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過去記事リンク集

こちらでは、評判よかった記事、自分で気に入った記事など並べています。




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  • 08 Dec
    • ”被害者にならない”

      一年近く前の記事ですが、今後書く予定の話もこのようなことがあります。 「7つの習慣 スティーブン・R・コヴィー著」社会通念というゆがんだ鏡 私たちを取り巻く社会の通念、人々の意見や考え、あるいはパラダイムを総称して、社会の鏡と呼んでいる。 多くの人は、自分自身に対するパラダイムや考え方をこの社会の鏡から得ている。それは遊園地によくある奇妙な鏡の部屋に映っている姿と同じようなものである。 「あなたはいつも時間に遅れて来る」「なぜおまえの部屋はいつも乱れているんだい」「芸術的なセンスがあるね」「本当によく食べるよね」「あなたが勝ったなんて、信じられない」「どうしてこんな簡単なことも理解できないのか」 これらの発言は、私たちの本当の姿や可能性を映し出すものではない。これらは、発言した人のパラダイムや人格レベルを投映しているだけである。 これはちょっとわかりにく話かもしれません。 われわれはありのままの世界を見ているようで見ていなくて、自分の中(考え方や価値観)が反映されて見えているということです。 みんなそれぞれ自分の世界を認知して生きている。 自分の世界は自分が認知して創っている。 それならば自分で世界を変えることも可能だということです。 これはスピリチュアルとか不思議な話ではなく、認知科学でもそう言えます。 認知科学は科学の中では新しい方の科学です。 認知科学ではわれわれはリアルワールドをありのまま認知することはできないということが証明されています。 アドラー心理学で言えば、自分のライフスタイル(性格)が世界を創っているといえます。 具体的に今後書いていきます。 ある人の話で、その人の世界では嫌な人がいた。 でもそれはその人の世界では嫌な人なだけなんですね。 その人自身が創っている登場人物なんです。 これは妄想とかそういう話じゃないですよ。 たとえば、あなたの世界の友達。 私の友達はこういう人だって認識していると思いますが、それはその友達の本当の姿を映し出しているのではない。 あくまであなたが映し出している友達、あなたが創っている友達なんです。 ちょっと変な話に聞こえるかもしれませんが(笑)        

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  • 04 Dec
    • ご無沙汰しております

      ブログも仕様が変わりましたねー 色々ありましてしばらくブログ放置になってました。 パソコンが壊れてデータが全部無くなってしまいました。 ブログのネタの材料など書いてたものが全部無くなった。 本を読んで、これいいなって文章はメモして全部保存しておいて、ブログで引用するときにすぐ使えたりしてたんですが、それができなくなりました。 バックアップとってなかったという反省。 まあ、自分の頭があればブログはいくらでもかけるので、またぼちぼち書いていこうかなと思っています。 あと、スマホが壊れて交換したんですが、LINEが復帰できなくなったり、転職したりと色々重なってブログは放置になっていたというわけです。 LINEだけしか知らない人は連絡取れなくなったのでそこは申し訳ないなと思います。 あとゲームで遊んでました(笑) いやーゲーム楽しい。 ゲーム自体も面白いんですが、そこでもやはり人間心理、人の考え方価値観が面白いんです。 ネットで色んな人と協力してプレイできるゲーム。 そうすると、「対人関係」があるんです。 「対人関係」があるということは、そこに幸せな人と幸せじゃない人がでる。 これは心理学者アルフレッド・アドラーの考え方ですが、「すべての悩みは対人関係にある」。 幸せもまた対人関係にあるんです。  幸せは、自分のおかれた環境や条件によって決まる、と考えている人は多いです。 しかし、幸せというのは自分の考え方や価値観で決まるんですね。 これは心理学の世界での結論でもあります。  ゲームの世界でもそれははっきりわかります。 ゲームではまったく同じ環境や条件でスタートしますよね。 それなのに、不満だらけで幸せじゃなくてゲームしている人もいれば、楽しいなーって幸せにゲームしている人もいます。 その違いは何かって言えば、考え方や価値観です。 幸不幸は環境や条件が原因ではないですよってことです。  【7つの習慣 スティーブン・R・コヴィー著】「現代社会では、一般的に人は、条件づけや環境によって決定づけられると言われている。生活の中で条件づけが極めて大きな影響力を持つことは当然のこととして認めるが、それによって私たちが決定づけられている、あるいは、その条件づけからの影響を全くコントロールできないとなると、それは全く違う話になってしまう。」   普段の考え方や価値観がゲームでも反映されているなーって見えて面白いです。 次回は、具体的にゲーム内で起きた対人関係の話を書く予定です。 リアルでもゲームの世界でも同じです。 ゲームのことですが、「対人関係」の問題で、どう考えたらより幸せになっていけるか、という話。リアルでも、幸福度上げるためのヒントになる人もいるかもしれないということで、書いていきたいと思います。        

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  • 06 Sep
    • いくら自分が正しいと思えたときでも

      自分がこれは良いと思っても、他の人は悪いと思うこともあります。絶対的な正義も、絶対的な悪もない。これが良い悪い、これが正しい間違いというのは、自分の価値観だったり、何か基準が前提にあってはじめて言えることです。いくら自分が正しいと思えたときでも、それを理由に相手を非難しない。自分が正しいからといって、相手が間違っているとは言えないからです。相手は相手の価値観や、前提があって正しいこともあるのです。▼天気予報では「いい天気」「悪い天気」とは言わない?晴れをいい天気、雨を悪い天気と一般的には言うでしょう。天気予報では、「いい天気」というだけの表現は、基本的には使わないそうです。「洗濯物を干すにはいい天気でしょう」などの表現を使います。「洗濯物を干すには」という前提があります。この前提があれば、「いい」と言えるでしょう。この前提があってはじめて、晴れは「いい」と言えます。雨は「悪い天気」ではなく、「ぐずついた天気」と表現します。例えば、農家や他の職業によっては、雨が必要でありがたいものです。全ての人にとって悪い天気ではないから、「悪い天気」という表現は使わないそうです。天気予報は、色んな人に伝えるための配慮があるんですね。「ママおはよー!雨降ってるよー♪」「おはよー。雨降ってるのに嬉しそうだね」「うん!いい天気!」「雨のときは、いい天気じゃなくて悪い天気って言うのよ」「雨で嬉しいのに悪いの?」「え?雨でどうして嬉しいの?」「先週ママに買ってもらった、機関車トーマスの傘と長靴がやっと使えるからー!」「あら、そうだったわね。雨が降るの楽しみに待ってたものね」「うん!先に玄関に出てみていい?」「玄関先だけねー、一人で先行っちゃだめよ」「ママーママー!見て見てー!カエルさんがいるよー!」「雨で出てきたのかしら」「雨降ってカエルさんも喜んでる!いい天気だね!」「ふふ(笑)そうね、いい天気ね♪」There is nothing either good or bad, but thinking makes it so.- Shakespeare (シェイクスピア) -物事によいも悪いもない。考え方によって良くも悪くもなる。我々はこの世界をあるがままに見ることはできません。主観で見ています。良い悪いは自分の主観です。良い日悪い日

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  • 23 Aug
    • 幸せになる考え方でも無理してたら幸せじゃない

