安部龍太郎 『天馬、翔ける(上)』 (新潮文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

還暦過ぎの文庫三昧

 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 新潮文庫8月の新刊。安部龍太郎の歴史小説ということで躊躇なく購入し、源義経を描いた作品であることを知ったのはページを開いてからであった。

 この作品は義経と頼朝との確執がテーマのようであり、二人の少年時代はバッサリと切り捨て、義経は平泉の奥州藤原家に寄食しており、頼朝は流人としての蛭ヶ小島時代を経て政子と結婚して北条館で生活しているというところから始まっている。折しも、平家は専横を極め、危機感を抱く朝廷では以仁王が平家追討の令旨を発し、各地の源氏に伝達しているところであって、間もなく伊豆において頼朝が挙兵し、一敗地にまみれるものの、房総へ渡り幅広い源氏勢力の結集へと続き、義経も平泉を出て鎌倉へと駆けつけるので、物語の早々に兄弟の対面が実現するのである。

 その後、義仲の挙兵から上洛、平家の西国落ちと都の荒廃、義仲の敗死などを経て、この上巻では一の谷の合戦の直後までが描かれるのだが、物語の視点は常に、交互に語られる義経と頼朝に即していて、二人のどちらかが接し知り得た範囲で、義仲も平家も、あるいは後白河上皇についても述べられてゆくに過ぎない。歴史の大きなうねりもどちらかの見聞として描かれ、頼朝は関東を動かないのだから、我々が平家物語で知る諸々のことの大半は、義経の断片的な視点が中心となるのも仕方のないところだ。

 だが、率直に言って、読み進めていっても、どうにも心が踊らないのである。面白さを感じられず、物語世界に没入できないのだ。これは何故だろうと考えて、ここで描かれる義経、頼朝にはあまりにも魅力がないのではないかと思い至った。義経は日本史のなかでも燦然と輝く人気者であるはずなのに、ここでは短兵急な武者としてしか描かれず、勇猛果敢ではあるけれど、武将らしい思慮深さの欠片もない。また、頼朝は冷静な政治家であるよりは、気位のみ高く、疑心暗鬼にさいなまれ、その一方で政子や北条一族に頭の上がらない存在だ。しかも、視点の切り替わりが早く、義経と頼朝が細切れで交互に描かれるので、盛り上がりかけたところへ水を差されるようで、甚だしく興を削ぐのである。

 つい先日、井上靖『後白河院』を読んだばかりだからか、ここで描かれる後白河の妖怪ぶりには感情移入できるような気がする。もしかしたら、この作品で最も魅力的に描かれているのは後白河かも知れない。

 下巻では、義経と頼朝との対決色がより強く出るような気がするので、そのあたりに期待しつつ読み進めようと思う。

  2007年8月14日  読了