小川洋子 『ミーナの行進』 (中公文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 2009年6月発行の中公文庫。谷崎潤一郎賞の受賞作ということである。

 二人の少女と、その家族の物語であり、ほのぼの感が何ともたまらない作品であった。その中にも、小川洋子らしく不可思議な要素を挿入していて、まぎれもなく彼女の世界が展開されている。この文庫本には解説がないので、書き下ろしなのか雑誌連載なのか、どのような媒体に発表されたのか、さっぱり不明であり、中学1年生と小学6年生の少女が中心の物語であってみれば、少女向けに書かれたものなのかと思わないでもなかったが、どうしてどうして、大人(自分のような老境に達した者)の鑑賞に堪え得る作品であった。

 物語の語り手は、岡山で育った朋子という少女である。父が死に、母は将来の安定した仕事のため東京で1年間専門学校で学ぶことになって、朋子は芦屋に住む伯母の元へ預けられることになった。小学校を卒業し、中学校への入学を控えた1972年のことである。

 伯母さんの夫、つまり伯父さんは、飲料水会社の社長であり、芦屋の住居も大きな洋館であった。ミーナ(美奈子)はその娘で、小学6年生である。他に家族はドイツ人のローザおばあさんがいて、つまりミーナにもドイツ人の血が流れているわけだ。1972年はミュンヘンオリンピックが開催された年であり、つまりはドイツを意識せざるを得ない仕掛けとなっている。ミーナには兄がいるが、スイスに留学していて不在である。そして、家事一切を取り仕切る米田さんと、庭木の手入れとコビトカバのポチ子の世話をする小林さんが同居人だ。ここで暮らす1年間が、朋子の「私」という一人称で語られてゆくのである。

 ミーナは喘息持ちで、ときに発作を起こすなど、とても病弱であって、このため許可を得て、通学はポチ子の背に揺られての行進である。彼女は本好きで、マッチで美しい火を点すことができる。ほとんど外出しないので、「私」はこの家で彼女との濃密な時間を過ごすことになるのだ。

 季節に応じた様々なエピソードが綴られてゆく。この物語にはおよそ悪い人は出てこないので、胸がささくれ立つような思いとは一切無縁である。誰もがミーナを大切に慈しみ、同じように「私」にも接してくれる。わずかに、伯父さんが家へ帰らないことが続くのが不思議なのだが、誰もそのことに触れようとはしない。物語の後半で、「私」はその理由を知ることになるが、それを誰に話すこともなく終る。表面的には、裕福な家庭に流れる穏やかな時間が続くのである。

 ただ、この物語の巧妙なところは、30年以上を経た後に、朋子が当時を回想するという構成になっていて、ときどき現在の朋子が顔を出し、大人の言葉で語るところだと思う。そして、最後の章で、この家族の現在が短く語られるとき、自分は不覚にも涙ぐんでしまった。特に、朋子が図書館に勤務していることがさりげなく明かされるところが素敵である。

 平易な言葉で書かれていて、楽しげなエピソードが満載で、それでいてほんのり泣かせるのだから、やはりこの著者は達者であると言わねばならない。

  2009年7月27日  読了