      どんないい考え方でも、自分が「やりたいなぁ~」「その方がいいな~」と思わなければ、やらない方がいいと思います。例えば、このブログで書いてある考え方を一つ、「自分以外のせいにしない」自分にとって嫌なこと、失敗、自分の不幸など、何があっても自分以外のせいにしない。この考え方を知って、こう考える人は無理してやらない方がいい人。・自分以外のせいにしてはいけないんだ・あの人のせいだと思うけど、そう考えてはいけない・人のせいにしては不幸になるんだ・自分のせいにしなければならないこれは心理療法では、イラショナル・ビリーフ(非合理的な信念)と言われます。「~ねばならない、~すべきである」こう考えなければいけない、こう考えるべきである。これは、ネガティブな選択ですね。どんないい考え方でも、ネガティブな選択なら、しない方がいい。いい考え方だからといっても、無理してでもやるべきだと考えてしまう人はいるんですが、やらない方がいいんですよ!下記の記事でもそのような話を書いてます。ポジティブを選択できているかよりも、ポジティブな選択ができているかどうか?「自分以外のせいにしない」この考え方を健全に実践していく考え方としては、・自分以外のせいにしない方が幸せだね・自分が原因だと考えた方が、とても効率よく問題解決もしていけるし合理的だ・自分以外のせいにしない方がメリットが大きいからやりたいシンプルに書くと、「そうしなきゃいけない」ってのがネガティブな選択「そうしたい、やりたいからやる」ってのがポジティブな選択そうしなきゃいけないってのは、義務感でやることになったり、無理してやることになるんですね。義務感でやってたり無理してやるのは、楽しいことではないですよね。幸せになるためなのに、幸せじゃないことやっていることになります。「感謝は大事ですよ」という話でも、・感謝しなければいけない・感謝すべきだ・感謝しなきゃダメなんだ「感謝しなきゃダメなんだ」って考え方がダメなんですね。義務とかルールでやらない。「感謝は大事ですよ」という話を聞いたら、たしかに、感謝した方がいいよねー、感謝は大事ですよね~、「感謝して生きたい」と思えたらやるのが健全です。最近ブログに書いてた考え方では、「怒らない、叱らない」もそうですね。怒ってはいけない、叱ってはいけない、そうしなきゃいけないんだって考えるのは、義務感が出てきてよくないですね。義務感とかルール的に考えてそれに無理して従おうとしない。怒らない、叱らない方がいいなぁ、そうしたいなぁと思えたらやっていくのが健全。無理してやる <<<< 何もしない <<<< やりたくてやるみんなが「こういう考え方した方が幸せですよ」と言ってても、自分は無理しなきゃできないなら、しない方が幸せですからね。「でもこう考えないと幸せになれないから」と言う人もいます。こう考えると幸せ、こう考えないと不幸せって単純なものではないです。幸福度という考え方がいいと思います。ある考え方をしていれば幸せになる、というのは、ある考え方をしていれば幸福度が上げれると考える。仮に数値化したとして、それは幸福度10上がるとします。それができない人は、ただ10上げれないだけの話です。他の考え方で幸福度10上げれば同じことです。心理学の研究で、宗教に入ると幸福度が上がることがわかっています。だからといって、宗教に入らない人は幸せになれないとか、不幸なのか?っていうとそうじゃない。宗教に入った方が幸せだからといって、その宗教は信じてないんだけど、無理して入信するとか、無理してその宗教の活動してても、全然幸せじゃないですからね。感謝が少ない人より、感謝が多い人は幸福度が高くなる。だからといって、感謝しなきゃ幸せになれないんだってことではない。無理してでも感謝しなきゃってのは、全然幸せじゃない。科学的に幸福度上がることだとわかっていることでも、無理してやると幸福度は下がります。無理してやる <<<< 何もしない <<<< やりたくてやるこれが本当に大事。これは幸せになるいい考え方なんだと思っていても、無理してがんばっている人、義務感でやっている人は、ルール的に守らないといけないと考えている人は、いますぐ止めた方がいいでしょう。そうすれば、いまより確実に幸せになれます。だらだらゆるゆる書きました。

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  • 20 Aug
    • 怒りとは人と人を引き離す感情である

