中山義秀 『新剣豪伝』 (新潮文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

還暦過ぎの文庫三昧

 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。



 新潮文庫4月発行の復刻版。単行本初出が1955年5月、文庫編入が1958年11月ということで、およそ半世紀の風雪に耐えてきた作品ということになる。

 実を言うと、この作家の作品を読むのは初めてだ。若い頃の自分は、どちらかと言えば純文学志向であって、通俗娯楽小説を読もうとはせず、歴史・時代小説にも無関心であったため、縁がなかった。中年以後、歴史物に興味を抱くようになった頃には、この作家は既に過去の人になってしまっていて、書店で作品を目にする機会さえ無かったように思う。略歴を見ると、芥川賞受賞とあるから、本来は純文学系の作家であるはずで、時代小説というだけで見向きもしなかった当時の自分は、あまりに狭量かつ不明であったと言わねばならない。

 特に前半が素晴らしい出来映えだと感じた。諸岡一羽の3人の弟子、岩間小熊、土子泥之介、根岸菟角の数奇な運命を辿った後、伊藤一刀斎の修行ぶりから剣名を馳せるまでを克明に追う。一刀斎の晩年、徳川秀忠の剣術指南に二人の弟子・小野善鬼と神子上典膳のどちらかを推薦するに際しては、敢えて真剣による立合いで決することになる。そして、勝利を得た神子上典膳改め小野次郎右衛門忠明のその後の生涯へと筆が及んでゆく。このあたりの、相互に連関しながら、相応の緊張感を保ちつつ進んでゆく筆遣いが絶妙なのだ。もちろん剣豪小説であるから、剣戟場面も豊富であるが、荒唐無稽な剣技ではなく、リアリティに溢れているのが堪らない。本文にもあるが、著者の祖父は水戸の剣客であったということで、父は祖父の実際の試合を見て育ったということである。祖父から父へ、父から子へと、剣客の血脈が受け継がれて、作品に反映しているのかも知れない。

 後半の、林崎甚介重信を描いた章は、かなりのボリュームではあるけれど、彼の若い頃に焦点を当てているようで、描き足りないような気がする。また、富田勢源、斎藤節翁、山岡鉄舟の章は、掌編と言いたいほどの短さで、一つのエピソードの紹介に終ってしまっていて、これも物足りない。前半部が流れに任せてのストーリー展開であったのに対し、後半は点描に終始している感じであり、小説としての醍醐味は断然前半に軍配を上げたいと思う。

 それにしても、戦前から活躍した作家は語彙が多く、文章に格調が備わっているように思えてならない。逆に言えば、現代作家の文章力の貧困ということかも知れず、もしかしたら、戦後教育の弊害が表出しているのではないかと、そんな大風呂敷を広げたようなことまで考えてしまった。

  2008年4月21日  読了