阿佐田哲也 『雀師流転』 (小学館文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 小学館文庫の7月新刊。このところ同文庫から刊行されている「阿佐田哲也コレクション」の1冊である。

 帯に「―もうひとつの『麻雀放浪記』」と書かれていて、期待して読み始めたのだが、『雀師流転』は未完の小説であり、しかも、導入部を終えこれから新展開というところで途切れてしまっていて、がっかりしてしまった。解説によると、『麻雀放浪記』と『ドサ健ばくち地獄』の中間に位置する作品で、著者の病気入院で中断され、そのままに終ってしまったらしい。その後著者は次第に本名による純文学への傾斜をしてゆくのだが、ギャンブル小説も継続して執筆しているのだから、この作品への愛着は失っていたということになるのだろう。阿佐田哲也の著作は好きだけれど、ここまでニッチな作品を羅列してくるとは、この小学館文庫のコレクションの方針に疑問を感じてしまう。

 併録(と言っても、こちらのほうがボリュームはあるのだが)の『麻雀師渡世』は、著者のギャンブルにおける交遊録といった感じのエッセイで、これも文庫初登場ということである。軽いタッチに終始した書き方であるが、麻雀に限らず、花札、サイコロ(チンチロリン)、競輪・競馬、ルーレット、果ては自動車のナンバーまでをも賭け事にしてしまう男たちを、ユーモラスに描いている。その後小説のモデルとなったらしい人物もあって、逆に言えば、どこかで読んだようなエピソードも多い。著者は宝くじのように全く他人まかせで結果が出る賭けは好まず(将棋や囲碁のような一対一の勝負も好まないらしい)、自分の意思や技術で勝負するほうを好んでいて、これは同感である。競輪や競馬はもちろん自分が走るわけではないが、著者に言わせれば、張り方に技術の差が出るのである。もちろんギャンブルに運は必要だが、その運を掴むのも技術の裏付けが必要というわけだ。わずかながら競馬を楽しむ自分としても、もって肝に銘じておかなければならい。その他、昔は縁日などで見かけたデンスケ賭博にも言及するなど、ギャンブルの達人の面目躍如という感じでもある。

 が、この一冊の率直な感想を述べれば、ある程度の著作を読んできた阿佐田ファンならば、いまさら読まなくとも、という感じである。もっとも、一人の作家を好きになれば、全集を隅から隅まで読みたいというファンもいるわけで、そういう人々には価値のある一冊ということになるのだろうが、同じくファンを自認していても、自分にはそこまでも思い込みはないようなのだ。

  2008年8月31日  読了