今野敏 『隠蔽捜査』 (新潮文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 新潮文庫の2月新刊。今野敏の著作を読むのは今回が初めてであるが、硬派のエンターティンメント作品として、好ましい印象を受けた。なるほど警察小説と括られるジャンルの作品かも知れないが、刑事や末端警察官の物語ではなく、キャリア官僚の攻防が描かれていて、横山秀夫に代表される警察モノの世界とはまた一味違うのである。そして、最後には主人公の竜崎伸也が左遷となり、必ずしもハッピーエンドとはゆかないのに、読後感はとても爽やかなのだ。彼のキャリア官僚としては異色の潔さが、やたら格好いい。

 竜崎伸也は警察庁長官官房の総務課長を勤めるエリートだ。東大を卒業してキャリア官僚の道を選んだ。彼は自らをエリートと認め、しかしエリートにはそれに相応しい役割があるとも信じている。よく本音と建前の使い分けが罷り通るけれど、彼は本音で国家の保安と警察組織の防衛とに殉じるつもりなのだ。彼がキャリアの道を選んだのも、そのほうがより重要なポストにつけると考えたからであり、決して出世欲のためではないのである。我々は現実の世界で保身に憂き身をやつす官僚を数多く見るけれど、小説ならばこそこういうヒーロー像も可能なのであろう。

 連続殺人事件が発生し、その被害者は、過去に少年犯罪の加害者の立場にあった若者であることが判明する。彼らは服役したものの、刑期を終えて、知らぬ間に世間に紛れ込み、ごく普通の生活をしていたのだ。そして、彼等の犯行を許せないとして報復的な殺人を犯したのは、現職の警察官であった。警察組織としては大問題であり、上層部はその事実を隠蔽しようとする。しかし竜崎は隠蔽により逆に警察の威信は保てなくなるとして、一身を賭して事実の公開を迫るのだ。

 同じ頃、竜崎は大学生の息子がヘロインを使用していることを知る。彼はそれも隠蔽することなく、息子を自首させるのだ。そして、小学校の同級生で私大を出て同期入省となり、いまは警視庁の刑事部長を務め連続殺人事件の捜査本部を統括する伊丹を説得し、真相を公表するよう説得するのである。

 最後は竜崎の描いた筋立てで決着し、隠蔽を画策したとして最小限の人員の失脚を見ただけで終って、伊丹の立場も保全された。しかし竜崎自身は、息子の監督責任を問われて、降格人事となってしまう。だが、竜崎は自分のすべきことを果たしたという満足感に満たされていて、彼は喜んで新しい職場に向かうことができるのだ。幕切れに爽やかさを感じるのは、けだし当然ではないだろうか。

 我々の官僚不信は政治不信とともに根深いものがあるけれど、例え小説のなかとはいえ、こういうキャリア官僚がいることは救いになるような気がするのである。同時に、この作品の好印象を受けて、今野敏の他の著作ももっと読みたいという気持になっている。

  2008年2月9日  読了