松井今朝子 『辰巳屋疑獄』 (ちくま文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。


  2007年9月発行のちくま文庫。8月に『一の富―並木拍子郎種取帳 』などと一緒に松井今朝子作品を纏め買いしていたうちの一冊。単行本初出は2003年11月とあり、松井作品としては比較的初期のものだと思うけれど、この作家はデヴュー時から老成の趣きがあって、実に達者な語り口である。
 「辰巳屋」は大阪の炭問屋としてスタートし、次第に金融業にも進出して、手代460人、家産200万両という大富豪となった。三井や鴻池と並び、幕末まで大阪屈指の豪商として世に知られていたという。この作品は、その辰巳屋に起きた相続争いが、一軒の商家の問題に収まらず、大阪奉行所から江戸の幕閣にまで飛び火し、京の公家社会をも巻き込んで、一大疑獄事件へと発展していった模様を、元助という一人の奉公人の目を通して描いたものである。
 辰巳屋は三代目の九左衛門により大きく飛躍したのだが、元助が奉公にあがったときは、三代目は隠居して休貞と名乗り、弱冠20歳の長男が四代目九左衛門を継いでいた。次男の茂兵衛少年が小ぼん様と呼ばれて勉学に励んでおり、愚兄賢弟と思われていたのだが、この時代、弟が兄を差し置いて家督を継ぐことができないのは当然である。元助は、その小ぼん様に読み書きを教わることになり、結局、終生彼を主人と仰ぐことになるのである。
 小ぼん様が同業の木津屋へ養子に入り、吉兵衛と名乗るようになって、元助も辰巳屋から木津屋へと配置替えとなった。木津屋は炭問屋のかたわら質屋も営んでいたが、吉兵衛は質屋の規模を拡大し、一時は大きな利益を得る。だが、儲かれば大きく遣うのも吉兵衛であって、次第に木津屋の身代は傾いてくる。
 辰巳屋では、九左衛門に娘しかなく、泉州の豪商・唐金屋から乙之助を養子に迎えていた。病弱であった九左衛門の死後、後継者争いが持ち上がる。血筋から言えば、吉兵衛も立派に相続人でありうるのだが、辰巳屋の親類や番頭たちは、吉兵衛の浪費癖を怖れていた。と言って、唐金屋に乗っ取られてしまうのも困る。それぞれの思惑が交差し、ついには訴訟沙汰となって、吉兵衛が勝訴し、彼は辰巳屋の全権を握る。彼はこの訴訟において、公事にあたる武士に贈賄を続けていて、これは後に大きな問題ともなるのである。
 吉兵衛は京の公家に寄進して官位を得るなど、辰巳屋の財力にものを言わせ、派手に振舞うようになった。一方、収まらないのは、商いの規模では辰巳屋をはるかに上回る唐金屋の本家である。唐金屋は紀州出身の将軍吉宗にも近く、幕閣に働きかけることもできるとして、江戸で新たな訴訟を起こすのだ。この訴訟は、最初から吉兵衛に不利なものであった。
 江戸へ出た吉兵衛は、人を頼ってやはり贈賄を繰り返す。大阪商人には、それが罪悪であるという意識はなかったのだが、結果はそれも裏目に出て、彼は敗訴し、遠島の刑を得てしまう。最後にこれらの訴訟の後始末をすることになったのが、かつての名町奉行・大岡忠相だ。彼は奉行所の裁定が恣意的な圧力で歪められたらしいことを察し、今後そのようなことが起きないように手を尽くすのである。
 辰巳屋は乙之助によりその後も堅調な商いを続けた。また、吉兵衛は京の公家からの嘆願で遠島を免れ、静かに余生を送った。吉兵衛の側に元助がいたことは言うまでもない。
 物語の前半は、農家の次男で無学の元助に小ぼん様が教育を施すという進行で、教養小説の味わいもある。中盤の4代目九左衛門の死からは、それぞれの欲望が渦巻き、離合集散も行われて、目が離せない展開となる。そして後半の白眉は、大岡忠相の苦悩である。また、吉兵衛が順境であれ逆境であれ、元助の主人に仕える姿勢には変化がないところも、読みどころであろう。
 これまで読んできた松井今朝子の作品とはいささか毛色が違うような気もするが、これはこれで、確かな手応えを感じる一作であった。
  2009年11月28日  読了