湯川裕光 『瑤泉院ー忠臣蔵の首謀者・浅野阿久利』 (新潮文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 新潮文庫の昨年12月の新刊。つい先日、大仏次郎『赤穂浪士 』を読み終えたばかりなのに、またしても「忠臣蔵」である。『赤穂浪士』も大作であったけれど、この作品も、最近の新潮文庫の大きな活字ではなく、一世代前の文字サイズでビッシリと埋められて、なおかつ700ページ超の、堂々たる力作だ。そして、『赤穂浪士』の記憶が生々しいうちにこの作品に出会ったので、同じ史料を使ってこれだけ異なった物語ができるということに、一種のカルチャーショックのような驚きを感じた。

 タイトルからも想像できるように、この作品の特異なところは、大石内蔵助以下の吉良邸討入りに瑶泉院(浅野内匠頭の正室・阿久利)が関与していたとしたところだ。その前提で史料を組直し、それなりの理論の整合性を備えて物語化してあるのである。そのため、松の廊下の刃傷は、内匠頭の狭量と神経症の病が原因であり、吉良上野介は被害者となっている。では、大石以下が被害者である吉良上野介の首級を得たのは何故かといえば、将軍綱吉の裁断を許す幕閣への批判のためで、もちろん武士の一分ということも語られるけれど、大石と瑶泉院にとってはそれが大義名分となっているのだ。

 この作品では、柳沢吉保の描き方も独特だ。彼も幕閣の一員であり、大石以下の敵方になるわけだが、彼は浅野家に理解を示し、内室の町子と瑶泉院との縁を通して、便宜を図ることもするのである。また、『赤穂浪士』でも、池宮彰一郎『四十七人の刺客 』でも、式典を司る吉良家には武力がないとして、大石以下の真の敵は上野介を守ろうとする上杉家であったのだが、この作品の上杉家には動きがない。これらも、作中に理路整然とその理由が述べられており、思わず納得してしまうのである。

 これだけの長編力作であり、大石内蔵助をはじめ四十七士のエピソードも丹念に掬ってある。そして、それらはどの「忠臣蔵」でも見られる男の物語なのだが、この作品のもう一つの特徴は、女の登場人物も多彩だということだろう。瑶泉院の魅力が存分に描かれるのは当然として、左京の方の数奇な転変や、討入り直前に脱盟した毛利小平太とお艶の挿話など、心に沁みるものがある。

 「忠臣蔵」の大筋を崩すことなく、しかしこれだけ新鮮な感興を得られるのは、実に不思議体験としか言いようがない。当時の時代背景から、幕府政治の力関係、赤穂城開城から討入りまでを支えた経済、大石や瑶泉院のそのときどきの行動の意味など、緻密に考証し、練りに練って小説化された賜物だと思う。それぞれのその後にまで目配りがしてあることも、一層の感動を誘っている。

実に充実の読書を堪能できた。

  2008年2月2日  読了