松本清張 『聖獣配列(上)』 (文春文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 2009年8月発行の文春文庫。このところ同文庫から毎月刊行されている「長編ミステリー傑作選」の第5回配本である。最近は松本清張ばかりを読んでいるような気もするが、生誕100年ということで、出版点数も桁違いに多く、それを追いかけることに多忙な状態だ。それにしても、清張が現役で旺盛な執筆活動をしていた頃、自分は熱心な読者ではなかったわけで、いま、挽回しようと読み漁っているというのは、同時代を過ごしていただけに、悔やまれるところである。

 この作品、初出は1983年9月~85年9月の2年間に亘る「週刊新潮」連載ということだ。連載開始時は、ロッキード事件の第一審判決の直前で、新聞・雑誌が大きく取り上げていた時期であり、非常にタイムリーな題材を正面に据えてミステリーを描こうとしたわけである。アメリカ大統領とその秘書官、あるいは国際的フィクサーを手玉に取ろうかという大きなスケールの物語であり、ことの善悪は別としても、清張のペンによる緊迫した小説世界に酔い痴れることができる。先月読んだ『火の路 』がミステリーとしての出来映えに疑問を感じただけに、余計にこの作品の面白さが際立つようである。

 銀座のバアのママ・中上可南子は、12年前、アメリカの上院議員・バートンとホテルで二晩を過ごしたことがあった。そのバートンが、大統領となって、首脳会談のために日本を訪れる。バートンは可南子との再会を希望し、秘書官・ジェフソンの画策と手引により、可南子は秘かに迎賓館を訪れることになる。厳戒の迎賓館への潜入という冒頭シーンから、読者は物語の緊張感に鷲掴みされてしまうのである。

 実は可南子はパトロンの島村と別れ話が持ち上がっていて、ママの座を追われそうである。彼女はアメリカ大統領の絶大な権力により、何らかの利権を得たいと思う。迎賓館の情事の翌早朝、可南子が目覚めたとき、バートンの姿はすでにベッドにはなかった。彼女は用意のカメラにフィルムを装填し、廊下へ出てみると、前方から5人の男が歩いてくる。夢中でシャッターを押し、部屋へ戻った。可南子が撮影したのは、報道機関に知らされない日米首脳の秘密会談の証拠写真であったのだ。彼女はやがてその写真が持つ意味と価値を知るところとなり、これを活用して、利権に結びつけようと手を打ってゆく。フィルムの箱を迎賓館のゴミ箱に残してきたため、身辺を厳しくマークされたが、彼女はネガとプリントを巧みに秘匿し続けるのである。

 だが、大統領の私設秘書に手紙を送っても、梨のつぶてだ、可南子は直接行動に出るべく、米欧の首脳会談が行われるスイスへ飛ぶ。ジェフソンに会い、写真を見せることで、ついに150万ドルを手にすることになる。可南子はとりあえず支払われた50万ドルの小切手を、スイスの個人銀行に預けた。その銀行の共同経営者こそ、写真に写っていた5人の一人であり、有名ホテルのオーナーでもあって、どうやら国際的に暗躍している男であった。

 写真に写っていたのは、バートン大統領とジェフソン、磯部首相と通訳の杉浦雄之輔、そして国際的フィクサーのシュルツであったのだ。可南子はシュルツに近づき、さらなる利権を得ようとする。一方で、国際機関日本代表部参事官の杉浦は、ベルギーのカストーからスイスまで、謎の金属貨物のトラック輸送を見届けるという、不穏な行動が描かれる。そして、その杉浦は、国連ジュネーブ事務局の総合議場で、不慮の死を遂げる。政治的な配慮で病死と発表されても、どうやら殺人であるらしい。

 上巻はここまでで、迎賓館の秘密会談の参加者からついに死者が出たわけだ。可南子は写真を秘匿しているとは言え、徒手空拳の女の身であり、果たして無事に利権を手にできるのだろうか? そもそも、日米政府関係者を相手に、一人の女がこの小説のように渡り合ってゆけるものかどうか、大いに疑問でもあるけれど、さもありなんと思わせるところが清張の筆力である。可南子が危機を回避してゆくシーンも盛り込まれ、ハラハラの連続であるし、詳細は語られなくとも、日米両首脳の間に多額の現金が動いていそうな予感もある。さらにはスイスの個人銀行の仕組みにも言及があり、それも興味をそそる。これぞ正に一級のエンタティンメントと言えるだろう。

 急いで下巻を読みたいと思う。

  2009年9月5日  読了