松本清張 『火の路(下)』 (文春文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。


 2009年7月発行の文春文庫の下巻。

 この下巻では、通子のイラン取材が詳細に語られ、その後には、彼女が「史脈」誌上に発表した『飛鳥文化のイラン的要素ーとくに斉明朝を中心とする古代史考察と石造遺物について』という長論文が全文紹介され、さらには海津信六からの賛辞を添えた読後感も続くというわけで、半分以上は古代史への考察に充当されている。日本書紀の斉明紀にペルシャ人の来朝が記されていることも根拠にして、通子がイランで見たゾロアスター教の遺跡と、飛鳥石造物との関連をを推論したものであり、解説の考古学者・森浩一氏によれば、発表から30数年の間の学術進歩により、通子の(つまりは松本清張の)論旨には明らかに否定される部分も出てきているけれど、いまなお研究に値する内容も含んでいるということだから、当時としては有意義な提言であったのかも知れない。しかしながら、古代史が好きと自認している自分であっても、これらを読み通すことには並々ならぬ労力を要し、苦行であった。森氏が触れているように、新聞連載時「難しすぎる!」と苦情が寄せられたというのも、なるほどと首肯できるのである。著者は「この作品は論文が主役」と述べていたのだが、物語の大筋から離れて論文が独り歩きしているのは、読者としては辛いのである。既に功なり名を遂げていた著者が、それまで身上としていた読者サービスをしばし措いて、自分の楽しみのために温めてきた考察を開陳した、と想像するのも、あながち的外れでもないのではないだろうか?

 そして、ストーリーのほうは、どうやら海津信六という人物への疑惑が姿を表して、外堀を埋めるように、いろいろなことが語られてゆく。と言って、具体的な事件は何事も起こらず、静かな終息へと向かってゆくのだ。通子の依頼で奈良へ入ったカメラマンの坂根要助が探偵役に似た動きを見せるけれど、彼も全体像を見通すところまではゆかない。海津信六はいまは保険外交員ということになっているが、その歴史に対する造詣・知識を歪んだ方向へ活用して、盗掘品の処理に関わっていたようなのである。奈良には崩落の危険のため発掘を免れている横穴古墳が数多く残されており、その副葬品を盗掘するグループがあるのだ。それほど身分が高い人の墓ではないため、副葬品そのものに価値があるわけではなくとも、それを加工し、あたかも貴重な歴史遺品と見せかける技術集団も存在して、海津もそこで重要な役割を担っていたというわけである。

 だが、東京美術館の佐田特別研究員が鑑定した古美術品に模造の疑惑が起き、京都の古美術収集家・増田卯一郎宅でも同様な疑念が明らかになる。多田卯一郎の妻・亮子こそは、海津信六が歴史学界から身を引かざるを得なかった最愛の女性であり、海津が通り魔事件の被害者として入院したとき、急いで駆けつけてきて通子と要助と出会ったその人なのである。海津は通子に長い書簡を送った後は身を隠し、その後、自殺死体として発見されることになるのだ。

 一方、通子の力作論文も、学界からは徹底的に無視される。そればかりか、T大学の上司である久保教授からは見放され、四国の大学へと都落ちを示唆されるのである。慎重を旨とする閉鎖的な学内で、通子は異端児なのだ。。このあたり、権威に対する清張の皮肉な眼差しが感じられるところである。

 坂根要助は通子への思慕を募らせているようであるのに、それがロマンスへと発展することもなかった。最後のシーンは、海津が自殺した場所に通子が佇むところであるが、物語としては中途半端な終り方のような気がする。

 清張の古代史への論考には見るべきものがあるとしても、長編小説としては瑕疵の多い作品であると思わざるを得ない。

  2009年8月6日  読了