      カニv(^▽^)vさんのブログ『「世界平和」を少しでも願う人がいるなら、このお話が広まると良いなぁーと思い、リブログさせていただきました☆(*´ω`*)』最近リブログたくさんありがとうございます。広めて頂いてとっても嬉しいです。平和な幸せな考え方が広まるといいなーと思っています。カニv(^▽^)vさん自身は叱られないで育ったという話がありましたね。『田舎っ子なので(笑)、田んぼで遊んで、洋服をどろだらけのびしょぬれにしても(笑)、カニ「(うわーーー!さすがに今日は叱られるかなー?!(汗)(*_*;)」実母「おおーーー!♪よく遊んできたねぇーーー!!(笑)(*^^*)外で体だけはちゃんと洗ってから家に入るんだよ~!☆ヽ(・∀・)ノ」』こういう場合は、怒るお母さんもいるでしょうね。アドラー心理学の育児では怒ったり叱ったりはしない考え方です。よく遊んできたねぇーって笑ってくれるのは嬉しいですね。そして、体を洗ってから家に入ることもちゃんと伝えていて、素敵なお母さんだなぁと思いました。一方、旦那さんは、暴力の躾で育っているため、「躾のための暴力」は肯定している価値観なんですね。『「暴力」なのに、躾として「正当化」されてるのが、ホント怖いところです。。(汗)f』自分が暴力を受けて育ってきて、「それでいまの自分があるんだ」と、考えている人にとっては、暴力は正しいという価値観になるのもわかります。「昔の学校では体罰が当たり前だったけど、いまの時代は体罰したら大問題になるから大変なんだ」と言う人はいます。昔の方がよかったと、体罰を肯定する人もいます。アドラー心理学の視点で言えば、昔は未熟なやり方だったと言えます。いまの時代では「体罰」や「愛のムチ」だろうが否定されています。そういう意味では、我々はいい方向に進化していっていると言えるんじゃないでしょうか。「力」を行使して押さえつける方が楽なんですよね。暴力とは、どこまでもコストの低い、安直なコミュニケーション手段なのです。「力」を行使しない方法は、時にはすごく忍耐がいることもあるかもしれない。だから、安直なコミュニケーション手段を取りたくなってしまうのはあるでしょう。▼果てしない忍耐が本当の愛情「薔薇のない花屋」というドラマで、主人公の父親が、子どもを叱ってしまって後悔している場面があります。 しつけとか、愛のムチとか、そんなの勝手な言い草なんです それで子どもがいい子になる、親の気持ちをわかって・・・・ ありえないですよ そういう風に仮に見えたとしたら それは子どもが怖いから、言うことを聞いたに過ぎないんです 子どもはバカじゃない 親のことが怖いから、聞いたフリをしてるだけなんです 別に納得したわけじゃない 本当に愛情があるんなら話せばいいんです 話して、それでもわからないなら、また話せばいいんです そうやって何度も何度も、わかってくれるまで話せばいいんです そういう果てしない忍耐が、本当の愛情なんです 実際、俺はイラ立ったんです 雫(子ども)に無理やり言うこと聞かせようと思って イラ立って、愛情よりもイラ立ちが勝って、それで… 俺は雫が生まれた時に誓ったんです 絶対に暴力は振るわない 大きな声で叱ったりしない そういうことはしちゃいけないって、俺は誓ったんです それなのに、俺は…俺は…子どもに言うこと聞かせるために、暴力を使ってしまった。安直なコミュニケーションの手段に出てしまった。しつけとか、愛のムチとか、そんなの勝手な言い草なんです▼怒ることと叱ることは同義である【幸せになる勇気 ダイヤモンド社 岸見一郎、古賀史健著】哲人あなたは、生徒たちと言葉でコミュニケーションすることをわずらわしく感じ、手っ取り早く屈服させようとして、叱っている。青年違う!わたしは怒っているのではない、叱っているのです!哲人そう弁明する大人は大勢います。しかし、暴力的な「力」の行使によって相手を押さえつけようとしている事実には、なんら変わりがありません。むしろ「わたしは善いことをしているのだ」との意識があるぶん、悪質だとさえ言えます。青年そうじゃない!いいですか、怒りとは感情を爆発させることであり、冷静な判断ができなくなることです。その意味で叱るときのわたしは、ひとつも感情的になっていません!哲人あるいはそうなのかもしれません。いわば実弾の装填されていない、空包の銃だとおっしゃるのでしょう。しかし、生徒たちにしてみれば、銃口を向けられている事実は同じなのです。そこに装填されたものが実弾であろうとなかろうと、あなたは銃を片手にコミュニケーションをとっているのです。怒りの感情が入ってるかどうかとか、愛情があるかないかとかよりも、暴力的な「力」の行使によって相手を押さえつけようとしている事実ここの問題なんですよね。愛情があれば、子どもの頭に銃を突き付けていいと言えるのでしょうか?これは極端な例えですけどね。子どもに正しいことと悪いことをしっかり教えるために、叱ることは必要なんだという親もいます。正しいことなら「力」を行使して相手を押さえつけても許される。これって戦争する人の考え方なんですよね。例えば、平和を目指す宗教でも、自分たちは正しいことのために戦う。聖なる戦いであるって言って、平和のために戦争するところもある。戦争や暴力など「力」の行使を反対していても、正しいことなら「力」を行使して相手を押さえつけても許されると思っている。親が子どもを叱るのは、親の価値観での正しさを子どもに押し付ける行為とも言えます。叱る親はよく「子どものために」と言いますよね。戦争やる人も「世界のために」と言います。同じ自己中心的な考え方ですが、本人はそうは思っていない。誰かのためにと考えているから、自己中心的とは真逆とさえ思っている人もいるでしょう。哲人が言うように、むしろ「わたしは善いことをしているのだ」との意識があるぶん、悪質だとさえ言えます。カニさんが言うように、「暴力」なのに、躾として「正当化」されてるのが、ホント怖いところです。。(汗)fしつけとか、愛のムチとか、そんなの勝手な言い草なんです。愛情があるからとか、子どものためだからというのも、大人の勝手な言い草。暴力的な「力」の行使によって相手を押さえつけようとしているここが問題なわけです。アドラーは叱る教育の弊害を指摘しています。叱って子どもをいい子にさせたとします。それは、叱られなければ、誰も見てなければ、いい子ではない行動をする価値観を育ててしまう可能がある。「薔薇のない花屋」でわかりやすい話があります。しつけとか、愛のムチとか、そんなの勝手な言い草なんですそれで子どもがいい子になる、親の気持ちをわかって・・・・ありえないですよそういう風に仮に見えたとしたらそれは子どもが怖いから、言うことを聞いたに過ぎないんです子どもはバカじゃない親のことが怖いから、聞いたフリをしてるだけなんです別に納得したわけじゃないここですね。例えば、子どもが悪さして親が叱ったとします。親に叱られるのが怖いから、親の前ではいい子を演じるだけ。親の目の届かないところで、悪さする可能性ありますよね。だって、子ども本人は納得してないんだもん。つまり、「力」の行使によって相手を押さえつけるやり方は効果がない。目の前でいい子になるから、効果があるように見えるだけ。「幸せになる勇気」でいつも叱っている先生の話があります。生徒を叱ることが効果あるのなら、いまでも叱っているのはおかしい、という哲人の指摘があります。一時的に、力で生徒たちを押さえつけているだけの効果しかない。生徒たちは納得はしてないから、しばらく叱られないとまた問題行動を起こす。そしてまた叱ると押さえつけられる。一時的には。それを維持するには、ずっと叱ってなければいけない。全然問題解決になっていないし、子どもたちのためにもなっていない。【幸せになる勇気 ダイヤモンド社 岸見一郎、古賀史健著】哲人叱責を含む「暴力」は、人間としての未熟さを露呈するコミュニケーションである。このことは、子どもたちも十分に理解しています。叱責を受けたとき、暴力的行為への恐怖とは別に、「この人は未熟な人間なのだ」という洞察が、無意識のうちに働きます。これは、大人たちが思っている以上に大きな問題です。あなたは未熟な人間を「尊敬」することができますか?あるいは暴力的に威嚇してくる相手から、「尊敬」されていることを実感できますか?怒りや暴力を伴うコミュニケーションには、尊敬が存在しない。それどころか軽蔑を招く。叱責が本質的な改善につながらないことは、自明の理なのです。ここからアドラーは、「怒りとは、人と人を引き離す感情である」と語っています。上記の「薔薇のない花屋」のあの場面では、自分を責め続ける主人公に対して、喫茶店のマスターが声をかけます。 もうよせよ お前だって人間だよ 親だって人間だよ 完璧な人間なんているわけねえんだよ やらかしちまうことだってあんだよ 後で謝りゃいいんだよ ちとカッコ悪くてもよ、雫(子ども)に謝ればいい 時にはダメなとこも見せていいんじゃないの それが教育ってもんかもしれねえよ怒ってしまっても、叱ってしまっても、反省すればいいんです。またやってしまっても、また反省すればいいんです。自分を責めてもいいことないので、責めないで反省することが大切です。「怒ったり叱ったりしないことを目指す人前提」の話ですけどね。▼何という習慣にお父さんは取りつかれていたのだろう!「叱ってばかりいる習慣」最後は、叱ってばかりいる習慣のある親にお勧めのお話です。世界の名著といわれる 【「人を動かす」デール・カーネギー著】より。この「父は忘れる」は、ある瞬間の誠実な感情に動かされて書かれてあるものだが、読むものの心を深く動かす佳編として、今では不朽の文章となり、いろいろな場合に引用されて、社会に大きな反響を呼んでいる。父は忘れる リヴィングストン・ラーネッド 坊や、きいておくれ。お前は小さな手に頬をのせ、汗ばんだ額に金髪の巻き毛をくっつけて、安らかに眠っているね。 お父さんは、ひとりで、こっそりお前の部屋にやってきた。 今しがたまで、お父さんは書斎で新聞を読んでいたが、急に、息苦しい悔恨の念にせまられた。罪の意識にさいなまれてお前のそばへやってきたのだ。 お父さんは考えた。これまでわたしはお前にずいぶんつらく当たっていたのだ。 お前が学校へ行く支度をしている最中に、タオルで顔をちょっとなでただけだといって、叱った。靴を磨かないからといって、叱りつけた。また、持ち物を床の上に放り投げたといっては、どなりつけた。 今朝も食事中に小言を言った。食物をこぼすとか、丸呑みにするとか、テーブルに肘をつくとか、パンにバターをつけすぎるとかいって、叱りつけた。 それから、お前は遊びに出かけるし、お父さんは停車場へ行くので、一緒に家を出たが、別れるとき、おまえは振り返って手を振りながら、「お父さん、行っていらっしゃい!」といった。すると、お父さんは、顔をしかめて、「胸を張りなさい!」といった。 同じようなことがまた夕方に繰り返された。 わたしは帰ってくると、お前は地面に膝をついて、ビー玉で遊んでいた。 長靴下は膝のところが穴だらけになっていた。お父さんはお前を家へ追いかえし、友達の前で恥をかかせた。 「靴下は高いのだ。お前が自分で金をもうけて買うんだったら、もっと大切にするはずだ!」 これが、お父さんの口から出た言葉だから、われながら情けない! それから夜になってお父さんが書斎で新聞を読んでいる時、お前は、悲しげな目つきをして、おずおずと部屋に入ってきたね。 うるさそうにわたしが目をあげると、お前は、入口のところで、ためらった。 「何の用だ」とわたしがどなると、お前は何もいわずに、さっとわたしのそばに駆け寄ってきた。 両の手をわたしの首に巻きつけて、わたしに接吻した。 お前の小さな両腕には、神さまがうえつけてくださった愛情がこもっていた。 どんなにないがしろにされても、決して枯れることのない愛情だ。 やがて、お前は、ばたばたと足音をたてて、二階の部屋へ行ってしまった。 ところが、坊や、そのすぐ後で、お父さんは突然なんともいえない不安におそわれ、手にしていた新聞を思わず取り落としたのだ。 何という習慣に、お父さんは、取りつかれていたのだろう! 叱ってばかりいる習慣-まだほんの子供にすぎないお前に、お父さんは何ということをしてきたのだろう! 決してお前を愛していないわけではない。お父さんは、まだ年端もゆかないお前に、無理なことを期待しすぎていたのだ。お前を大人と同列に考えていたのだ。 お前の中には、善良な、立派な、真実なものがいっぱいある。 お前の優しい心根は、ちょうど、山の向こうからひろがってくるあけぼのを見るようだ。 お前がこのお父さんにとびつき、お休みの接吻をした時、そのことが、お父さんにははっきりわかった。ほかのことは問題ではない。 お父さんは、お前に詫びたくて、こうしてひざまずいているのだ。 お父さんとしては、これが、せめてものつぐないだ。 昼間にこういうことを話しても、お前にはわかるまい。だが、明日からは、きっと、よいお父さんになってみせる。 お前と仲よしになって、一緒に遊んだり悲しんだりしよう。小言を言いたくなったら舌をかもう。そして、お前が子供だということを常に忘れないようにしよう。 お父さんはお前を一人前の人間とみなしていたようだ。こうして、あどけない寝顔を見ていると、やはりお前はまだ赤ちゃんだ。 昨日も、お母さんに抱っこされて、肩にもたれかかっていたではないか。お父さんの注文が多すぎたのだ。

