1998年9月発行の講談社文庫。雑誌「群像」での連載は1990年3月号~91年12月号までで、その後、大幅な手直しを経て、単行本発行はようやく1995年9月であったということだ。平安末期から武家社会へかけて生きた歌人・西行を描いた作品であるが、連載終了からなお4年の歳月を投入しているところに、著者の思い入れの深さと執念を感じる。なお、タイトルの「白道」は、おそろしい火・水の二河に挟まれた細い白い道を指す仏教用語で、西方浄土に到る道の比喩であるということである。
自分は詩歌にそれほど惹かれるタイプではないと思うし、記憶力が弱いので、心に留めた和歌や俳句もすぐに忘れてしまう。「百人一首」さえ覚えられない。それでも西行には心打たれるところがあって、新潮日本古典集成の『山家集』を通読したことがある。もちろん和歌の鑑賞を目的としていたのだが、詞書に歴史の証言のような生々しさを感じたりして、それも面白かった。この作品は、まさにその部分への言及が豊富であって、単に西行の人生を伝記風に辿るという方法ではなく、彼の生きた時代と、放浪の歌人といわれる彼が旅した土地と、彼が残した数々の秀歌を検証しつつ、西行という人物に迫ろうとしているのであり、非常に充実した内容となっている。また、著者自身が文筆業の身で出家したことと重ねつつ、西行の仏道修行にも目を向け、出家の意味を問おうとしているのも、他の西行研究とは一線を画しているようにも思われる。
西行が生きたのは、絶対君主の白河法皇の時代から、保元・平治の乱を経て、平家の隆盛、源平合戦、鎌倉幕府の成立と、歴史の大きな節目であった。西行は北面の武士として出仕し、妻子も得た後、突然の出家を果たしている。もし彼が武士のままであったなら、いずれかの戦で命を落としていたのかも知れないが、出家遁世により、傍観者の立場となったとも言えるのである。そして、出家したことも含めて西行の人生を決定付けたのは、鳥羽上皇の后であった待賢門院璋子への思慕であったというのが、著者の考えである。白洲正子『西行』も同じ説を採っていたが、著者は西行の桜を詠んだ歌にも待賢門院璋子の俤を見ていて、その考えはさらに徹底しているようである。
そう言えば、白洲正子も西行ゆかりの土地を行動的に訪れていたが、著者もまた徹底的に現場主義を踏んでいて、京都の嵯峨は自身の庵から近くて当然としても、高野山、吉野、熊野、平泉、四国の白峰と、西行が踏んだであろう土地を自らも歩いている。それぞれの歴史的背景にも触れ、西行が見たであろう風物を自分の目にも焼き付けようとしているようだ。そうするこてで、西行が詠んだ歌をより深く理解したいと思うと同時に、西行の人生に著者の人生を重ねようとしているようでもある。
この作品は、西行の歌の鑑賞の手引きでもあり、西行が生きた時代の格好の歴史読み物でもあり、西行が歩いた場所のすぐれた観光案内ともなっていて、それらが渾然一体となって西行という人物を浮き彫りにしてくれている。実は自分はこの作品を読むのは二度目であったのだが、前回は読み落としていたことが多々あったようで、今回のほうがはるかに楽しかった。そして、さすがに『源氏物語』を全訳するだけあって、著者の古典に対する造詣の深さは並々ならぬものがあると、改めて感じ入ってしまった。
2008年11月23日 読了