岩井志痲子 『べっぴんぢごく』 (新潮文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。



 新潮文庫の9月新刊。岩井志麻子の自家薬籠中の物ともいうべき「岡山もの」の1冊である。

 岡山も、瀬戸内を離れて、北の山岳地帯に入れば、寒村が続くらしい。この物語は、明治の初期、岡山の寒村を母とともに乞食として流離っていたシヲの7歳のときから、大正、昭和、平成と世が移って、104歳で大往生を遂げるまでの一代記である。あるいは、女系家族5~6代の数奇な変転を大急ぎで追いかけた物語と言ってもいいかも知れない。その間に、岡山の貧しい暮らしや古いしきたりが述べられ、死者との対話が綴られ、隠微な性が描かれるのは、いつもの岩井志痲子の得意技ということだと思う。

 シヲの7歳のとき、母親が殺され、左足だけを切断されて持ち去られるという事件が起き、シヲはその村一番の分限者である竹井家に引き取られた。竹井家にはとみ子という気の狂った一人娘がいて、その遊び相手を兼ねた小間使いとして追い回されることになったのである。(終章の手前の11章で、シヲの出生の秘密や母の死の不思議が明らかにされるが、そこではシヲの祖父母から説き起こされるので、都合7~8代の物語と見ることもできる。)

 とみ子が川に落ちて死んだ後、シヲは竹井家の養女に直された。「乞食(ほいと)隠れ」にもたれて物乞いをし、ときには春を売って食いつないできた乞食の娘が、村一番の家の養女となったわけだ。村人は驚き、かつ、シヲの美しさが尋常ではないことに気づくことになる。

 以下、シヲーふみ枝ー小夜子ー(冬子)ー未央子ー亜矢と、竹井家の女系が続いてゆく。シヲ、小夜子、未央子は目立つ美女で、ふみ枝、亜矢は容貌に恵まれていない。冬子を括弧で閉じたのは、彼女が奇形であったからで、未央子は冬子の子であるが、戸籍のうえでは小夜子の娘として育てられた。また、因果は巡るというべきか、ふみ枝は婚約者がありながら一夜乞食に身を任せてしまい、小夜子を生んだ。さらに、警察に追われる朝鮮人を匿ったところ、彼は奇形の冬子を抱いて逃走したが、その結果生まれたのが未央子である。朝鮮人はその後やくざとなり、成長した未央子の前に姿を現してもいるようだ。

 シヲの一代記と書いたけれど、これだけ入り組んだ関係をほぼ10年ごとの点描で描いているので、その説明に追われ、シヲが表面に出ることは次第に少なくなる。それでも、物語の中心にシヲがいるのは間違いない。どんな事情で、あるいはどんな姿で生まれた子であれ、「うちの竹井の子ににゃあ、違いないんじゃけ」とシヲは必ず言い、彼女たちの人生を見守ることになるのだから。

 この家系に続く、死者の姿が見えたり、場合によっては死者と対話すらできたりする能力も、随所に描かれる。また、「乞食隠れ」「乞食柱」に象徴される差別被差別のありようも、しつこいほどに繰返される。ともにシヲの出自に関係することでもあるからだ。

 だが、如何せん、100年余の物語をこのボリュームに盛り込むには、無理があったのではないだろうか? これは大河小説の素材であり、岩井志麻子畢生の大作となってもよかったのでないかと思う。それを点描に止めたために、前後の説明に忙しく、岩井志麻子らしい毒気と猥雑さが薄れてしまった。『べっぴんぢごく』というタイトルにもいささか違和感を覚える。地獄と言うからには、もう少し徹底したストーリーが展開されてもよかったのではないかと思うのである。

  2008年9月10日  読了