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  • 19 Aug
    • 戦争とか平和とか

      「怒り」というのは、コミュニケーションの一形態であり、なおかつ怒りを使わないコミュニケーションは可能である。つまり、どんなときでも「怒り」は使う必要がないと考えることができます。コミュニケーションは時として非常に時間かかったり面倒なこともあります。そこで彼らが最後に選択するコミュニケーション手段が暴力です。【幸せになる勇気 ダイヤモンド社 岸見一郎、古賀史健著】から、わかりやすい話がたくさんあるので、引用していきます。引用は青字表記します。暴力とは、どこまでもコストの低い、安直なコミュニケーション手段なのです。これは道徳的に許されないという以前に、人間としてあまりにも未熟な行為だと言わざるをえません。われわれ人間は、未熟な状態から成長していかなければならない、という原点に立ち返るのです。怒ることと叱ることは同義である。どちらも安直なコミュニケーション手段の暴力と考えます。戦争も暴力、子どもを叱るのも暴力です。言語によるコミュニケーションを放棄して安直な手段に出た結果です。暴力に訴えてしまえば、時間も労力もかけないまま、自分の要求を押し通すことができる。もっと直接的に言えば、相手を屈服させることできる。ここから子どもを叱る話を書いてたんですが、今回は戦争の話だけにして、教育の話はまた別に書きます。怒らずに、暴力を使わずに平和な世界、平和な解決を目指した方がいいと思うんですね。暴力が必要な人にとっては、ただのきれいごとや理想論にしか聞こえないかもしれません。以前「仁」というドラマがありました。現代の医者が幕末の江戸時代にタイムスリップする話です。現代からタイムスリップした医者が、日本人同士が戦をしているのをみて、「おかしいですよ」って言うんです。戦のない現代の日本人からみると、日本人同士が殺し合いをしているのを、それが当たり前の世界は、おかしい、という感覚なんです。主人公は、江戸時代であの坂本龍馬と出会います。こんなやりとりがありました。 龍馬さん、やっぱり変わりましたよ。 前の龍馬さんなら、敵、味方なく助けたと思います。 でも今は薩摩と長州のことしか考えてない。 先生、それは違っ、、、 やってることは武器商人じゃないですか! あの人達だって、龍馬さんが売った銃で撃たれたのかもしれないんですよ! わしゃあこの国を思うからこそやってるがじゃ 何べんも言うけんど、これはどういても必要な戦ながじゃ。 戦だけが国をまとめる手段なんですか? そんな方法で まとめるしか能がないなら 政権をとったってうまくいくはずがない! うまくいかなくなったら、また戦を繰り返すだけなんです。 暴力は暴力を生むだけなんです! 先に殺されたら!それでしまいながじゃ・・・ わしゃあ、殺されかけ、思たがじゃ どんなええ考えを持っとちゃちい、ばっさり殺られてしもうたら、それでしまいながじゃ まず相手を力で従わせんと、考えを述べることもできん! 世を動かすことはできんがじゃ! 戦争する人は、みんなそういうこと言うんです。 先生は 特別なお人じゃき、きれいごとばっかり言えるがじゃ!「戦争する人は、みんなそういうこと言うんです。」暴力を使う人はみんなそうかもしれない。「怒り」を使うのもそう。それは必要なことだとか、仕方ないことだとか。でもそれは、他のやり方を知らないだけなんですよね。戦が当たり前の時代の人たちには、暴力を使わないで国をまとめるなんてのは、ただのきれいごとにしか聞こえないんですよね。でも現代の日本は、戦なんてしてないですよね。とっても平和ですよね。世界だってできるはずだと思います。まだまだ未熟だから、安直な暴力を行使しているだけで、人類はずっと進化はしていくから、いつか戦争は必要ないというレベルまでいけるはずです。戦争のない世界の未来人が現代にきたら、仁と同じような感じになるんじゃないかな。未来人に「戦争するのはおかしいですよ。」って言われるかも。「いやいや、戦争なんてなくなるわけないじゃん」と現代人の多くは言うでしょう。戦争があるのが当たり前のレベルの我々だから、戦争がなくなるのは不可能に思えるだけじゃないのかな?未来人からみた我々は、日本で戦があるのが当たり前の時代の人たちと同じなのかもよ。その時代の人だから、戦のない日本なんて信じられないだけ。心理学者アルフレッド・アドラーは、戦争はいつかなくなると人間を信じていた人でした。アドラーが自らの心理学を「個人心理学」と名付けた翌年に、第一次世界大戦が勃発しました。元同じグループのフロイトなどは、〝人間には生命に対する破壊衝動がある”など、人間心理の闇の部分を見ました。そういった人間の心理に注目すると、目の前の戦争をみて、人間にはそういう衝動があるから仕方ないと考えるしかないのかもしれません。人間が、破壊、殺人、暴力を希求する存在ならば、戦争は仕方のないことなのだと。しかし、アドラーは、いかにすれば戦争を食い止められるかを前向きに考えました。人間は戦争を、殺人や暴力を希求する存在なのか?そんなはずはない。青年でも、いまもなお、世界中で戦争が起きています。哲人たしかに、アドラーの理想はいまだ実現されていません。実現可能なものかどうかもわからない。ただし、その理想に向かって前進することはできます。個人としての人間がいつまでも成長を続けられるように、人類もまた成長を続けられるはずの存在なのです。現状の不幸を理由に、理想を捨ててはいけません。青年理想を捨てなければ、いつか戦争もなくなると?哲人マザー・テレサは「世界平和のために、われわれはなにをすべきですか?」と問われ、こう答えました。「家に帰って、家族を大切にしてあげてください。」アドラーの共同体感覚も同じです。世界平和のためになにかをするのではなく、まずは目の前の人に、信頼を寄せる。目の前の人と、仲間になる。そうした日々の、ちいさな信頼の積み重ねが、いつか国家間の争いさえもなくしていくのです。青年目の前のことだけを考えていればいいのですか!?哲人いいも悪いも、そこからはじめるしかないのです。世界から争いをなくしたければ、まずは自分自身が争いから解放されなければならない。自分を棚に上げて全体の話をするのではなく、全体の一部である自分が、最初の一歩を踏み出すのです。マザー・テレサのこういう言葉もあります。反戦運動などには参加しません。ですが、平和活動には喜んで参加します。戦争反対と怒るのは、暴力反対といいながら暴力を振るうようなものです。戦争のない平和な世界を目指すなら、まずは自分が暴力を振るわない。「怒り」も暴力です。「怒り」というのは、コミュニケーションの一形態であり、なおかつ怒りを使わないコミュニケーションは可能である。まずは自分が暴力を使う必要はないと理解し、暴力(怒り)を使わないことが大切だと思います。世界平和のためにできることは、まず自分から、そして身近な人から大切にしていくことが最善ではないでしょうか。自分を棚に上げて全体の話をするのではなく、全体の一部である自分が、最初の一歩を踏み出すのです。斉藤一人さんのこの話を初めて聞いたとき、はっとしました。戦争起こす人、人殺しする人、機嫌のいい人は一人もいないんだよ犯罪起こす人でも、みんなイライラしてんの言われてみるとたしかにそうだと。ということは、戦争を起こさないようにするには、みんなが機嫌がよければいいんだ。世界平和のためには、みんなが機嫌よくいれればいい。それで自分ができることはなにか?まずは自分が機嫌よくしている。イライラしたり怒ったりしないこと。そして周りの人にもそれを感染していけたらいいと考えました。イライラしない、怒らない話をよくブログで書いてますが、大きく言えば、世界平和につながる一歩だと言えるかもしれません。まあ、そんな大袈裟には考えていませんが、イライラしたり怒る人が減っていけばいいなと思って、一生懸命ブログも書いています。いつもありがとうございます。ブログの他にも相談やカウンセリングをすることもあります。大きなことはできませんが、自分ができることをやる。誰かが始めなければならない。他の人が協力的ではないとしても、それはあなたには関係がない。私の助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく。アルフレッド・アドラー今後書きたい話メモ。①アドラー心理学の子どもを叱らない育て方の話。②幸せな大富豪の「怒りの感情を起こらないようにするには?」。幸せな大富豪も、プログラムを変えている話。③大富豪や成功者でも、幸せな人と幸せじゃない人がいます。だから、大富豪や成功者から学ぶのではなく、幸せな人から学びましょうという話。④心理学の研究でわかった、お金と幸福度の関係。お金で幸せになれるの?という話。⑤科学的な幸福度の高め方。科学的に証明されているんだからそれをやればいいんじゃない?という話。みんなで幸福度を高めていこう。

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  • 18 Aug
    • ”良心を信じる”

