝の気持ちが大きくなって、より言動もいいものが出てくる。好循環になるんですよね。 一見環境もよくなくて、感謝できることなんてないってときこそ、感謝できることを意識して探してみる。 ちょっとでも見つけていくと、感謝はどんどん拡大していく。 感謝できないことを無理して感謝するわけではなくて、感謝できることに気づくということです。 感謝というのは感情です。 たとえば、花を見て「きれいだな」と自然に出る感情と同じようなもの。 いつも急いで歩いてたら、わき道の花に気づかない。 そこで花を探してみるようにする。 そうすると、きれいな花に気づいて「きれいだな」と自然と出ますよね。 無理やり「きれいだな」と思おうとかすることとは違います。 感謝できることは周りにいくらでもあります。本当にたくさんあります。 感謝できることを探してみる、どんどん見つけるのがうまくなっていきます。 感謝の思いは、注意深い手入れが必要な果実だ。 粗野な人のもとでは実らない。 サムエル・ジョンソン わたしは感謝の念を抱いている。 それは、自分にとって得になるからではなく、 わたしに喜びをもたらしてくれるからだ。 セネカ 感謝の思いを抱いている人々は、世界を別の意味に解釈するだけではなく、その存在だけで世界を変えてしまう。 カイト・エルガー 近所の親切なおばさんがチョコレートの袋をつかむと、子どもはすぐに食べようとする。 そこへお母さんの小声のお叱りがとんでくる。 「そういうときはなんていうの?」「ありがと!」 ここはもう少しほかの形にできないものか。たぶん、こんなふうに。 お母さんがたずねる。 「坊や、うれしい?」 もらった人の喜びが形になって見えてくると、 あげたほうにも分かちあえた喜び、ほんとうの喜びがあらわれてくる。 「ごらん。おばさんはお前が大好き。だからおまえのことを思ってくださるのよ。」 愛を経験させる、気づかせる。 こうして、感謝と、それに結ばれている記憶が育てられる。 クラウス・ヘメルレ こういうときは「ありがとう」と言う。そういう知識で学ぶよりも、感謝の気持ちを学ぶ方が素敵だなと思います。 「坊や、うれしい?」 お母さんに聞かれて、自分がうれしい気持ちになってるなと気づく。 その気持ちを表現する形のひとつが「ありがとう」という感謝の言葉ですよね。 こういう学び方の方が他の場面でも、自然と心からのありがとうが言えるようになるでしょうね。

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  • 19 Dec
    • 争いやいら立ちは理解によって消失する②

      前回の続きです。 「まったく、他人の迷惑を考えない人がいるもんだ!」 足踏みしてズボンについた雪をふり落としながら、通り道をふさいでいた車を怒りをこめてふり返りました。 と、向こうの歩道に両足に添え木を当て、松葉杖を頼りにおぼつかない足どりで駐車場へと向かっている女性が見えました。 一歩一歩ゆっくりと彼女は歩道を進み、ついにあの通り道をふさいでいた車にようやくのことで乗り込むと、自分で車を運転して走り去りました。 わたしはしばし、唖然とつっ立っておりました。ついさっき、自分が感じたことがいても立ってもいられないほど恥ずかしい、と思いました。 わたしの心にあった先刻の怒りやいら立ちは、先ほどわたしが振り払ったズボンの雪のように、きれいさっぱり消え去っています。 ほんの数秒のあいだに、わたしはこんなに豹変したのです。でも、いったい何がわたしをこれほど変えたのでしょう。 状況に変化はありません。車が通り道をふさいでいる事実は変わっていないのです。歩道に出るためには、雪の吹きだまりをかき分けかき分けしなくてはならないのも以前と同じです。 変わったのはただひとつ、わたしの心のありよう、そう、そのことに対する心構えだったのです。 わたしは当の女性を目の当たりに見、その人の状況を知りました。そして一瞬にして理解したのです! そして、理解という、前とは別の心構えでもってその事態を眺めたとき、いら立たしさや非難の気持ちは跡形もなく消え去っていたのでした。 大切なのはここのところです! 他人とうまくやっていくための必要不可欠な要素、それは理解なのです! あなたがもし、人々と手に手をとって何かをする非凡な才能の持ち主になりたいと願うのなら、あなたは何よりもまず、他人を理解するすべを身につけなくてはなりません。 わたしにせよ、先述の歩道への出口に乗りつけられた車のことでかんしゃくを起こしたことを、それも当然のことだった、と自分自身を言いくるめることだってできたわけです。 そう、確かにそういうように考えることは、たぶんあり得ます。しかしもし、わたしがそういう考え方に身をまかせていたとしたら、どうでしょう? わたしはきっと、わたしのまわりの人たちに対して、数え切れないほどたくさん、自分自身の正当化を行おうとしていることでしょう。 以上 事実、状況は変わっていない。 変わったのは自分なんですよね。 自分が変われば世界は違って見える。 ということは、ありのままの事実は見てなかったともいえます。 別のたとえでいえば、必ず色メガネをかけて見ているということ。 人間がこの世界を認知するときに、必ず自分の色が付いて見えている。 このメガネは外せません。 ただ、別の色に替えることは出来ます。 事実や他人、環境は思い通り変えられません。しかし、自分は変えられるんですよね。 だから、「変わる必要があるのは常に自分だけ」という考え方をブログで書いてます。 自分が変わることによって、自分の世界をよりよくしてきましょうということです。 ちょっと話がそれました。 今回の話で大事なポイントは、理解に努めようということです。 上記の話で言えば、「どうしてこの人はここに車を止めたのだろうか?」と理解しようとしなかった。 最近書いたRさんの話で言えば、「どうしてチームリーダーは除名したのだろうか?」と理解しようとしなかった。 自分が嫌な気分になった、イライラした、怒った原因は、自分が相手を理解しようとしなかったからだと言う事も出来ます。 相手を理解しようともせずに、自分のことばかり考えていた。とも言えるでしょう。 自分を振り返って反省するときのひとつ。自分のことだけ考えていなかっただろうか? この問いを自分にしてみると何か気づくことがあるかもしれない。

