宮城谷昌光 『三国志 第二巻』 (文春文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 文春文庫の10月新刊。宮城谷版三国志の2巻目である。

 結論を先に言うと、この第二巻は後漢王朝の黄昏を描いていて、皇帝に政治に取組む資質がなく、外戚と宦官による悪政がこれでもかと言うほど続くので、いささかウンザリした。三国志といえば群雄割拠して血湧き肉踊るというイメージを抱くのだが、この第二巻に関しては、王朝が滅びるべくして滅びてゆく過程を綿密に辿ってゆくに過ぎない。曹操の祖父にあたる曹騰も、没年は不詳であるとかで、知らぬ間に姿を消してしまうのも腑に落ちない。ようやく最後のほうで、成長した曹操が活躍を開始し、いよいよ三国志の幕開けかと期待を抱かせる程度である。

 第一巻は順帝の死と、続く二歳で皇帝となった沖帝の突然の死までを描いていた。梁大后は摂政を続行し、次いで八歳の質帝を立てて、懸命な政治を心がけるのだが、大后の兄の梁冀に次第に実権が移るに至り、梁冀は質帝を毒殺してしまう。次いで立った桓帝は、梁冀を怖れ、彼の顔色を窺うことに終始し、ここに梁冀の悪逆非道の政治が始まる。彼は妻の孫寿と競うように私利私欲に走り、対立する者は徹底的に排除してゆくのだ。

 桓帝が成長し、梁冀を粛清しようと決意するに至ったとき、彼は宦官を頼る他になかった。歴史は繰返すというか、第一巻でも同じようなシーンがあったのだが、少人数の宦官の機転の働きにより、ようやく梁冀を自死に追い込むことができたのだ。しかし、桓帝に確たる政治理念があるわけではなく、側近の宦官の言うがままであり、今度は宦官の悪政に取って変わっただけのことであった。

 宦官が実権を握ると、常に皇帝の身辺にいるだけに、心ある者の上書も皇帝の手に届かなくなり、上書した者を逆に獄に繋ぐことも平然と行われて、つまり賢臣ほど淘汰されてゆくというわけで、政治はさらに悪くなる道理である。桓帝が死亡し、寶大后が霊帝を立て、大后の父の寶武が宦官の恣意に充ちた政治を終らせようと画策したが、王甫らの宦官は逆に牙を剥き、霊帝を取り込んで、戦いに勝利してしまう。こうして後漢王朝は次第に内部から腐敗を始めてゆくのだ。

 これが歴史の真実であったとしても、こういう物語が楽しいわけがない。何しろ、善意の者が次々と殺されてゆくのである。そして、権力を握った者が、公然と富を独占してゆくのだから。

 こういう政治の状況で、国民が黙って耐えていられるものでもない。叛乱が起こり、その鎮圧に軍隊が派遣されることになる。曹操も抜擢されてその将となり、成果を上げるのだが、もともと朝廷の悪政に原因があるのであって、叛乱軍を悪とは思えないのだ。そして、「こんな王朝は潰れたほうがいい」と思うのは、一人曹操だけではないようなのである。

 ところで、曹操はようやく歴史の表面に顔を出しかけたところであるが、諸葛亮、孫権など、後の英雄はまだ生まれたばかりだということである。事前知識のないまま読み始めているので、彼らがどんな英雄になるのかも見当がつかないが、早く『三国志』らしい展開になって欲しいと、切に願っているところである。

  2008年11月20日  読了