      ホンマこれ。アドラー心理学のアルフレッド・アドラーの考え方やマザー・テレサの考え方にも同じようなものがあると思います。

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    • 心を健全に保つための習慣

      心を健全に保つための習慣好きなことや癒しに触れる時間を作る。例えば、猫好きなら、猫に触れる。猫飼ってないなら、猫画像、猫動画を見るのもいいですね。アロマやお風呂などもいいですね。ちょっとした時間でもいいので、意識してそういう時間を作る。忙しい人ほど意識して癒しの時間を作る。それによって全体のパフォーマンスも影響しますから、その方が効率がいいと言えるでしょう。個人的に好きなことは、猫を見ることと、いい言葉がたくさん載っている本を読む。言葉の影響は強力なので、いい言葉に触れるのは、すごく大切だと思います。心を健全に保つ。心を穏やかにやさしい気持ちで。それができていれば、人にも自然とやさしくできます。そうすれば、当然いいものが返ってきやすいですよね。1日の中に好きな時間、癒しの時間を意識して作る。心を健全に保つための習慣を作る。

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  • 17 Aug
    • 否定的な感情の原因は出来事から生じているのではなく

      カニv(^▽^)vさん、いつもありがとうございます。カニv(^▽^)vログ~のほほんカニの成長日記♪~さっそく取り入れて頂いて、迷惑メールの苦手感がなくなったそうです。素晴らしいですね。考え方や捉え方をちょっと変えるだけで、すぐ効果が感じられることもありますね。刺激と反応の間にあるものは、「固定観念」のように、なかなか簡単には変えられないものもあります。しかし、変えられないものではないです。ライフスタイルは変えられます。刺激⇒プログラム⇒反応刺激と反応の間に変えられるものがあります。これが現代心理学の考え方です。刺激⇒反応こう考えている人は多いですよね。刺激に対して反応が起きているだけだから、これは仕方のないことなんだと。例えば、嫌な上司がいて嫌な気分になっているとします。嫌な上司(刺激)⇒嫌な気分(反応)刺激と反応という単純な考え方でいくと、嫌な気分を我慢したり、無理にコントロールしようとすることもあるでしょう。そういうやり方は心に無理がかかってよくないですね。そしたら今度は、嫌な気分になる原因の上司の方をなんとかすればいいんだと、考える場合もあるでしょう。しかし、他人は思い通りコントロールできません。それならいっそ会社を辞めてしまえばいい。あの嫌な上司が原因だから、転職しちゃおう。さて、これで解決するでしょうか?同様のストレッサー(ストレスの源)であっても、それをいかに受け止めるかによって、こうむるストレスの強さはまるで違ってきます。たとえば、Yさんという男性がA社に勤めているとします。しかし、Yさんには気の合わない上司がいて、どうしても人間関係がうまくいきません。毎日嫌な気分で過ごしていることから生じる、大きなストレスがあったとしましょう。そのことが原因で、やがてYさんはA社を辞め、B社へ転職しました。では、B社ではYさんと気の合う人ばかりで、嫌な人はいないのでしょうか。もちろんそんなことはありません。たぶんそこも気の合う人ばかりではないはずです。嫌な同僚もいるかもしれない。意地悪な上司がいるかもしれません。それでYさんは再び転職し、今度はC社に移りました。C社にはYさんの嫌いな人間はおらず、ストレスのない環境かといえば、これも答えは「NO」でしょう。つまり、ストレスはどこにいってもあるのです。だとしたらYさんは、嫌な上司でも平気にならなくては、いつまでも会社を移り続けなくてはなりません。心理学博士 西尾繁登三上記の話のように、転職しても解決にならない場合もあるんです。そういった上司の受け止め方、考え方や捉え方など、自分自身に原因が考えられるわけです。上司はコントロールできませんが、自分自身はコントロール可能です。刺激と反応の間には、自分がコントロールできる部分がある。そこを変えることができれば、嫌な気分は起こらなくなるようにできます。これは心理療法では、論理療法の考え方です。否定的な感情(反応)の原因は、出来事(刺激)から生じているのではなく、自身の認知・思考(プログラム)から生じているんですよ、という考え方で伝えていく心理療法です。否定的な感情の原因を、自分の認知・思考と考えて、そこを変えていく。

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    • 自分を喜ばせるか、他人を喜ばせるか

      遊びでも人を喜ばせることをやっている人は幸福度が高い。自分だけを喜ばせる遊びはいつか飽きる。人を喜ばせる遊びは飽きない。自分を喜ばせる遊びもいいが、何か人を喜ばせる遊びや趣味を見つけると、より幸せになれる。人を喜ばせるってことは自分も喜ばせることになるんだ。

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  • 15 Aug
    • 怒らない人の方が危ないの?

      「あまり怒らない人の方が実は怖いんだ」と言う人はいます。そう言う人の理由は、・怒るのを我慢しているから、いつか爆発する可能性があって危ない・他人に興味がないから、怒らないんだ・あまり怒らない人は、自分の感情を隠している人で、何を考えているかわからないから危ないなど。たしかにそういう人もいますよね。でもそうじゃない人もいます。上記の話の前提は、怒らない=怒るのを我慢しているこうなっていますよね。この前提で考えると、我慢している人はいつ爆発するかもしれないし、表向きはニコニコしていても、心の中では怒っていてすごく恨んでいる、なんてこともあるかもしれない。それはたしかに怖いです。でも、あまり怒らない人で我慢してない人だっていますよ。▼怒らない人は、怒るのを我慢しているとは限らないこちらの記事で聞いたように、Stimulus Response(刺激反応) 怒りの感情が出るという反応は、刺激と反応の間にあるもので決まります。今回は、刺激と反応の間にあるものを、プログラムという言い方を使います。よく怒る人(表に出さない人でも)は、刺激に対して怒るプログラムをたくさん持っている人。という言い方もできます。怒る出来事があって、怒る人と怒らない人がいるわけではない。本当の意味であまり怒らない人というのは、怒る出来事があまり起こってないんです。よく怒る人は、怒る出来事がたくさん起きている。まったく同じ環境で同じ出来事を体験しても、自分の中のプログラムの違いで、怒る出来事が多い人と少ない人の差が出ます。ここはわかりにくかもしれません。はじめから説明します。▼怒る出来事とは何か?この世界で起こる出来事は、いいも悪いもないし、嬉しい出来事、怒る出来事でもないです。その出来事が発生した時点では中立です。認知によってはじめて意味が出てくる。その出来事を認知した瞬間に、自分の中にあるプログラムが働いて反応が出る。その反応が怒りの感情だったら、その出来事は、怒る出来事だとはじめて言えることになる。その出来事は、はじめから怒る出来事として生じているものではない。怒る出来事があったら、怒りの感情が生まれたわけじゃなくて、元々は中立の出来事だけど、怒りの反応が起きたから、目の前で起きた出来事は「怒る出来事」だと認識されているということです。時系列で説明するとこうなります。一瞬のことです。・怒る出来事を体験したとき(Aさんの場合)中立の出来事(刺激)が起きる⇒プログラムが作動する⇒反応が起きる(怒りの感情生まれる)⇒怒る出来事を体験したと認識する・嬉しい出来事を体験したとき(Bさんの場合)中立の出来事(刺激)が起きる⇒プログラムが作動する⇒反応が起きる(嬉しい感情生まれる)⇒嬉しい出来事を体験したと認識するはじめの中立の出来事はまったく同じ出来事です。はじめから怒る出来事なんてものは存在せず、自分のブログラムによって怒る出来事として認識されるかどうか決まるということです。怒る出来事が起きる⇒プログラムが作動する⇒反応が起きる(プログラムによって怒りの感情が出るか出ないか決まる)こういうことではないんですね。具体的な例をあげます。アメブロのコメントで以前は、スパムコメントがよくありました。そういうコメントも怒る人と怒らない人がいます。こんな感じのコメントです。「素敵なブログですね。私はこういうブログをしていますので、よかったら来て下さい♪」プログラムを使い自動で色んな人のブログにコメントを付けて回る。この話で説明します。・怒る出来事を体験したとき(Aさんの場合)コメントを読む(刺激)⇒プログラムが作動する⇒反応が起きる(怒りの感情生まれる)⇒怒る出来事を体験したと認識するAさんのプログラムの中身はこういうものが入力されている。・コメントでこういうものはスパムコメントであるという知識・スパムコメントは迷惑・わざわざ削除するのが面倒・読んでないのに読んだようなコメントでだまそうとしてる感じが嫌などコメント読んだ瞬間に、こういうプログラムが作動して、反応(怒りの感情がでる等)が起こる。別の人のプログラムで、「コメントでこういうものはスパムコメントであるという知識」これがない人だったら、怒りの感情は起きないですよね。その人の認識では、普通のコメントです。怒りの感情はでません。怒りの感情を我慢しているわけでもありません。コメントを読む(刺激)⇒プログラムが作動する⇒反応が起きる(嬉しい感情生まれる)⇒嬉しい出来事を体験したと認識するこの人の場合は、普通にコメントに返事することもある。「素敵なブログと言ってくれてありがとう( ´ ▽ ` )私もブログ訪問させて頂きました。また行かせて頂きますね。」素敵なブログと言われて嬉しい出来事があったということになります。同じ出来事を体験しても、プログラムによって、今日はいい出来事あったなぁとなる人と、今日は嫌な出来事があったなぁとなる人がいる。スパムコメントで怒る人が、プログラムに「金儲けは汚いこと」という価値観が入っている人だとします。それで、スパムコメント先が金儲けやっているところだとしたら、さらに怒りゲージは上がりますよね。怒りの度合いも、プログラムによって違ってきます。ということは、プログラムを変えることによって、怒りの度合いを下げることも可能です。「金儲けは汚いこと」という価値観が変われば、その分の怒りの度合いは下がります。これは、出てしまった怒りの感情を抑えたりコントロールすることとは違います。あくまで考え方や価値観を変えただけですから、自然と出る感情はコントロールしようとはしていない。プログラムを変えて、自然とでる感情が変わっただけです。あまり怒らない人(我慢もしてない人)は、その人の世界では、怒る出来事はあまり起きてない。平和な世界です。よく怒る人は、その人の世界では、怒る出来事がよく起きている。あまり平和じゃない世界です。よく怒る人(表に出さない人でも)は、刺激に対して怒るプログラムをたくさん持っている人。その世界を作っているのは自分自身です。自分自身で作っているのだから、変えていくこともできます。おまけ的な話。▼スパムの語源語源は「SPAM」ランチョンミート(ソーセージの材料を腸ではなく型に詰めたもの)。アメリカではとりあえずの贈り物と言えばスパムが定番だそうです。それで、「またスパムが届いたよ。そんなにいらねーよ」ということから、勝手にどんどん送り付けられるメールをスパムメールなどと言うようになったそうです。しかし、SPAMが超大好きな人にとってはどんどん送られてくるのは嬉しいですよね。スパムメールやスパムコメントも、はじめはただのメールやコメント。自分が迷惑だと思ったときにはじめてスパムと呼べる。ということが言えるかと思います。