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  • 15 Dec
    • 争いやいら立ちは理解によって消失する①

      ロバート・コンクリンの説得力という本からの引用です。 争いやいら立ちは理解によって消失する ある寒い冬の朝のことでした。そのショッピング・センターの駐車場には、降り積もったばかりの雪がいたるところ、風に吹き寄せられ、あるいはかき寄せられて、小さな山がいくつもうねになっておりました。わたしは車を置き、歩道の方へと向かいました。雪の吹きだまりのせいで、歩道に出る道はそこ以外はありません。 ところがどうでしょう。雪かきされたそのただひとつの通り道の、出口の真正面に、一台の車が乗り付けてあるではありませんか!わたしは膝まで雪に埋まりながら、その車のまわりを迂回させられる羽目になりました。 「まったく、他人の迷惑を考えない人がいるもんだ!」 といった言葉、そしてここにはとても記すことのできそうもないいくつかのののしりの言葉がわたしの心をよぎりました。センターの出入り口のドアのひとつにたどり着いたわたしは、足踏みしてズボンについた雪をふり落としながら、通り道をふさいでいた車を怒りをこめてふり返りました。 続きます。 さて、みなさんも同じような状況を想像してどうでしょう?同じように怒ってしまうでしょうか? 僕は雪国出身なので、この雪の大変さはよく想像できます。 雪かきされた道が1本しかなかった。 その道の出口に車があって、その道は使えない。 道がない雪の場所を通らないといけない、大変なわけですね。 みんながその道を使えるように、ちょっと車を止める位置をずらしてくれるだけでいいですよね。 「まったく、他人の迷惑を考えない人がいるもんだ!」 こう思うのもよくわかります。 人が怒るときのパターンの1つで、「わたしだったらこうするのに」っていう思考パターンがあります。 「わたしだったらこうするのに、あの人はなんであんなことするの!なんでこうしてくれないの?!(怒)」 人が自分と同じような言動すれば、だいたい怒ることにはならないんですよね。 もし、嫌なことを人にされたとしても、「自分も同じ状況なら、そういうことやってしまうよな」って思えれば、怒りは出ないことが多いはずです。 上記の話でも、1本しかない道の出口に車止めたら、みんなが迷惑する。自分だったら迷惑にならないように止めるのにっていう考えがあるんじゃないでしょうか。 自分だったらそうしないのに、他人がそういうことをする。 それで怒りが出てしまうんですね。 最近書いたRさんの話もそうです。私だったらあんなことしない、ひどいひどいというわけです。 この考え方は、「自分のことしか考えていない身勝手な考え方」なんです。 自分のことしか考えない身勝手な考え方をしているために、自分が苦しめられている。 苦しいのは自分自身の問題なんですね。 次回へ続きます。 人々の多くは、環境を改善することには、とても意欲的ですが、自分自身を改善することには、ひどく消極的です。かれらがいつになっても環境を改善できないでいる理由が、ここにあります。 ジェームズ・アレン

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プロフィール

猫事

お住まいの地域:
東京都
自己紹介:
幸せ、健康、心理学などに興味あります。 尊敬する心理学者は、心理学の三大巨頭のひとりアルフレッ...

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マスターの教え


自分はすべてを知っていると思っている人は何も学びません。

問題に抵抗を持ってのぞむ者も、ほとんど何も学びません。

そういう人にあまり希望はありません。

しかし、何ごとにも心を開いて取り組み、自分の成長と安らぎと幸せになることを喜んで学ぼうとする人は、賢い人です。


私の言うことを、全面的に信じなさい、とは言いません。

それではあなたの思想の自由を侵害することになるからです。

しかし、私の言うことを疑ったり、抵抗したりしないようにしてほしいと思います。と言いますのは、そうすることによって、あなたが求めている助けが得られなくなるからです。あなたにとって、最高にためになる態度は次のようなものです。


「私はこれらの教えに対し、心を開き、中立的な姿勢で、自分が得られるものは全部吸収しよう。
そして、今現在、私に理解できない事実や、信じられない考え方や、主張があっても、そうだからといって、それが正しくないとは言えない」
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