松井今朝子 『二枚目 並木拍子郎種取帳』 (ハルキ文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。


 2006年6月発行のハルキ(時代小説)文庫。先日読んだ『一の富―並木拍子郎種取帳 』の続編である。

 主な登場人物の構図は、前巻と全く変わらない。並木拍子郎は本名・筧兵四郎、兄は北町奉行所の同心であり、れっきとした武士であるが、歌舞伎狂言作者の並木五瓶に弟子入りし、この名を与えられた。五瓶の妻の小でんは薬種商を営んでいるが、子供のいないこの夫婦には、拍子郎が持ち込む話題が何よりも楽しそうだ。そして、そこへ近所の料理茶屋・和泉屋の娘のおあさが加わる。レギュラー陣と言えるのはこの4人で、ときに奉行所同心の兄を巻き込むことにもなる。彼らの生活の場は芝居町であり、全編に歌舞伎興行に携わる様々な人々が配されているのも、前回同様である。

 全5話のうち、最初に置かれた『輪廻の家』だけは、どうにもいただけない感じである。と言うのも、拍子郎の先走りにより、夫婦の、あるいは親娘の、つまりは家族固有の問題に首を突っ込んだ結果に終るからである。事件性のないところに、拍子郎は人殺しの予感を得てしまったのだ。

 表題作でもある『二枚目』は、役者同士の妬みに金銭が絡んでの失踪事件を描き、最後は五瓶がきれいに絵解きをすることになる。この時代、看板が右端にくる役者を「書出し」と言い、左端の座頭とともに芝居の主役を務め、「二枚目」は女形の相手役に過ぎなかったということであり、五瓶が最後に、自分を座藤に、拍子郎を二枚目になぞらえるところが、何とも洒落ている。

 『見出人』は、和泉屋で修業したことがある伊三次という料理人が女房殺しで逮捕されるという話だ。伊三次はかつてはおあさの婿にと考えられた男であり、おあさとしても秘かに思慕していた。その伊三次が、こともあろうに愛用の包丁で女房を刺したなどとは、おあさには信じられない。拍子郎は現場の状況などから推理を働かせ、ついには意外な人物が真犯人であることを突き止めてゆく。いわゆる捕物帳としての魅力に溢れた一章である。しかし、このシリーズ、拍子郎とおあさの恋の行方も気になるところであったのに、おあさの気持ちは伊三次に向かっているようで、水を差されたような雰囲気になってしまった。

 『宴のあと始末』は、芝居の桟敷席がお見合いにも利用されたというところから始まる。料理茶屋との関係や、観客の世話をする桟敷番などの役割も描かれ、当時の歌舞伎のありようがよくわかる。ところが、お見合いの当事者である娘の姿が忽然と消えてしまうのである。拍子郎がその不思議を解明してゆくという筋立てだ。娘は翌朝無事に戻り、実質的な被害はなかったとして、事件の扱いはせず、内分で済ませることになるのだが、娘が一時的に姿を消す顛末は案外と面白い。

 最後の『恋じまい』は、五瓶の老いらくの恋が描かれ、小でんとの夫婦喧嘩のおまけが愛嬌ともなっている作品であるが、内容的には堂々たる捕物帳である。五瓶が逢引を重ねた元芸者が心中事件を起こして死んでしまったのだ。しかし、五瓶には、彼女が死を選ぶような女性であったとは信じられない。ここでも拍子郎が大活躍し、ついに心中の裏にある犯罪を突き止め、兄と連携して、奉行所の大捕物で幕を閉じるのだ。

 このシリーズがその後も書き継がれているのかどうか、自分は知らないけれど、拍子郎と五瓶の老若師弟の絡みは絶妙であるし、おあさのことも気がかりであるし、それに、江戸の芝居町に暮らす人々の日常がさりげなく挿入されるのも楽しいわけで、もっともっと読みたいものだと思う。

  2009年9月15日  読了