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  • 14 Aug
    • 怒る出来事があって怒らないのはおかしい?

      怒らないようにしていこう。怒ることがあったら反省して、怒らないようにしていきましょう。こういう話をしていると、質問や反論が来ることがあります。それに対する答えの記事として書きます。「怒る出来事があって怒らなくなるのはおかしい。怒らないようにするなんて不自然です。感情を我慢するのはよくないです。」この話は、食べ物で例えるとこうなります。「こんなまずい食べ物を食べてまずいと思わないのはおかしい。感情は我慢しない方がいいんです。」例えば、ピーマンが苦くてまずくて嫌いだったとします。自分にとってピーマンはまずい食べ物です。では、ピーマンをおいしいと食べる人は、苦くてまずく感じる感情を我慢したり抑えているのでしょうか?違いますよね。ピーマンがおいしい人は、嫌な感情を我慢しているわけでもなく、自然とおいしく感じています。口の好みが変わることもあります。子どもの頃はピーマンが大嫌いでしたが、大人になったらピーマンが好きになったという人もいます。本当に好きになった場合は、我慢強くなったわけでもなく、好みが変わったんです。無理しているわけでもありません。最近の話を使って言えば、自分の中のプログラムが変わったから、自然と出てくる感情も変わったということです。「怒る出来事」というのは主観です。まったく同じ出来事でも、人によっては「怒らない出来事」のことだってあります。そして、「怒る出来事」は主観だから変えることができるものです。「出来事」の見方や物事の捉え方(プログラム)を変えることができれば、「怒る出来事」を「怒らない出来事」に変えることもできます。そして、「怒らない出来事」ならば、当然怒りの感情は出ません。

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  • 13 Aug
    • 性格は死ぬ1~2日前まで変えられる

      Stimulus Response(刺激反応) ↑こちらをまだ読んでない方は、先に読むのをお勧めします。刺激と反応の間にある、プログラムに当たる部分を、心理学者アルフレッド・アドラーは、ライフスタイルと呼んでいます。ライフスタイルとは、ものごとの捉え方・認知の中核を為す基本的信念です。怒りなどの感情をコントロールするのは無駄である。感情は排泄物なのだ。排泄物を操作しても何も変わらないだろう。byアドラー怒りの感情をコントロールするのではなく、その怒りの感情を生み出した、ライフスタイルを変えましょう。ということですね。ライフスタイルを変えれば、出てくる感情も自然と変わるわけです。これは、出てきた感情を抑えたり、コントロールしたりするより健全なやり方です。感情はあくまで自然と出るだけでいい。刺激と反応の間にあるもの。これは色んな言い方がされています。僕のブログでは、「考え方や価値観」という表現が多いです。論理療法では、「信念、固定観念」「ビリーフ」などの言葉が使われます。「性格」という言葉でも当てはまります。ただ、これは使わない方がいい言葉。どうしてかというと、『怒るかどうかは「性格」によって違います。』と言われたどうでしょう?「自分は怒りっぽい性格だから、怒ってしまうのだ。これは仕方ないことだ。」と思ってしまう人が多いでしょう。これは「性格は変えられないもの」という固定観念です。この固定観念を持っている人は多いです。性格で決まる(刺激)⇒性格は変えられないもの(プログラム)⇒仕方ないものだ(反応)変えようと考えもしなくなる。こうなってしまって、変えられなくなってしまうんですね。こうならないために、性格という言葉は使わずに、ライフスタイルという言葉を使った方がいいというアドラーの話もあります。自ら変わりたいと思い努力をすれば、ライフスタイルを変えることは十分に可能だ。性格は死ぬ1~2日前まで変えられる。「変われない」のではない。「変わらない」という決断を自分でしているだけだ。byアドラー

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  • 12 Aug
    • できることを考える

      幸せな人は、できることを考える。幸せじゃない人は、できないことを考える。「あれできない、これできない。あれができる人は幸せだろうなぁ」「私は我慢するしかないの?あれができなくてつらいつらい。あれができない私は不幸だ。」不幸なのは、できないことが原因ではなくて、できないことばかり考えている自分の心。できないことは問題ではない。できないことばかり考えているのが問題である。誰だってできることとできないことはあります。できないことを嘆いてその場にうずくまっているのか?できないことはわかった。では、自分にできることは何だろう、と考えて前に進むのか?自分で選ぶことができる。

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  • 10 Aug
    • Stimulus Response(刺激反応)

