宮城谷昌光 『風は山河より(一)』 (新潮文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

還暦過ぎの文庫三昧

 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。


 2009年11月発行の新潮文庫。中国の歴史に題材を得た作品を発表してきた著者が、初めてわが国の歴史小説を書いたということである。全6巻であり、毎月2巻ずつ刊行されて、1月で完結の予定。『三国志』のように、いつ終わるとも知れぬ小説を読み続けることよりは、やはりゴールが明確であるほうがありがたい気がする。

 帯に、「家康を唸らせ信玄を憟わせた男、菅沼定盈」とあるけれど、残念ながら、菅沼定盈という人物に心当たりがなく、イメージが湧かなかった。この作品は戦国前夜の三河地方を描いていて、第一巻で描かれるのは、家康の祖父にあたる松平清康が三河を平定してゆく動向であって、信長も家康もまだ生まれていない時代なのである。ちょっと意表を突いた時代背景であり、この時代のこの地方が小説化されたことは、これまであまりなかったのではないかと思う。これでは自分の知識不足もある程度やむを得ないだろうと、誰に言い訳したいわけでもないけれど、呟きを漏らしていた。

 物語は、若くして松平宗家の家督を継いだ松平清康が瞬く間に西三河を平定し、その勢いで奥三河に侵攻してきたところから始まる。野田城主・菅沼新八郎(定盈の若いころの名であるらしい)は、清康の卓越した戦術に心を打たれ、帰属していた今川家を離れる決意をする。彼は侵攻してきた清康の元へ駆けつけるのである。

 今川家は氏輝の時代になっているが、清康の活発な示威運動に反応を示さず、眠ったがごとくである。この時代、群雄割拠というと聞こえは良いが、奥三河を見る限り、豪族がそれぞれに城を構えて、一族で連携しつつ、帰趨を測っていたというのが当たっているだろう。大名どころか、小名とさえ言えない。新八郎も、兄が菅沼の家を継ぎ、自身は野田へ養子として入ったのであり、菅沼の一族としての立場とともに、野田としての独立独歩の立場もあり、誰に帰属するかは一家の命運を左右することなのである。

 新八郎は清康の戦に参陣し、宇利城の攻防で目覚ましい働きをして、清康から同城を授けられるなど、次第にその力を認められてゆく。ただ、その宇利城の攻防では、清康の叔父で一族間では信望の厚い松平信定と清康との関係が悪化し、松平家が一枚岩とはゆかなくなったのが、将来に禍根を残しそうである。

 物語は、新八郎に即して進むわけではなく、清康にも多くの紙数を割き、同時に他の豪族の動向にも目配りして、さながら群像劇の様相である。特にこの第一巻では、新八郎は清康に認められつつあるとは言え、必ずしも傑出した存在ではないため、どうしても彼を離れる記述が多くなってしまう。

 その一方、新八郎が豊川で庇護し四郎と名付けた幼児との関わりが、この物語の伏流水として脈々と流れてもいる。四郎はどうやら古河公方の血筋であるらしく、公方家の内紛で命を狙われ、落ち延びてきたらしい。四郎を得たことが新八郎に幸運をもたらすらしいのだが、それが何を意味するのかは、次巻以降に待たなければならないのだけれど。

 中国の歴史を小説化してきた著者だけに、やたらむつかしい漢字・漢語が出てくることには閉口するけれど、そこを我慢すれば、相当に面白く読める。自分にとって、ほとんど未知の時代の物語であり、しかし戦国前夜だけに幾多の英傑が出現し始めていて、彼らは我々が歴史上よく知っている人物の祖先であったりするのである。歴史好きには興趣が尽きない趣向が凝らされているというべきであろう。

 ただ、この長大な物語がどこへ向かうのかは、まだ全く見えない。新八郎がどれほどの男となってゆくのかと併せて、第二巻以降の楽しみである。

  2009年12月10日  読了