磯田道史 『殿様の通信簿』 (新潮文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 新潮文庫の10月新刊。著者は茨城大学人文学部准教授という肩書きであり、学究の徒であって、小説家ではない。最近では、「新潮新書」から出た『武士の家計簿』がベストセラーとなったということだ。

 この作品、最初に苦言を呈するなら、学者は小説家ほどには文章が上手に書けない(例外も多いけれど)という一点である。書きたいことを網羅したのだろうけれど、読者を想定して、読ませる工夫がなされているかとなると、首を傾けざるを得ないのだ。いや、おそらくは一般読者にもわかりやすいように平明に書く努力はなされていて、何を言っているのかチンプンカンプンという事態は避けられているから、むしろそのことを評価しなければならないのかも知れないのだが、表現力や構成力が未熟なのは隠しようがない。同じ題材を得て小説家が執筆したなら、もっと面白い読み物になったであろうし、読者の頭にもその内容がよく浸透したに違いないと思う。

 著者は『土介寇讎記(どかいこうしゅうき)』という元禄期に書かれた書物を読み解き、この作品を生んだ。同書物は、公儀の隠密が探索してきた諸大名の内情を幕府高官がまとめたものという説があり、従って、幕府側から見た殿様の勤務評定・人事考課というおもむきであり、それを「殿様の通信簿」と洒落てみたというわけだ。

 ここで描かれた殿様は、徳川光圀、浅野内匠守と大石内蔵助、池田綱政、前田利家、前田利常、内藤家長、本多作左衛門である。このうち、前田利家、内藤家長、本多作左衛門は戦国期の人物であり、他は徳川政権が安定期に入ってからの文字通りの殿様であって、その過ごし方は自ずから異なっている。戦国から元禄という時代に生きた人びとを対比的に描くことにより、殿様のありようの変遷がよくわかるのは、この作品の特質と言ってもよいだろう。

 徳川光圀はご存知の水戸黄門さまとしてあまねく知られた人である。しかし、すでに光圀の時代には、殿様が自由に外出することはままならないのであって、黄門さまが虚構であることは当然であるけれど、光圀は頭脳明晰で、知識欲は旺盛、芸術への関心も強く、そのために、様々な人に会いたくて、当時の殿様としては例外的に悪書通いをしたということだ。逆に言えば、庶民の側からは親しみやすい殿様であったわけで、それが黄門さまのお芝居へと発展した理由であろうというのが、著者の考えである。

 実は、安定期に入った後の大名の事績などは歴史小説にも採用されないので、池田綱政、前田利常の名前さえ、この本を読むまで知らなかった。豊かな時代を迎えて、ひたすら享楽に耽る殿様のありようを見ると、豊かさとは何であろうと疑問さえ感じてしまう。もっとも、当時豊かであったのは権力者である殿様周辺だけであったはずだから、治世に思いを馳せず享楽世界に身を置いたとしたら、それは恥ずべきことであるはずなのだが。

 史料を読み解き、思いがけない殿様の生活ぶりをわかりやすく呈示していて、その史料の面白さは伝わるのだが、最初に書いたように、著者の文章がやや冗漫で、ときとして退屈な思いをしながら読み進めなければならなかったのが、いかにも残念であった。

  2008年10月25日  読了