      1879年に世界初の心理学実験室が開設されました。日本、アメリカ、ヨーロッパなど世界各国から研究者が集まり研究します。被験者に様々な刺激を与えて、その瞬間にどのようなことを意識したかを詳しく調べました。この研究が心理学の礎になっています。刺激⇒反応言葉をかけるのも刺激です。例えば、「東京タワー」と言われたら、「赤いもの」「塔」意識にあがってくる人もいます。刺激が「東京タワーと言われたこと」で、反応が「赤いもの、塔」など意識に上がったもの。好きな人ににっこりされた、という刺激があったとき、嬉しい気持ちが出る、という反応。前回コメントありがとうございます。少し紹介させていただきます。・誰にもわらないような、いくらでも言い訳が出来るようなやり方で嫌がらせをしてくる・人がいる前ではニコニコして下手に出てくるのに、私と二人きりの時は顔は般若で常に威圧感を出してくる・ブログにどういう意図なのかよくわからない重箱の隅をつつくような一言だけのコメントされた・自ら手伝いをしてくれると言ってくれたから準備したのにいきなりやらないと言い出された・憶測で決めつけられて価値観押し付けられたりこういうものが「刺激」ですね。色々な刺激があります。その刺激を受けて「反応」が起こります。怒りの感情が生まれる。Stimulus Response model(刺激反応モデル)という考え方があります。刺激があって、反応が起こる。という単純な考え方です。この考え方で考えると、怒らないようにしようと思ったら、反応を抑えようと考えてしまいやすいでしょう。しかし、反応を抑える、怒りの感情を抑えるのはよくないです。じゃあ、やっぱり怒っているしかないのか?でも同じようなことが何度もあってその度に怒っている。辛い状態のときに出口がないように見えます。これは、「刺激⇒反応」というモデルで考えていると限界かもしれません。このモデルは現代心理学では否定されています。刺激と反応の間に、認知という主観がある。これが現代心理学の考え方です。刺激⇒主観⇒反応同じ刺激を受けても、怒りの感情が出る人もいれば、嬉しい感情が出る人もいます。この違いは何かというと、刺激と反応の間にある主観の違いなんですね。Aさん「私はこういうことがあって怒った」という話を聞いて、Bさんが「えー私だったら別に怒らないなー」ってこともあります。同じ刺激でも、同じ反応、怒りの感情が出ないこともある。Bさんは怒りの感情に鈍感とか、怒りの感情を我慢しているわけではりません。主観が違うので、それによって反応が違うだけです。ということは、AさんがBさんと同じ主観になれば、AさんもBさんと同じような反応になります。(怒らなくなる)主観は変えられるものです。心理カウンセリングでそこを変えることをする心理療法もあります。主観を変えることによって反応を変えるんです。▼ABC理論アメリカの臨床心理学者アルバート・エリスが提唱した心理療法。「心理的な問題や生理的な反応は、出来事そのものではなく出来事の受け取り方によって生み出されるものである」刺激と反応の間にあるもの、「出来事の受け取り方」。出来事A⇒信念、固定観念B⇒結果C というモデルBによって、感情や行動の反応、すなわち、不安や怒り、不適応な行動が生じる。ウィキペディアにこんな一文もあります。「しかし、人は原因はBではなくAであると信じているので、あきらめてしまいがちである。」刺激と反応のモデルで考えると、反応(怒り)の原因は、刺激(出来事)であるから、仕方ないんだと諦めてしまいやすいということです。「こういう出来事があったら怒っちゃうよ。怒りは自然と出る反応なんだから仕方ないじゃん。」刺激と反応しかないなら、仕方ないと考えるのもわかります。しかし、刺激と反応の間に、変えられるものがあるんです。▼NLP(Neuro Linguistic Programming)日本語では、神経言語プログラミングと言います。人がどのような仕組みで現実を認識しているかを、神経と言語の観点から研究したものです。NLPは、ビジネス、教育、医療、人間関係などで実践され、活用されています。NLPでは、刺激と反応の間にあるものを、プログラムと表現しています。刺激⇒プログラム⇒反応例えば、ある刺激によって、怒りの感情が出たとしたら、その刺激に対して怒りの感情出るプログラムがある人ということです。人によってそのプログラムが違うから、出る反応も違うということです。望まない反応が生まれるなら、プログラムを書き換えて、出る反応を変えればいい、という考え方です。有名な「7つの習慣」という著書では、このように書かれています。「人間は刺激と反応の間に選択の自由を持っている」今回のまとめこういう出来事(刺激)がある。それに対して怒りの感情(反応)が出るのは仕方ない。刺激と反応という単純な仕組みなら仕方ないことかもしれない。しかし、現代心理学では、刺激と反応の間には変えられるものがあると考えられています。それを変えることによって、反応も変えられます。コメント番外編?>「感謝と成長Part3」というブログを読んで腹が立った(笑)>という事は一度もありませんよ>スッキリします>まるで つまったう○こが スッキリ!と言う感じです>このコメントに 腹が立ったら 非公開にしてくださいね(笑)コメントありがとうございます。スッキリ!してもられると嬉しいですね。笑ってしまいました(笑)僕の刺激と反応を説明すると、コメントが刺激です。それで出た反応は、嬉しいとか面白いとかそういう感情が出た。>このコメントに 腹が立ったら 非公開にしてくださいね(笑)ということで、このコメントで、腹が立つ人もいるかもしれない。そういう人は、刺激と反応の間にあるものが、僕とは違うということです。それが違うから、反応が違って出るという仕組みです。

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    • 怒りの感情を抑えず、怒らないようにしていく

      前回からの続きです。怒りの感情は、人生に様々な害を与えます。様々な害がありますから怒らない方がいいでしょう。そうすると、「怒りの感情やネガティブな感情を抑えるのはよくないです!」と、怒ってくる人もいます。〝感情を抑えるのはよくない”というのは同じ考えですよ。「ブログで怒りの感情を否定して、怒らないようにしようって言ってるじゃないか!矛盾してます!」いいえ、矛盾はしていませんよ。怒らないようにするために、あなたは〝怒りの感情を抑えなければならない”と考えているんでしょう。様々な害があるから怒らないようにしようと言っても、怒りの感情を我慢したり抑えたりコントロールすることではない。怒りの感情をコントロールしようとせずに、怒らないようにしていきましょう。▼怒らないようにしようあまり綺麗な話ではないですが、下痢で例えます。下痢の原因のひとつは、体に入ってしまった悪い菌などを体外に排出するために起こるものです。その下痢を抑えようとすると体によくないです。O-157(病原性大腸菌)が流行したとき、止痢剤や鎮吐剤がよく効いた人ほど、命を落とす率が高かったと言います。下痢になっときに無理に止めようとするのはよくないんです。だからといって、また今後同じ下痢が起こるのは幸せではないですよね。手洗い消毒するとか、下痢にならないように気を付けた方がいい。下痢にならないようにしようというのは、下痢を止めるとか抑えることではない。怒りの感情も同じようなもので、怒らないようにしようというのは、怒りの感情を抑えることではない。怒りの感情が出てしまったら、それを抑えようとしたり、コントロールしようとしない。だからといって、これからも同じようなことで何度も怒るのは幸せとは言えません。様々な害がありますからね。反省し改善して怒らないようになれた方がいいでしょう。下痢になったのは原因があります。例えば、暴飲暴食が原因でよく下痢になっているとします。そしたら暴飲暴食を気を付けた方がいいですよね。そうすれば今後下痢にならないんですから。原因を改善したから下痢にならなくなったわけで、下痢を無理して抑えたり止めたのではないですよね。怒りの感情が出たのも原因があります。その原因を改善できれば、怒ることではなくなる。怒りの感情はそもそもでない。それは怒りの感情を抑えたわけではない。怒りの感情をコントロールしようとせずに、怒らないようにしていきましょう。アルフレッド・アドラー怒りなどの感情をコントロールしようとするのは無駄である。感情は「排泄物」なのだ。「排泄物」を操作しても何も変わらないだろう。怒りの感情が出る原因その原因を改善する話はまた今後書いていく予定です。追記最近、怒った、腹が立ったなど、〝怒りの感情が出た”ことは、ありましたか?コメントやメッセージ募集します。例:突然人の顔を見て笑われて腹が立った。私のブログに反論してきて腹が立った。「感謝と成長Part3」というブログを読んで腹が立った(笑)

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  • 08 Aug
    • 朝の癒し

      動物はあなたを最高の気持ちにしてくれます。

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  • 07 Aug
    • 怒りの感情を抑えていくとどうなるのか?

