吉行淳之介 『美少女』 (新潮文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

還暦過ぎの文庫三昧

 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 新潮文庫の1月発行の復刻版。「週刊文春」連載が1966年、単行本初出が1967年4月、そして新潮文庫に編入されたのは1975年4月ということだ。

 ただ、自分の中には、吉行淳之介が純文学の世界の住人であるというイメージが強固であり、この作品のようにエンタティメントに比重を置いたものには興味がなかった。従って、代表作と言われる『砂の上の植物群 』『夕暮まで 』『暗室 』などは発表時に読んだけれど、この『美少女』を読むのは初めてである。

 タイトルの由来となる美少女の三津子が、放送作家の城田祐一の紹介でバー「紅」に勤め、その後すぐに蒸発するところから物語が始まる。城田はレストラン「雅」のママの雅子の快楽コンサルタントもつとめている。三津子の行方を捜す過程で、城田は「雅」の雅子やレジの余志子、「紅」のホステスの由美や理加と、次々に関係を持ってゆく。三津子の蒸発・失踪には刺青が関係しており、それぞれの女の体についても刺青を調べる必要に迫られたというのがその理由だ。男と女、女と女、一人の男と二人の女など、様々な性的関係が淡々と語られてゆく。吉行淳之介のお得意のパターンであり、余裕溢れる語り口である。

 しかし物語としてはごく単調である。三津子の失踪でミステリアスな展開かと思いきや、すぐに底が割れて、彼女はいとも簡単に姿を現してくる。「透明人間ごっこ」は他愛無いものだし、刺青にまつわる秘密も意外性を感じさせるほごのものではない。要するに、城田は雅子に思慕を寄せていて、それが身体の関係に発展して、男と女の愛を確認するに至るまでを描いて、そこに若干の色付けをしたような、そんな感じの作品なのだ。

 思うに、この作品が発表された時代には、純文学と大衆文学が厳然と区分けされていた。その中間に位置する作品にはその名もずばりの「中間小説」という呼称さえあったのだ。その時代に、純文学で成功を収めた吉行淳之介がエンタティメントに取組むのは、無理があったのではないだろうか。あるいは、大衆に迎合するようなことがあったのかも知れないとも思う。解説では美辞麗句が並んでいるけれど、吉行淳之介の本質はここにはないと思うのだ。

 という訳で、いまこの時代に吉行淳之介を読もうとするなら、やはり純文学の系列に属する作品を選んだほうが良いだろうというのが、この作品を読み終えての率直な感想である。

  2008年1月30日  読了