梅崎春生 『桜島・日の果て』 (新潮文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。



 

 新潮文庫8月発行の復刻版。当初の文庫編入は1951年5月ということである。表題作の『桜島』の雑誌発表が1946年9月、『日の果て』が1947年9月ということだから、実に、終戦直後の、戦争の記憶も生々しい時期であったわけだ。

 梅崎春生の名が懐かしく、物置(家が狭いので、書棚を物置に押し込んでいます)を捜してきたら、『幻化』の単行本が残っていた。1965年8月発行の初版で、定価400円となっている。箱入りで、さすがに箱は汚れているが、本体はきれいなままである。内容はすっかり忘れてしまったけれど、何かに感動した記憶はあるので、読み直してみたいと思う。それにしても、当時の乏しい小遣いで新刊を購入していた頃の自分がいじらしい。

 余談ついでに記すなら、自分の生まれは1945年5月であり、わが岐阜市が空襲に遭ったのは同年7月であったから、自分も戦火をかいくぐって生き延びたわけだ。乳飲み子を抱いて近くの山へ逃げた母から、「焼夷弾が花火のようだった」などという話を何度も聞いて育ったから、記憶があるはずもないのに、原体験のような感じで刷り込まれているのである。だから、自分の意識としては、戦後派ではなく戦中派に属しているつもりなのだ。戦争の悲惨さを忘れてはならないと思うし、8月にこうした戦争の文学が復刻されるのも意義のあることだと思う。

 さて、この作品、収録作全5話のうち、上記2話と『崖』は戦争体験を描き、『蜆』『黄色い日日』は戦後の不自由な暮らしにおける混沌を描いているのだが、やはり表題の2話が優れているようだ。『桜島』は、終戦間近の7月はじめに桜島へ転属になった海軍の暗号員の体験談である。米軍の上陸に備える桜島基地はいわば最前線であり、当然のことながら、死と隣り合わせの勤務なのだが、敗戦濃厚なこの時期にも固陋な上官は無意味な命令を下すし、体罰も横行している。親しくなりかけた見張り兵が爆撃で死ぬということもあって、自分も死を覚悟しているのだが、一方では生きることへの執着も消えることがない。戦争という極限状況の空気とその悲惨さは十分に描かれているのに、おそらくは主人公のその生への渇望があるために、決して陰惨だけの作品とはなっていないのである。そして、広島・長崎に原爆が投下されて、桜島は集中的な攻撃を受けることなく、終戦を迎えるのだ。解説にもあったけれど、この作品は戦争文学であると同時に、青春の文学でもあって、それが他の戦記物とは一線を画している要因となっているのである。

 小説としての結構は、『日の果て』が最もよくできているのではないか。軍を離れて現地の女と暮らす軍医の射殺を命じられ、自分も軍からの逃亡を一度は決意した中尉が、結局は軍医と対峙することとなり、ともに死んでゆくという内容だが、機能不全をおこしつつある軍隊とその一員である個人の生への意欲、そして生と死が紙一重であるという極限下がよく描かれ、一種の無常観すら漂ってくる作品である。

 こうした過去の名作の復刻により、思いがけぬ作品に再会できるのはうれしいかぎりである。

  2008年8月23日  読了