佐江衆一 『江戸の商魂』 (講談社文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 講談社文庫の1月新刊。

 著者の『江戸職人綺譚 』『続・江戸職人綺譚 』に強く惹かれた記憶があり、この作品もその系列であろうと期待して読み始めたのだが、それは自分の全くの勘違いであった。こちらは歴史に名を残す商人たちの事績に正面から取組んだ連作集であって、上記2冊とは全然異なる印象である。発表がPHP研究所の季刊誌「松下幸之助研究」への連載だということだから、著者としても、文芸誌への発表とは一線を画す必要があったのだろう。読者に経済人を想定し、小説というよりは、江戸時代の商人の活躍ぶりを、史実に重点をおいて史伝風な作品に仕立ててあるようだ。

 計8編が収録されている。『命をはった賭け』は、忠臣蔵外伝でも馴染みの大阪商人・天野屋利兵衛を描いており、主として大石内蔵助との関わりに重点をおいた内容となっている。互いの器量を賭けた試し合いの様相となっていて、講談とは異なる解釈が面白い。『ホイアンの日本橋』は、伊勢松坂の貿易商・角屋七郎兵衛が幕府の鎖国政策のために日本へ帰ることができず、異国で果てるまでの悲劇だ。今日のベトナム・ホイアンの地でも彼は商人として成功し、橋を架けて寄付するまでになるが、望郷の念は強かった。そして、『紅花の岸』は、出羽の紅花商・柊屋新次郎とおひさとの悲恋に焦点を当てた物語。京都の問屋との根回しで新次郎は久しく出羽を留守にし、おひさは新次郎の真情を信じられずに入水自殺をしてしまう。以後、新次郎は生涯独身を通したということだ。

 以上3作はまだ小説らしさがあるけれど、以降の5編は伝記ダイジェストの趣きだ。伊勢松坂の呉服商・三井越後屋八郎兵衛、加賀の廻船業・銭屋五兵衛、近江商人・中井源佐衛門、江戸の戯作者商人・山東京伝、薩摩藩士・五代才助と続き、巻末の二人は果たして商人と呼ぶべきであろうかと疑問に思う人選だ。時に史料も挿入され、彼等の努力の足跡を知るには適しているけれど、読物としての面白味には欠けてしまったように思う。

 一つ気付いたのは、近江商人と伊勢商人の共通点で、戦国時代にともに蒲生氏郷を藩主として仰いでいたということだ。近江から伊勢、そして会津へと、氏郷を慕って移っていった商工業者も少なくなかったという。だとすれば、氏郷の商業振興策が現代まで連綿と続く商人の伝統を育んだのではなかっただろうか。と、こういう想像を巡らすのも楽しい。

 おそらくは、小説として万人受けを狙ったのではなく、企業経営者の必読書の位置づけで書き継がれた作品集であろうと思う。

  2008年2月8日  読了