浅田次郎 『天切り松闇がたり 第四巻 昭和侠盗伝』 (集英社文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 集英社文庫の3月新刊。ずっと読み続けてきた『天切り松闇がたり』シリーズの第四巻である。

 既に80歳を越えた天切り松こと村田松蔵が、拘置所内で昔話を披露し、平成の現代と、彼が語る昔の時代とが、何度も行き来しながら進行するという物語の構造は変わりないし、気風のいい生粋の江戸弁を楽しめるのもこのシリーズの特徴であるけれど、前3冊が古きよき時代とも言うべき大正の東京を舞台とした昔話であったのに対し、この巻は昭和9年(1934年)から始まり、軍閥が跋扈する戦時体制の時代を語っているため、ややイメージが異なっているように感じる。

 全5話からなるが、力が入っているのは、『第一夜 昭和侠盗伝』と『第二夜 日輪の刺客』だろう。ページ数でも、この2話は他の3話を圧倒しているのだ。(普通、雑誌連載の連作小説ではある程度ボリュームは統一されるはずなのに、この著者は自由に書いているようである。)

 表題作ともなっている『昭和侠盗伝』は、赤紙一枚で若者を死地に送り出す国家に対する、目細の安吉一家の強烈な「屁のツッパリ」を描いている。一文の得にもならない盗人仕事に、振袖おこん、書生常、そしてもちろん天切り松も含め、いわば安吉一家のオールスターで臨むのである。標的は、関東軍総司令官・鬼頭大将が持つ功一級金鵄勲章、海軍軍令部総長・香椎宮が持つ大勲位菊花大綬章、そして東郷平八郎元帥が持つ大勲位菊花章頸飾だ。おこんの芸者姿でのたぶらかしや書生常の変装、そして松蔵は天切りの技を駆使して、彼らは見事にそれを持ち寄り、敵陣に爆弾を抱えて突っ込んだ肉弾三勇士の銅像の除幕式当日に、彼らの首に飾ってやるのである。何とも胸のすく「屁のツッパリ」ではないだろうか!

 圧巻は東郷元帥で、松蔵の天切りの得意技による忍び込みに気付き、しかし彼の罪を問うこともなく、彼の趣旨を快として勲章を差し出すとともに、それまで名もない盗賊であった松蔵に「天切り松」の名を付けるのだ。こうした秘話を挟んで、当時の国民的スターであった東郷元帥には著者も敬意を表しているようである。

 『日輪の刺客』は、昭和10年に実際に起きた「相沢事件」に添って進行する。事件そのものは、陸軍省軍務局長永田鉄山少将が相沢三郎陸軍中佐に刺殺された、というものであった。掏り被害にあった相沢中佐を細目の安吉が救ったことから、彼らは間接的に事件に関わることになり、できることなら阻止しようと動いてみるのだが、彼ら両名はそれぞれに信念の人でもあり、防ぎようがなかったというわけである。

 『第三夜 惜別の譜』は、その後日談で、相沢中佐の妻の物語だ。そして、『第四夜 王妃のワルツ』『第五夜 尾張町暮色』と、どの物語でも、安吉一家の面々は相変わらず一文の得にもならないことに骨折って、それが結果的に読者に感動を呼び起こすという仕組みになっている。

 このシリーズはどれも面白いが、今回は、戦争あるいは軍閥政治に対するメッセージが盛り込まれているところに、前3巻とは違う一面があるように思う。

  2008年4月11日  読了