この数日、今回のフランス同時テロについて考えてきました。
今から書くことは私の考え過ぎ、間違っているかもしれません。
そのことを踏まえて読んで頂き、読んで頂いたことの参考にテロについて考えて頂けたら幸いです。
私は、2つの言葉を何度も書き、1つの文章に感銘を受けてまいりました。
2つの言葉
・「憎しみは憎しみしか生まない」
・「憎しみの連鎖」
1つの文章
・(フランステロで妻が犠牲になった夫の言葉)『(テロリストに)憎しみという贈り物はあげない。
君たちは憎しみを求めたが、憎しみに怒りで応じることは、君たちと同じく無知に屈したことになる』
そして、こうも言っています。
「(テロにより)私が怖がり、市民が警戒の目で見て、安全のために自由を犠牲にすることを君たちは
願っているのだろう。しかし、君たちの負けだ。(大事な妻の命を奪われても)私は変わらない。
憎しみを憎しみで返さない」
私はそのことが、テロに屈しない、本当の意味でテロに勝つ手段(本当の報復)なのかもしれないと
感じました。
総合すると次の結果になります。
・憎しみは憎しみしか生まない、だから報復をすれば「憎しみの連鎖」が続くだけである。大事な人が
テロの犠牲になったとしてもテロリストに憎しみという贈り物を与えてはいけない。
それは、「罪を憎んで人を憎まず」の諺に通ずるところがあります。
(テロリストも最初からテロリストだった訳でなく、そのきっかけがあったはずです)
つまり「テロには屈しない」ことより「憎しみには屈しない」が大事ではないでしょうか。
イスラム過激派に対しては攻撃という形で対応するのではなく、それ以外の知恵を縛りイスラム
過激派を縮小、消滅する方法で対応する。そして再発する防止も怠らない。
しかし、「テロには屈しない」の考え方から今の各大国の状況を見ると上記内容とは違う方法、報復攻撃
を前提に世界は動いているように見えます。
私は色々と考えているうちに、ある仮説を考えました。
それは、フランスを中心に世界各地で起きているテロ行為。
フランスでは約130人が犠牲になり、それ以外の爆弾テロや航空機の爆破で何百人の人が犠牲に
なっている。
こうなるとイスラム国過激派の報復(空爆)は致し方ないと考えてしまうでしょう。
でも、報復空爆では過激派だけでなく一般市民も犠牲になるのは火を見るより明らかです。
そうなると、犠牲になった人の家族(特に若者)も憎しみを抱き過激派に走る可能性が高くなります。
イスラム国やイラクに家族や親戚を残して他国で生活している人も過激派に走る可能性が高まります。
また、他国にいるイスラム穏健派の教徒の方々にも冷たい対応や偏見が続くといずれ不満が爆発して
過激派に走るかもしれません。
そうなると、テロが更に激化する可能性は十分にあります。
そうなれば、イスラム国への報復も激化し一般市民の警戒感も強まります。その憎悪や不満から
他国で生活するイスラム教徒への不信感や冷酷な対応は続きます。
すると更に過激派の考えに感化した若者を中心にテロに参加する者が増えてきます。
そうなると、戦争後のイラク治安や今のシリア紛争と同じように収集がつかなくなり、
「憎しみの連鎖」が続きます。
小さな争いであれば終結する方法(知恵)はあると思っています。
でも、争いが拡大すればそれを終結することも、縮小するのも至難の業です。
そうなれば、イスラム過激派は増加の一方になり、過激派の思う壺です。
もしかしたら、イスラム国過激派はそれを狙っているのではないでしょうか?
「憎しみは憎しみしか生まない」そして、「憎しみの連鎖」によるイスラム過激派の拡大。
そうなれば、イスラム国を縮小させることは更に難しくなり、
その占領地域を拡大させることも容易になります。
そうならない様にするには・・・
武器を使った報復攻撃でなく、それ以外での報復を行う。
例えば内部分裂を誘う様な施策を行う。シリア難民やイスラム教徒への支援の充実。
そして、貧困地域のイスラム教徒へちゃんとした教育を施すこと。何が正しくて、何が悪いのか理解してもらう。そして、生活を豊かにする糧となる知恵を授けること。
最後に
「テロには屈しない」ことより「憎しみには屈しない」
テロへの対応は大事ですが、過敏になり過ぎない。
(イスラム教徒だからと言って差別や過剰な対応をしない)
直近の対策も大切ですが、真の平和を願い未来の子どもたちが色々なことで
辛い思いをしないように長期的な対応を講ずる必要も大事ではないでしょうか。
追伸
暫く、諸書の事情により、またこの扉は閉めさせて頂きます。
平和な世界に向かいますように、皆さんが幸せを感じる時が続きますように願っております。