      コメントから『怒りの感情を抑える、怒りの感情を湧かせないようにするのはどうすればいいですか?私は何があっても怒らないように悩を騙したいです。出来れば一生。』コメントありがとうございます。時々ある代表的ないいコメントなので、記事で取り上げさせて頂きます。現代心理学での考え方、心理療法を元にした話などで説明していく予定です。以前も怒りの感情を抑えることについて書いたことありますが、改めて丁寧に説明していきたいところです。前回、こんな話を紹介しました。「怒鳴らない人」には、気持ちの安らぎがあります。「怒りの感情」から遠ざかっているからこそ、賢い知恵に恵まれます。「怒りの感情」は、人生に様々な害を与えます。怒りは、「健康」を害します。怒りは、「人間関係」も破壊します。また、怒りは、「心の満足」を奪います。アドラーは怒りの感情をこう言います。「人と人とを引き離す感情である」以上こういう話を読んで、「怒りの感情は様々な害があるから、怒りの感情を抑えよう」と考える人は結構います。真面目な人ほど、自分が我慢すればいいんだと、怒りの感情を我慢して心が辛くなってしまうこともあります。結論を先に言うと、怒りの感情は抑えない方がいいです「え?怒りの感情は様々な害になるんでしょ?抑えた方がいいんじゃないの?」という疑問や矛盾を感じる人はいると思いますが後々説明します。まず、怒りの感情を抑えるとどういう結果になるのか?という話。▼感情を抑えると感情が出なくなる怒りの感情が出るたびに感情を抑え込む。それを繰り返していくと怒りの感情が出にくくなっていきます。ただし、他の感情も出にくくなります。感じにくくなります。嬉しい、楽しい、わくわく、など、幸せな感情も感じられなくなってしまいます。自分の心がわからない。感じない。実際にそういう状態になった経験のある人とお話をさせて頂いたこともあります。幸せのためにも感情は大切です。ネガティブな感情だけ抑えるとか、ネガティブな感情だけ出にくくすることはできません。怒りの感情やネガティブな感情を抑えるのはよくない。そうすると今度は、「ありのままでいいんです」と怒りのままに「開き直っちゃう人」もいます。自己受容ではなく、開き直りです。これはこれで問題があります。つづきます。1日1クリックして頂けると嬉しいです♪いつもクリックありがとうございます!にほんブログ村人気ブログランキングへ

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  • 04 Aug
    • 怒りの感情を込めた言葉を言い合うのが喧嘩

      大辞泉では喧嘩の項目に「言い合ったり殴り合ったりしてあらそうこと」とあり、この定義を採用するならば喧嘩とは、互いに相手に対する怒りの感情を込めた言葉を言い合うことや、腕力をぶつけあうことになる。~ウィキペディアより前回は、喧嘩しない夫婦の話を紹介しました。逆に喧嘩をする方がいいと言う人もいます。「うちは喧嘩推奨してます。喧嘩するほど仲がいいって言うじゃないですか。」その理由として、こういう話があります。「仲がいいからこそ本音を言い合えるんだ。」「お互い言いたいことを我慢するのはよくないから、言い合った方がいいんだ。」たしかに、言いたいことを我慢するより、言いたいことは言った方がいいと思います。しかし、本音を言うことと怒りの感情を使うことは別問題です。アドラー心理学では、怒りの感情はコミュニケーションの道具の一つという捉え方をし、「怒りという道具に頼る必要がない」と考えます。怒りを使わなくても、コミュニケーションはできます。怒りを使わなくても、本音を言い合うことはできます。話し合いは大切でしょう。家族会議ということで、しっかり話し合う時間を作っている家庭もあります。「怒りの感情を込めた言葉を言い合うこと」である喧嘩は必要ないのではないでしょうか。「いいこと」がいっぱい起こる!ブッダの言葉 (王様文庫)/三笠書房¥596Amazon.co.jp第7章「怒らない!」「怒鳴らない人」には、気持ちの安らぎがあります。「怒りの感情」から遠ざかっているからこそ、賢い知恵に恵まれます。“怒り”の毒は、この三つの宝を損ないます。「健康」は最大の宝です。「信頼」できる相手は、最高の宝です。「満足感」は最上の宝です。「怒りの感情」は、人生に様々な害を与えます。怒りは、「健康」を害します。怒りは、「人間関係」も破壊します。また、怒りは、「心の満足」を奪います。怒りながら食事をすれば、どんなにおいしい料理も、まずくなります。不満だから怒るのではなく、怒るからいっそう不満に思えてくるのです。アドラーは怒りの感情をこう言います。「人と人とを引き離す感情である」怒りは脳を委縮させます。IQが下がります。『「怒りの感情」から遠ざかっているからこそ、賢い知恵に恵まれます。』これは脳科学的にも正しいと言えます。本音を相手に伝えたいのなら、怒りの感情を使わない方がIQを下げずにうまく伝えやすいでしょう。話し合いならいい案も出やすいです。アドラー心理学では、目的があって怒りの感情を作り出すと考えます。ですから、怒りの感情は使う必要はない、使っても損だと「知る」ことが大切になってきます。怒りの感情を使わないと本音を言えない人もいます。そういう人は、「本音を言う目的」のために怒りの感情を作り出していると考えられます。これは、言いたいことを言うために酒の力を使うようなものです。酔った勢いなら言える。怒りの感情に乗じれば言える。それは勇気が足りない。素の状態でも、言いたいこと言う、伝えたいことを伝える勇気を持つ。その勇気があれば、怒りの感情を作り出す必要がなくなり、怒りは出てこなくなるわけです。1日1クリックして頂けると嬉しいです♪いつもクリックありがとうございます!にほんブログ村人気ブログランキングへ

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  • 02 Aug
    • 喧嘩をしたくない人へ

      前回、夫婦喧嘩を無くすことは自分次第で出来るからの続きです。喧嘩をしたくない人へ向けての話です。▼問題を解決するためには、まず対象を知ることまず喧嘩とは何か?喧嘩(ケンカ)言い合ったり殴り合ったりしてあらそうこと。~大辞泉より喧嘩というのは、一人では出来ないということがわかります。お互いに言い合う必要がある。喧嘩というのは、協力関係が必要と言うことができます。喧嘩を砂山に例えると、お互い協力してはじめて作れる砂山です。彼が「喧嘩という砂山を作りたいから協力してー」といくら言っても、「私は協力しませーん」と言ったら、砂山は作れないわけです。喧嘩は生み出せないんです。喧嘩になるのは彼のせいだとか、どうしようもないことではないということ。つまり、自分で選択可能なことなんですね。原因と結果でいうなら、喧嘩という結果を生み出したのは、自分が協力したという原因があると考えることができます。▼喧嘩しない夫婦先月書いた、俳優の唐沢寿明さん、山口智子さん夫妻。うちは喧嘩はしない。喧嘩にならないと言います。それは唐沢さんが聞かないとなったら絶対に聞かないから。聞き流すそうです。唐沢さんが喧嘩に協力しないということです。脳科学者の中野信子さんも喧嘩をしない夫婦です。一度も喧嘩をしたことがないそうです。中野信子さんはキレてご主人に怒りをぶつけることがあるそうです。そのときご主人は、さーっといなくなって、お風呂入れてたり、コーヒー入れたりするそうです。喧嘩に協力しないんですね。僕自身も今の彼女とは一度も喧嘩をしたことはありません。自分で喧嘩を選択しないから。自分が選択しなければ喧嘩は起きようがありません。僕が尊敬する以前お世話になったメンター夫妻も喧嘩はなくずっとラブラブです。お互いにとっても幸せな選択をしています。「喧嘩を買わない」という言葉もあります。意味は、人から攻撃的な姿勢を取られても取り合わないさま。買わなければ喧嘩は成り立たないですよね。まとめ喧嘩するということは、自分も協力しているということ。喧嘩はお互いが協力してはじめて成り立つこと。そういう認識をすれば、喧嘩したくないなら自分が協力しないことを考えることです。相手の問題ではなくて自分の問題だと考える。そう考えることで、〝自分で変えられる”ことになります。対人関係のカードは自分が持っている。1日1クリックして頂けると嬉しいです♪いつもクリックありがとうございます!にほんブログ村人気ブログランキングへ

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プロフィール

猫事

お住まいの地域:
東京都
自己紹介:
幸せ、健康、心理学などに興味あります。 尊敬する心理学者は、心理学の三大巨頭のひとりアルフレッ...

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マスターの教え


自分はすべてを知っていると思っている人は何も学びません。

問題に抵抗を持ってのぞむ者も、ほとんど何も学びません。

そういう人にあまり希望はありません。

しかし、何ごとにも心を開いて取り組み、自分の成長と安らぎと幸せになることを喜んで学ぼうとする人は、賢い人です。


私の言うことを、全面的に信じなさい、とは言いません。

それではあなたの思想の自由を侵害することになるからです。

しかし、私の言うことを疑ったり、抵抗したりしないようにしてほしいと思います。と言いますのは、そうすることによって、あなたが求めている助けが得られなくなるからです。あなたにとって、最高にためになる態度は次のようなものです。


「私はこれらの教えに対し、心を開き、中立的な姿勢で、自分が得られるものは全部吸収しよう。
そして、今現在、私に理解できない事実や、信じられない考え方や、主張があっても、そうだからといって、それが正しくないとは言えない」
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