言葉は変化するもの
「言葉は変化するもの」
私が今も尊敬してやまない中学校の国語教師だった伊丹先生の教えです。
越後高田城の外堀沿いの桜並木から小さな動物公園を抜けると、アメンボが気ままに水の上をすべる内堀と石垣のない土手を通り過ぎて、本丸があった場所に私が通っていた中学校がありました。
三大夜桜の名所と言われる高田公園です。
春のうららかな日差しの中、国語の授業の開始と共に、
「先生、こんな日に教室で勉強するのはおかしいと思います。」
とアホな子が提案しました。
先生はその子をまじまじと見ると、窓の外に目を移し、
「ふむ。」とうなづくと、
「今日の授業は桜の下でやりましょう。」
そう言って教室のドアを開けました。
子どもたちが歓声を上げると、先生は唇に指を当てて静かにさせ、こっそりと階段を下りて子どもたちと一緒に学校を抜け出しました。
映画のワンシーンみたいでしょ。
でも、本当の話。
その先生が教えてくれたのが、
「言葉は変化するもの」ということでした。
万葉集の研究をされていた先生は、当時の発音と現代の発音がまったく別物で、百人一首は当時こう詠まれていたと実際に詠んでくださいました。
ハ行はPH音やF音で、濁音であるバ行は今のパ行に近い音で子音はBではなくPらしいこと。
大陸や半島の言語の影響が大きく、発音が安定していなかったこと。
実は現代も同じで、各地方によって発音が違うこと。
イントネーションや方言の差はその地域の歴史だと言うこと。
方言について面白い話があって、
万葉集の言葉の中にどうしても意味がわからない単語があって、研究者がみんな頭を悩ませていた時に、東北を旅していたら地元の人が普通に使っていたと。
案内していた方が研究者達の質問攻めにあって閉口したらしいです。
方言は時として古語を原型のままに保存しているというのは覚えておいた方がいいですと、丁寧に教えてくださいました。
その先生がちらっと洩らしてくれた、戦後GHQが文部省を指導して!日本の標準語を英語にしようとしていた話はそのうち証拠集めでもしようかと思っています。ローマ字教育は英語化への1ステップだったらしい。
相手が中学生だからと見下さず、いつも同じ目線で話してくれた先生は、ちょっとぼんやりしているところも含めて子どもたちに愛されていました。
その先生が教えてくれたこと。
「言葉は変化するものです。その変化を楽しむ事も文化です。」
残念ながら伊丹先生はすでに世を去られていますが、ググったら先生のことを書いた文章が出てきたのでリンクしておきます。
ちなみに、この文を書いた上野和昭くんは中高の同級生で、中国の古典はこの男の影響で読んだものが多いです。中学生時代に白文を読んでいたやつです。尊敬するしかないでしょ。
それにしても、相変わらずお硬い文章を書いてるなぁ。(笑)